永遠にヒロシマの二番手のナガサキ、浦上天主堂(長崎の原爆ドーム)も長崎原爆PTSDも放棄
キリスト教国のアメリカが東洋最大と言われた浦上天主堂に原爆を落とした。
がれきを残しておけば広島原爆ドーム以上に核の悲劇・恐怖の象徴となったろうが
何者(アメリカだろう)かの巧妙な誘導で、長崎市長自身ががれきの全てを撤去した。
放射能被害も爆心地から放射線状に被爆地が広がったヒロシマが基準となり、ナガサキの
放射能被害はあいまいなものになった。
PTSD概念が日本で認められたときに、原爆PTSD調査をナガサキ(金吉晴が指導)がヒロシマ(飛鳥井望が最後に責任者)に先んじて実行した。
ヒロシマ原爆PTSDアンケート調査は2012年まで粘ったが成果なし。
ナガサキ原爆PTSDアンケート調査は2010年に長崎大学が放棄。
私の広島長崎原爆複雑性PTSD薬物キュア(治療)研究だけが残った。
2005年 朝日新聞 第二次広島原爆PTSDアンケート調査
2006年 広島原爆複雑性PTSD症例報告