(戦争と平和20)8月9日長崎
今日、長崎で平和記念式典が行われました
長崎県には姪が広島市から嫁いでいます
それ以外に長崎には想い出があります
長崎の夜景は、稲佐山から見る夜景が一番だといいますが、そんな事はないと思います
自分は、十数年前、防災の仕事で、長崎港を挟んだ稲佐山の向かいにある英彦山に土木工事で登った事があります
夜までかかった工事の合間に見た星空と町の夜景がものすごく綺麗で癒されました
(長崎の土木工事は資材運搬に馬を使っていました)
残念ながらその時の写真は残っていませんが、いい想い出として心の中に残っています
そんな長崎市に、65年前の8月9日11時3分、原爆が炸裂しました
(「ファットマン」プルトニウム型、ちなみに広島市に落とされた原爆は「リトルボーイ」ウラン型)
長崎の平和公園や原爆資料館は見に行きました
今の長崎を見て、想像できない写真が多くあって、衝撃をうけました
広島で原爆資料館を散々見ていてもです
今の長崎は、すばらしい町になっています
長崎チャンポン・長崎皿うどんはおいしいし、横浜みたいな規模ではないが中華街があります
長崎ならではの卓袱(しっぽく)料理(和洋中を取り混ぜた料理)もあります
そして、長崎と言えばカステラかな?
文明堂じゃないですよ
長崎カステラの原点と言える「松翁軒」の手作りカステラです
グラバー邸、大浦天主堂、諏訪神社、出島…、西洋と東洋の接点でもあった長崎です
坂本龍馬率いる海援隊の拠点でもありましたね
さだまさしの飛行館もあります(結局入れなかったけど)
その長崎も、残念ながら、戦争中は、軍艦を作る造船の町でした
戦艦「武蔵」が造られたのはこの地です(「大和」の姉妹艦)
(戦艦「大和」が造られたのは自分の街広島市の隣の町呉市)
その長崎市も、戦後、長崎市の中心地(繁華街)である思案橋が1m以上もの水に浸かってしまう災害(土石流)にあっています
自分はその災害に対する防災設備の設置工事で長崎を訪れていました
そして、その時、長崎の原爆について同時に勉強しました
広島市出身の人間で親族に被爆者を持つ人間だからそれができましたが、他県の人間だったら原爆すら気づかなかったかもしれません
原爆について何も知識のない茨城出身のかみさんも新婚旅行の時に長崎の原爆資料館に連れて行きました
(当然、広島の平和公園や原爆資料館もかみさんや子ども達を連れて行っています)
災害などの被害は、テレビや新聞、写真で見ても恐いだけで、実感がわかなのが現実ではないでしょうか?
それが人間かもしれません
実際にその地に行って感じるしかありません
人間は病気でも事故でも何事も自分で体験しないと本当の危機感が湧いてこないような気がします
でも、今の自分たちには、少しでもそれを感じることが必要だと思います
メールやホームページやブログで、すべてが伝わるとは思っていません
でも、感じてもらえれば、興味を持ってもらえれば、まず、一つハードルを越えることはできると思います
何も言わないよりはましだろう
何も知らないで、平和を語れるはずはないのだから…
(2007年8月9日の手記を利用しました)
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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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そして、今日誕生日のすべての人へ
お誕生日、おめでとうございます!!
今日からはじまるこの1年が、ステキな毎日で満たされますように
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