外食 | 椿五十朗

椿五十朗

雇われプロデュサーの覚書

 

  最近はYOUTUBEのIKITERUさんをよく見ている。

 

韓国の方の日本での動画だが、美味しそうに(若干オーバーだけど)

 

食事をしていらっしゃる。

 

「ゴチになります」がスタートしたころは実家で夕飯を食べていたが、

 

母も姉も「ここ行ったけどそれほどでもなかった」と連発していた。

 

私は行ったことのない店ばかりであった。

 

ファミレスに行ったことのあるのが私だけという特殊な家族である

 

私が友人に紹介するお店のほとんどは母親か家族からの受け売りなのだが、

 

殆ど、みんなを連れて行ったな。

 

その中でも、思い出深いのは

 

彩香ちゃんと行った「野毛おでん」と「萬珍樓」

 

美佳ちゃんと行った「かつ吉」、まだ彼女が海老を食べれたころだったな。

 

 

 

美緒ちゃん達と行った「磯勘」

 

 

 

 

知幸ちゃんと行った「「鳥ぎん 本店」

 

 

 

美咲ちゃんと行った「資生堂パーラー」

 

 

 

RENAちゃんの送別会をした「鳥竹総本店」

 

 

 

最近のお気に入りは松尾さんと行った「ほてい屋」

 

 

 

人が「おいしい」と言っている顔が好きである。

 

 

 私が子供の頃は、外食する文化が根付いてなく、

 

おなか一杯食べることが庶民の幸せであり、

 

味は二の次だった。

 

今は、どこへ行っても、フランチャイズでも、

 

ある程度うまいので安心である。

 

20代のころの回転寿司と言ったら、テーブルが生臭く、回っているネタは

 

干からびていて、とても食えるものではなかった。

 

お袋とは小田急デパートへ行くことが多く、

 

うなぎの「双葉」や、トンカツの「和幸」でよく食べて帰った。

 

 

 

親父とは、新宿で映画を見た後「スエヒロ」でステーキ、

 

当時はビフテキといったな、洋食の「小川軒」、代々木の「南国酒家」。

 

 

 

 ご馳走というと帝国ホテルのビッフェ(当時はバイキング)、

 

 

ニューオータニのバイキング。

 

 

この40年間の企業努力ってのは凄いと思う。

 

初台にある、適当なお店に入っても、殆どが美味い。

 

良い時代であるな。この中でどうしてももう一度食べたいものはと聞かれたら、

 

「鳥ぎん 本店」の「つくね」か、「磯勘」の「あなご」かな。

 

 

 

最近は魚中心の食事をしているのでストレスが溜まっている。

 

リハーサルの後ではなく、のんびりと食事をしに行きたいものだ。