「次男の治療生活」その10(口蓋裂)
9月16日の「次男の治療生活」その9の続き
これは、口蓋裂という奇形を伴って生まれた次男の治療日記です
1999年4月13日の昭和大学病院での診察の模様を妹にFAXしているので、記載します
(固有名称については一部変えてあります)
(日記ですので長文になっています)
(前後の文は省略してあります)
「(省略)
それから、母からは、自分達は7月に広島へ来ない方がいいと言われました
(次男)の手術のことを考えればもっともだと思います
そのかわり、母が7月か8月は、茨城に来たいとのことです
というのは、9月(次男)が入院し、(家内)が付き添いをして、母に(長男)のめんどうを見てもらおうと思っていますので、(長男)との生活に慣れたいという意味もあるようです
それも、おじさんの協力を得て母のすきなようにさせようと思ってます
それから、4月9日に(次男)が手術を受ける昭和大学病院で、口唇口蓋裂の母親学級がありましたので、参加してきました
参加者は全員で12~13名ぐらいだったと思います
それだけ、口唇口蓋裂の子供が産まれているという証拠です
母親学級が毎月1回なので、12ヶ月を通せばかなりの人数が関東地域で産まれているのでしょう
母親学級と言うことでしたが、父親の参加も問題無かったのですが、父親として参加したのは自分だけでした
(後でわかったのですが、外で待っていたお父さんが一名いました。何故、会議室に入って来なかったのだろう?)
世のお父様方は、仕事が忙しくて参加されないようです
ドイツでは、こういう場合父親の意識はどうですか?
日本では、父親の育児参加を促進するコマーシャルがあるぐらいです
まだまだ、父親の育児に対する認識が日本は低いのでしょう
非常に寂しいことです
(自分も十分育児に参加しているとは言えないかもしれませんが)
母親学級は、講習形式で、小児外科・小児科・言語・形成外科・看護婦から説明を受けました
内容は、いままで聞いたことと調べたことに少しプラスアルファー程度でした
ただ、入院の際の付き添いについては、みんなからいろいろ質問が飛び交いました
病院側は、なるべく入院する子供に対する付き添いを勧めます
それは、術後の経過を母親が良く見ておき、退院してからの状態の判断に役立てるためです
自分としては、一歳になった子供を病院に預けっぱなしにするのは非常にかわいそうであるので、はじめから付き添いを考えていました
(家内は大変ですが)
中には家庭の事情で付き添わない人もいるようでした
病院側は、家庭に残された他の子供に対する対処もあって、家族で付き添うかどうか話し合うことを勧めていました
自分は、その場で、(長男)については自分と母でフォローするつもりであることを言い切りました
(また、母に苦労をかけてしまうことになりますが)
会社も稼ぐということで大切ですが、やはり子供が一番です
母親がいない分、子供には精神的にストレスがかかると思います
母も完全な母親代わりはできません
その分、父親が時間を作ってフォローするのが当然でしょう
(育児休暇でも自由にとればいいのですが、日本社会には、まだ、それだけの土壌がありません。困ったものです。ドイツはどうですか?)
それから、今回の講習に集まった母親は皆、自分ですべてを抱えて思い詰めている人が多いことがわかりました
障害児に対する家族の協力は絶対なのですが
講習が終わってから、実際、入院する入院病棟の見学と患者である子供達とその家族に会いました
子供も家族もそんなに深刻になっておらず、あっけらけんとしたものでした
それに、術後、3日の子供達も私たちの前に出てくれました
試練は人を一回りも二回りも大きくさせるものでしょうか?
お母さんも子供も輝いて見えました
それから、今回集まった人たちで、住所交換をしました
みんなで頑張ろうという意味で
結局、当事者でなければ、その心境はわからないのかもしれません
(あなた)も身体障害者の子供を持つ家庭が近くにあれば、特別な目で見るのではなく、普通の気持ちで協力してあげてください
(省略)
以上」
口唇口蓋裂について、昭和大学病院にて、講習という形での母親学級はとても勉強になりました
ただ、そうではないと信じていますが、母親任せの家庭が多いのではないかと疑問をもつこともありました
広島への帰省について慎重だったのは、祖父母の認知症が進みいらぬ心配をさせたくなかったからでした
祖父母の認知症の介護と孫(次男)の手術と、このころ母も精神的にも肉体的にもつらい時だったと思います
(「次男の治療生活」その11(口蓋裂)へ続く)
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最後までお読み頂き
ありがとうございます♪
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そして、今日誕生日のすべての人へ
「お誕生日おめでとう!!」
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