昨日の誕生日は誰?(ある元プロ野球選手の)
明日は、広島東洋カープの元祖鉄人衣笠祥雄(今の鉄人は阪神の金本らしいが…、背番号28たっだのは衣笠だ)
私がカープを気にするようになったのは、小学校から中学校の頃、根本(1972年)、別当(1973年)、森永(1974年)のカープ三年最下位のころだったと思う。
その頃のカープは、5月の鯉のぼりの時期までは元気がいいのだが、それを過ぎると、下位に沈み、シーズン終了まで、その当時の大洋と5位争いをするチームだった。
私も、そんなカープの姿が当たり前だと思っていて、優勝はおろかAクラスも考えもせず、いつも大洋との勝率を気にして新聞(当時は、中国新聞)を見ていた。
カープに対しても、個人の成績はあまり関心が無く、衣笠よりも、外木場や安仁屋しか知らなかった程度。
家族は、市民球場に率先して行くようなことも無かったので、私も市民球場はほとんど行くことはなかった。
それが、1975年にいっぺんして、変わってしまった。
5月が過ぎても、沈まないカープ。
オールスターで、山本浩二・衣笠が、2打席アベック連続ホームランをかっ飛ばしたものだから、火がついた。
市民球場もオヤジの仕事の関係で、バックネット裏の中国新聞の席に招いてもらい観戦したもの。
その時、衣笠のバッターボックスの姿を間近で見た。
山本浩二はシャープなスイングであったが、衣笠はともかくフルスイング。
ブンという音が聞こえて来るほどだった。
そのフルスイングでも、結果は三振やゲッツーの印象が強い。
衣笠が打席に入ると何かチャンスがしぼんでしまう感じがしたもの。
でも、結果的には、その年、5番、打点71、打率276、本塁打21本、盗塁18という、走攻守そろった結果で優勝に貢献したのだから凄い。その当時、衣笠さん28才。
それから、浩二と共に赤ヘル軍団の中心打者として、貢献したこと言うまでもないことだろう。
衣笠がいたから、浩二が活躍できたものと信じている。
「若い者にはまだまだまけないぞ~、かっとばせ~、さちお!」なんて、応援歌ができたのは、浩二や衣笠は最初だったのでは?
今は、当たり前になっているが、「浩二」、「さちお」と名前で呼ぶのは彼らが最初ではないか?
今年、カープの中心バッター栗原健太は、27才になる。かつての山本浩二・衣笠祥雄のようなコンビができて、カープを上昇軍団に導いてほしい。
コンビとなる相手は、喜田か?嶋か?いやいや、新入団の岩本に期待したい。
かつて、10年間、カープの主軸が変わらなかったように。
そして、この日誕生日のすべての人に「誕生日おめでとう」