(戦争と平和1479)ある日本の航空機設計者の命日 | ☆ワシの終活☆

(戦争と平和1479)ある日本の航空機設計者の命日

毎年、同じことを書いています



10月10日は、日本の航空機設計者木村秀政氏(きむら ひでまさ、1904年4月13日~1986年10月10日)の命日


木村秀政先生と言えば、先生が設計関与した航研機(東京帝国大学航空研究所)の長距離飛行世界記録もありますが、やっぱり、初の国産旅客機YS-11の基本構想に参画したことでしょう


先生は、大学の講義の時間、


「YS-11は、「ワイエスジュウイチ」では無く、「ワイ エス イチ イチ」と読む」


ということを真っ先におっしゃったことを思い出します


YS-11の語源は、航空ファンであるなら当然ご存じだと思いますが、Y(輸送機)、S(設計)、1(機体番号1)、1(エンジン番号1)から来ています


もう、YS-11がわからない人も多いだろうなあ…


YS-11の機体は、安全率を2倍(通常は、1.5位)に取るほど頑丈に作られたということも木村先生の講義で知ったものです


その当時の講義で、航空機の機体寿命は約18年とも言われたのでありますが、YS-11の場合は約70年の機体寿命を持っていたということです


今でこそ、自分は、木村先生を知っていますが、大学に入るまでは木村先生の存在すら知らなかったと言うのが本当のことです


学生となって、木村先生の講義を受けることによって、先生の数々の実績を知ることになりました


それから、先生が力を入れていたのは、人力飛行機


先生が元気な時は、「鳥人間コンテスト」で解説をされていたのを見た人もあるでしょうね


(今年も見逃してしまった…。でも、録画してあるので、後で見ます)


そんな木村秀政先生は、日本航空史において貢献された一人でしょう


第二次大戦末期の特攻兵器が多数作られた時、木村先生は人間爆弾「桜花」の基礎設計に関与していたとは知りませんでしたが…


それはやむ終えない仕事だったと思います


そして、木村先生の同期に、ゼロ戦設計者の堀越二郎氏がいます


2人の航空機設計者


一人は民間に行って戦闘機を作り、一人は大学に残り飛行機の研究を続けました


相反する人生を歩んだ2人ですが、2人とも、飛行機が大好きでした


(去年・一昨年・3年前・4年前・5年前の記事を引用しました)


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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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