(雑談14061)大空の女神
先月、町にある陸上自衛隊の記念行事(基地祭)にかみさんと行って来ました
16周年の記念行事でした
当時に、同じ敷地で陸上自衛隊の駐屯地61周年記念行事もあったのですが、そちらは見送りました
また、来年行けばいい
長年住んでいる土地で、自衛隊は近くなので、長男や次男は、自転車に乗って友だちとよく記念行事に行っていました
ですが、自分やかみさんは、なかなか足を運びぶことがありませんでした
ただ、自分にとっては懐かしい場所です
記念行事では基地に足を運んだことはありませんが、仕事で1カ月半通い詰めた場所だったからです
仕事とは、自分が設計に関与した陸自の後方支援機材の補給整備性の補給整備性試験を行ったものでした
偶然にも、その試験を行った棟も、入ることができ、かみさんに仕事場を初めて見せることができました
仕事場と行っても、機材が無ければ、何もない倉庫ですが…
その時は、M重工業の車両搭載レーダーの試験やT社の大型レーダーの計画整備も並行して行われていました
大変だったあ~
ここは、日本全国で使用している陸自の部品が格納されており、陸自の需品、火器、弾薬、車両、航空機等、科学器材、通信器材又は衛生器材等の調達、保管、補給及び整備を行うとともに、これらに関する調査研究を行う重要な拠点なのです
陸自の装備品はほとんどここで、補給整備性の試験を行います
当然、戦車だってね
ただし、航空機は陸自なのでヘリが主です
仕事で訪れた場所ですが、一箇所気になっている棟がありました
正門にある広報センターでした
ここには、旧日本軍及び第一海軍航空廠・陸上自衛隊の部隊・装備品・ツェッペリン飛行船等を展示してありました
そうです、ここは、昭和4年、世界初、飛行船で世界一周を成し遂げたツェッペリン伯号が、寄航した歩所でもありました
そんな展示品をようやく見ることができたのです
まあ、仕事中はそんなものを見る時間も余裕もありませんでしたから
そこで、気になったのは、「大空の女神 藤田多美子」の展示コーナーでした
藤田多美子さんは、昭和15(1940)年11月28日、22歳の若さで、開校間もない水戸の陸軍航空通史医学校の飛行場の片隅にある井戸に入水自殺された女性なのです
何故彼女が「大空の女神」と呼ばれるのか?
それは、彼女の死が、飛行機事故を根絶し、空の勇姿を守るために、自らの命を捧げた崇高なものだったからだそうです
それは、彼女の遺書や辞世の句からも読みとれるものだったようです
当時、太平洋戦争前、日本が航空兵力を増強している最中だったと思います
堀越二郎が設計したゼロ戦が制式機となったのも1940年だったと思います
パイロットや整備の育成を急務としていた空軍でしたので、未熟ゆえの事故が多発していたのでは…
航空機事故は、今も陸の事故から比べれば悲惨なものがあり、その惨状を目の当たりにした彼女には、心傷むものがあったのだろうと思います
彼女を死に追いつめてしまったものは、本当のところ何かはわかりません
日本らしく、「飛行機事故を根絶し空の勇姿を守るため」のものですが、今では考えられないことです
もし、彼女が男だったなら、パイロットか整備兵になって、自らその根源を無くすために奔走したかもしれません
女性だったために…
今なら、女性でも、航空機産業への参加はどんな形でもでき、そして、貢献できることでしょう
生きてほしかった
でも、時代がそうはさせなかった
こんな女性のことを我々は忘れてはならないと思います
そして、今の時代は、女性でも、陸海空の交通機関の事故がないよう、その職場へ積極的に参加して欲しいと思います
今、我が子が、鉄道関係の整備の仕事を目指しているだけに、そんなことを考えました
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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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そして、今日誕生日のすべての人へ
お誕生日、おめでとうございます!!
これからはじまる一年が、晴れやかな日々でありますように。
そして、今日あることに、みなさまのご先祖様に感謝し、明日が素晴らしい日々でありますように、祈っております
ヾ(@^▽^@)ノ
