挨拶議論 | 椿五十朗

椿五十朗

雇われプロデュサーの覚書

 

 挨拶をするしない論争があるらしいが下らん。

 

宗教と同じで強要しなければそれでよい。

 

ただ「おはようございます」と言われて気が付いているのに、しないというのは、

 

気持ちの良いものではない。

 

親が挨拶をしているのを見て育った子と、そうでない子の違いであり、

 

育ちの問題だろう。

 

だれかのブログに「感情のこもっていない挨拶ならしない方がまし」と

 

記載してあったが、そんなの屁理屈で、ただの面倒くさがり屋か、

 

人と違う意見を提示して目立ちたい天邪鬼か。

 

俯瞰で両者の意見を見ると、では、そもそも「感情のある挨拶とは?」と思ってしまう。

 

「感情のある、ナシをどの点で線引きしている?」ということも見えてくる。

 

両親が「いってらっしゃい」と私に行っても、

 

感情をこめて「行ってきます」と返した覚えはない。

 

コンビニの店員が感情をこめていちいち言っている訳がない。

 

感情をこめて言っているのはオープンしたてのコンビニの店長だけだ。

 

TDRにしても同じこと。

 

ただの社交辞令であり、コミュニケーションツールなだけだ。

 

「それに挨拶ができない人間は仕事ができない」という声もあるが、

 

そうも思わない。

 

オタク気質が多く、社交性が乏しいので、

 

しっかりとした挨拶は出来ないかもしれないが、

 

協調性を伴わない仕事はできるかもしれない。

 

ただし人の上には立てなく、チームリーダには不向きというだけの話だ。

 

 

 初台の朝のホームは混んでいて、エスカレーターの左側に立つ列が長くできる。

 

反対方向から歩いて来られる方のために、少し空間を作ってあげると、

 

黙ってスマホを見ながら割り込む輩もいるが、軽く会釈をして入ってくる方もいる。

 

どちらが気持ちが良いといえば言うまでもないだろう。

 

私は「いらっしゃいませ」と言えないような店で気持ちよく食事することは出来ない。

 

それだけの事である。

 

 

 先週末はMiccaちゃんと彩香ちゃんが練習に来た。

 

火曜日には小垣さん。

 

7月には久々のリハーサルがあるので、皆さん、コーラスやソロ曲の確認をしに来る。

 

歌というものは時間が経てば自分なりの歌い方に戻ってしまう。

 

そういう意味では、修正が度々、必要になる。

 

楽器も同様。

 

 練習後は、トンカツを揚げた。

 

2人とも完食をしてくれたが、2人が帰った後、私は「鯖の塩焼き」を食す。

 

「まいばすけっと」で買ったものだが、新鮮な魚とは言わないまでも、

 

やはり魚は生姜や大根おろしを添えても、それなりに生臭い物である。

 

最近は、少しうんざりしてきたし、思い込みなのだろうが「肉」を食べないと、

 

力が出ないような気がしてくる。

 

不思議なものであるな。

 

「鰻」を食べて元気が出るのは理解できるが、本当に、

 

どれくらいの効果が身体にあるかは不明である。

 

それ以前に「鰻を食べた」という事実が元気の源なのではないかな??

 

そろそろ、みんなを誘って鰻の出前でも取る時期であるなぁ~。

 

「赤垣」の鰻はコスパも良く、やわらかでギリギリの甘さで食べやすい。

 

 

7月おリハが終わったらみんなで食べようと思っている。

 

今夜のおじさんの食事は、食欲が低下しているのでお弁当は無し。

 

久々にコンビニで「蕎麦」を購入してきた。

 

 

月末には、「焼肉」でも食べたいものであるな。

 

来週は「健康診断」であるので2日前くらいから、食事に注意をしようと思っている。