体育祭、象徴としての「踊り」、無意識との交流(ラポール形成)における「動作」 | 精神科医ブログ、長崎広島原爆・福島原発・コロナ・第二次大戦・北朝鮮ロシア核・児童虐待・DV・レイプ複雑性PTSDの薬物療法

体育祭、象徴としての「踊り」、無意識との交流(ラポール形成)における「動作」

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私たちの学校教育では「踊り」という要素が一番衰退した時期だったか。最近の子どもの「踊り」を見ると文化的な伝統の延長ではないが、しっかり自分たちのものになっているようである。

多重人格(PTSD)との診察では通常の「言葉」による交流は「交代人格」にはほとんど届いていない。電子カルテだけ見て顔を見ないというのも論外だが、パソコン画面で脳の部位やモノアミン仮説を丁寧に説明する精神科医もアホと同じである。
こちらの「表情」や会話の「間(ま)」で情報伝達をするが、「動作」も大事である。かなり本気で診察すると「踊った」ような感じがする。「あの薬が、この薬が」に対する軽蔑を示す時には、よく両手でザルの形を作って見せつける。最後はこれに盛るほどの多剤併用大量殺人処方になるだけだと。