7月20日は、元プロ野球選手(広島東洋カープ)の命日 | ☆ワシの終活☆

7月20日は、元プロ野球選手(広島東洋カープ)の命日

7月20日は、元プロ野球選手(広島東洋カープ)津田恒美(1960年8月1日~1993年7月20日)の命日


<わし の ひとりごと>-20090720ストッパー津田(1)

「ツネゴン」こと津田恒美選手は、自分にとってヒーローだ


彼は自分と同い年でもあるから


1981年のドラフト1位で広島東洋カープに入団したとき凄い奴が入ったものだと思った


その頃、自分は故郷を離れて、不慣れな関東(千葉の田舎だが)に上京し、勉学に励んでいたころだ


そんな時、彼のがんばりが、自分の心のよりどころでもあった


先発投手として11勝6敗の成績を残し、球団初の新人王に輝いた1年目の1982年は、津田投手を見に球場(特に横浜)に足を運んだものである


プロ入り初勝利した、対横浜大洋ホエールズ戦(横浜スタジアム)(1982年4月29日)も観戦した


真っ向勝負の彼のストレートが好きだった


彼の躍り上がる投球フィニシュ好きだった


人なっつこい笑顔が好きだった


そして、彼が先発からリリーフに転向しても、応援は続く


今の人は、クローザは永川投手と言うかもしれない、また、クローザとして名を残しているのは大野豊や江夏豊かもしれない


でも、自分の中で、一番は『炎のストッパー』と形容された津田恒美選手である


<わし の ひとりごと>-20090720守護神ツネゴン真夏を止めろ(5)

そんな津田が、病魔に冒されてたとは全然わからなかった


いつの間にか、相手打者に敢然と立ち向かう彼の姿が無くなり、いつの間にか、亡くなっていたのが、自分の記憶である


同い年であるからこそ、その死が惜しまれる


でも、彼の精神が今のカープの選手に伝わって行くことを信じている


そして、「直球勝負 笑顔と闘志を忘れないために」と刻まれたメモリアルプレートを一度触れてみたい


ありがとう「ツネゴン」、忘れません君のことは


<わし の ひとりごと>-20090720津田恒美サインボール
(津田恒美のサインボール(15番))


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