8月20日は、私の祖父(父方)の命日(被爆者)
8月20日は、私の祖父(享年92歳)の命日
何度もブログで言っていますが、祖父は原爆の被爆者でした
通勤途中、広島市の宇品で被爆しています
(爆心から2キロから3キロの地点でしょうか)
原爆症として、白内障を発症し、失明寸前までいきました
その失明寸前の状態でも、書家として自分の作品を精力的に作成していて、その姿を自分は見ています
しかし、被爆者である祖父は、他の被爆者のように原爆の惨劇は、一切、作品として残していません
白内障にて失明寸前のときの作品で、唯一原爆を物語るものがあります
そんな祖父が被爆者であることを、自分は社会人になるまで知らなかったし、祖父も話そうとはしませんでした
当然、祖父の被爆者手帳も見せてもらったことはありませんでした
それが、被爆者なのでしょうか?
そして、同じように二次被爆した自分の父が早くに他界(享年37歳)してしまったことが一生の悔やみと思っていたようです
その祖父は、いかにも昔の家長というべき風格を持ち、自分にも他人にも厳しい人でした
自分も祖父に声をかけることはなかなかできませんでした
そんな、祖父は、原爆症を発症していましたが、92歳まで長生きしました
(後日、火葬場で祖父の骨を見た係りの人が、そのすばらい骨の状態に感心されていました)
祖父と父は何が違っていたのでしょうか?
(父の骨はガンに侵されてかなりひどくなっていたようです)
祖父は、朝4時起き、夜8時には寝るという徹底的な自己管理を行い、規則正しい生活を行ったからだと思います
また、食事も質のよい食事をとり、徹底的な栄養管理を行っていました
祖父の作った栄養満点野菜スープも学生の時によく飲まされたものです
知らないうちに、今、世間で話題になっている「マゴハヤサシイ」を守って作っていたように思います
最近「マゴハヤサシイ」に基づいて書かれたレシピ本に祖父の野菜スープによく似たものを見つけました
それに対し、父はタバコは吸わないし大酒のみでは無かったものの、仕事柄、非常に不規則な生活が続き、栄養も偏り、ストレスの毎日を送っていたと思います
それから、考えると、彼らの免疫力の差は、大きかったのではないかとも考えてしまいます
被爆者であった祖父の長寿を考えると、現在問題になっている放射性物質への対応や、今後、襲ってくるであろう強毒鳥インフルエンザについても、免疫力によって、予防ができるのではないかと思わず考えてしまいます
仕事柄、ストレスがある人は、それから逃れることはできませんが、食生活はしっかり考えることはできるのではないでしょうか?
祖父は、自分たちに、「放射線のリスクから体を守る」方法を無言で伝えていたのかもしれません
(去年・一昨年の記事を修正しました)
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ありがとうございます♪
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