大事件に遭遇した人々を報道することの重要性、安倍晋三のDPAT(DMAT)消滅 | 精神科医ブログ、長崎広島原爆・福島原発・コロナ・第二次大戦・北朝鮮ロシア核・児童虐待・DV・レイプ複雑性PTSDの薬物療法

大事件に遭遇した人々を報道することの重要性、安倍晋三のDPAT(DMAT)消滅

軍隊と戦争という存在は人間に「死」を強要する。
だからこそ、とりわけ兵士の「メンタルヘルス(士気)」に神経質である。神経質でない軍隊は敗北するから。
第二次大戦のアメリカ軍を取り上げた書籍に、前線の部隊の兵士(死ぬかもしれない人たち)が、戦時報道で自分たちの部隊が取り上げられるか否かに異常なほど神経過敏だった様子が描かれている(死の恐怖を抱えた自分たちが誰にも知られないままに死にたくない)。従軍記者は兵士にとってのヒーローだったと。

安倍晋三(原子力マフィアで福島原発事故放射能恐怖トラウマPTSDを連想するものはことごとく潰して回る)が2014年DPAT(災害時精神医療)発足と同時に起きた、広島市土砂災害→御嶽山噴火→白馬村地震で指示した「DPAT・DMAT・被災者の報道停止」「DPATの出動停止」は「災害時メンタルヘルスの最悪化」である。

とりわけ酷かったのは、2016年植松聖による津久井やまゆり園大量殺人のメンタルヘルス停止である。

当時の目撃者は「端が見えないほどの救急車両列」と伝えたが、関係者のメンタルヘルスは安倍晋三に圧殺された。

これから長く関係者の遅発性晩発性複雑性PTSDの発病が人知れず続くだろうが、精神科医は診断しないことが役割である。