12月22日は、自分の祖父の命日 | ☆ワシの終活☆

12月22日は、自分の祖父の命日

12月22日は、祖父の命日(1907年~2000年)


明治生まれの祖父


明治、昭和、平成を約1世紀、93歳まで生きました


長寿であったと思います


鳥取県の漁師町に育った祖父は長男


村の長の長男として育った彼は、エリートだったのでしょうか?


大学は都内の大学を卒業したと言うことです


その後は、大企業に就職し、鳥取(米子)、神奈川(鶴見)、そして、広島(市内)に来て、支店長となったようです


昔、幼少の頃、祖父の家に遊びに行っていた想い出がありますが、それは店と一体になっていた家だったように思います


祖父は、50歳になったときに車の免許をとったということらしいです


免許をとってからは、免許を返却するまで、車をいろいろ乗りこなしていました
(自分が生まれてから二十数年間)


スバル360、キャロル、コルト600、コルト1200、カローラ、カリーナ、シビック、軽自動車(車種が分からない)が最後だったと思います


祖父の車が変わる事が自分の楽しみだったと思います


高校を卒業して、すぐ免許を取らされたのは、そんな祖父の考えもあったのかもしれません


そして、祖父の趣味は、ゴルフと釣りと晩酌のビール


釣りは、猟師町に育ったということもあったのか、若い頃から好きだったように聞いています


主に海釣りで、磯釣りや船釣りだったように聞いています


釣りに没頭して、祖母を困らせたこともあったようです


釣りが好きなこともあって、祖父は私に、釣り道具をくれて、教えてくれました


自分が釣り好きなのも祖父の影響でしょう


そして、ゴルフ


これは、会社の付き合いもあったのでしょう


これも没頭して祖母を困らせた事があったようです


私が物心が付いた頃は、ゴルフに出かけることはなかったと思います


でも、それが、叔父やいとこに波及したのは間違いないと思います


自分もゴルフ道具は揃えましたが、やることはありませんでした


祖父が、家で夜、練習のためにやていた、パターの練習には、自分もよく参加したものです


そして、晩酌のビール


日本酒やウィスキーでは無く、ビールでした


毎晩、2本(いや多い時は3本もあったかな?)は飲んでいましたね


自分は飲めるようになったときは、いっしょに飲むようになりました


顔には出しませんでしたが、いっしょに飲めるのが楽しかったのだと思います


祖父が進んでお酌をしてくれました


そんな晩酌があり、酒の肴がよくテーブルに出ていたために、自分はそんな酒をつまむようになり、好きなものの一つをなったと思います


祖父にとっては、自分は初孫であり、一番手元に近い孫であったと言うこともあってか、しょっちゅう、いろいろな所に遊びに連れて行ってくれました


想い出深い所は、呉港だったと思います


何故だか、潜水艦をよく見せてくれました


そして、海水浴


自動車があるということで、家族旅行にも車で出かけました


祖父の故郷である鳥取や島根に向けての旅行が多かったと思います


そんな祖父は子煩悩であり、どんなに泣いている子供も祖父があやすと泣きやんでしまうということがありました


晩年は、祖母とともに痴呆が始まり、母の介護を受け、叔父夫婦の介護の後に、介護の病院に入って、一生を終えました


病院に入院中の祖父を叔父と共に、見舞ったことがありました


祖父は、すっかり、やせ細って、骨と皮だけになっていました


痴呆が進み、自分がわからない状態でしたが、握手した手の力が強く、その時はいろいろな思いがこみ上げました


その後、祖父は天に召されました


いろいろなことを教えてくれた祖父


おじいちゃん、ありがとう!!


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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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