(雑談15040)幼少時代
去年(2014年)、この時期、自分の幼少時代をふり返っていました
自分の通っていた幼稚園
カトリック系の幼稚園でした
当然、何かの行事があると教会に集まり、出席確認のシールは聖書に登場する人物だったと思います
幼稚園は、自分が住んでいた家からは、ずいぶん遠いところにありました
徒歩や自転車では行けないところ
バスや車でも数十分かかったと思います
何故、そんなところに…
当時、父が勤めていた中国新聞社は、幼稚園とは、目と鼻の先にありました
でも、それだけの理由ではなかったと思います
以前、その幼稚園にしたのは、祖父の意向があったと母が言っていたことを覚えています
当時の園長先生と祖父に何かの接点があったのか?
園長先生も祖父も被爆者と言う共通点はありました
住んでいたところと幼稚園はは遠いので、送り迎えはバスと思いきや、いつも自分は園長先生の自家用車?で送り迎えしてもらっていました
何人か、同じように園長先生に送り迎えしてもらっていました
そんな幼稚園の思い出はほとんどありません
弱いくせに年長にかみついてケンカしていたり、弁当をひっくり返してべそかいて先生からパンをもらって食べていたり、マナーの授業で箸の使い方や抹茶を飲んだり、その時の和菓子が美味しかったり、それぐらいでしょうか?
ほんとうは、自分はどんな園児だったのだろうか?
ふと思ってしまいます
書道の先生であった祖父はほとんど家にいなかったし、家にいても作品作りで書斎にこもっていたと思います
父は新聞社で、自分とは起きている時間が合わず、平日あった記憶がありませんでした
祖母や母が相手をしていたと思うのですが、どうだったのだろうか?
そんな自分はほとんど、テレビばかり見るインドアの子供だったと思います
母は、舅姑である祖父母の身の回りの世話をするのが忙しく、自分をかまうことができなかったと言っています
テレビは自分のおもり役だったとも言っています
幼稚園から小学校2年春までは、祖父の家の敷地にある別宅(アパートみたいな物)で暮らした時代
自分にはちょっと暗い時代だったように記憶しています
父の死や葬式など、暗い話題が多かった時代
小学校1年生の時の担任は、おばあちゃん先生だったかな
インドア人間でしたから、友だちはほとんどいなかったような…
遊んでもらったのは、近所のガキ大将(みんな五右衛門と読んでいました。苗字が石川だから)
やごを山ほどとってもらって、持って帰ったら怒られたこと
1年か2年のとき、ずる休みしたこと(これは自分は休みと勘違いしていたと思います)
2年だったか、給食が時間以内に食べれず、いつも、立たされて食べていたこと
その時の担任は、ナナハンに乗って通勤していたちょっとヤンキーな女先生
(当時、ナナハンに乗っている女性は珍しかったのではないでしょうか?)
怒ると半端無く恐い
その女先生の息子さんも同学年にいたと思います
幼稚園もそうでしたが、小学校低学年時代も、いつも一人で遊んでいたように思います(公園でも)
レゴやミニカーは、余るほど、買ってもらっていました
でも、友だちはいなかった
そんな子供だったように思います
父が亡くなり、母子家庭になり、父方の祖父母の家から出て、母方の祖父母の所に引っ越しして、自分の人生はちょっと明るくなったかな…
この後は、また、別の時に思い出してみよう
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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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そして、今日誕生日のすべての人へ
お誕生日、おめでとうございます!!
これからはじまる一年が、健やかな日々でありますように。
そして、今日あることに、みなさまのご先祖様に感謝し、明日が素晴らしい日々でありますように、祈っております
(・∀・)
