(戦争と平和)その6 8月9日長崎
長崎県には姪が広島市から嫁いでいる
そんな関係以外に長崎には想い出がある
長崎の夜景は、稲佐山から見る夜景が一番だというが、そんな事はないと思う
もう十数年前になるだろうか、防災の関係で長崎港を挟んで稲佐山の向かいにある英彦山に土木工事で登った事がある
夜までかかった工事の合間に見た星空と町の夜景がものすごく綺麗で癒された
残念ながらその時の写真は残っていないが、いい想い出として心の中に残っている
そんな長崎市に、64年前の8月9日11時3分、原爆(ファットマン、プルトニウム型、ちなみに広島市に落とされた原爆はリトルボーイ、ウラン型)が炸裂した
長崎の平和公園や原爆資料館は、当然、見に行った
今の長崎から想像できない写真が多くあって、衝撃をうけた
広島で原爆資料館を散々見ていてもだ
今の長崎は、その当時の面影も無く、いい町になっている
長崎チャンポン・長崎皿うどんはおいしいし、横浜みたいな規模ではないが中華街がある
長崎ならではの卓袱(しっぽく)料理(和洋中を取り混ぜた料理)
そして、長崎と言えばカステラ
文明堂じゃないよ
長崎カステラの原点と言える「松翁軒」の手作りカステラ
グラバー邸、大浦天主堂、諏訪神社、出島…、西洋と東洋の接点でもあった長崎
坂本龍馬率いる海援隊の拠点でもあった
さだまさしの飛行館もあるねえ(結局入れなかったけど)
残念ながら、戦争中は、軍艦を作る造船の町でもあった
戦艦「武蔵」が造られたのはこの地である(戦艦「大和」が造られたのは自分の街広島市の隣の町呉市)
その長崎市も、その後、長崎市の中心地(繁華街)である思案橋が1m以上もの水に浸かってしまう災害(土石流)にあっている
自分はその災害に対する防災設備の設置工事で長崎を訪れていた
そして、その時、長崎の原爆について同時に勉強した
広島市出身の人間で親族に被爆者を持つ人間だからそれができたが、他県の人間だったら、原爆すら気づかなかったかもしれない
原爆について何も知識のない茨城出身のかみさんも新婚旅行の時に長崎の原爆資料館に連れて行った(当然、広島の平和公園や原爆資料館も子ども達を連れて行っています)
災害などの被害は、テレビや新聞、写真で見ても恐いだけで、実感がわかない
それが人間かもしれない
実際にその地に行って感じるしかない
人間は病気でも事故でも何事も自分で体験しないと本当の危機感が湧いてこない
でも、今の僕たちには、少しでもそれを感じることが必要だ
メールやホームページやブログで、すべてが伝わるとは思っていない
でも、感じてもらえれば、興味を持ってもらえれば、まず、一つハードルを越えることはできる
何も言わないよりはましだろう
(2007年8月9日の手記を利用)
