宮本武蔵は晩年を熊本で過ごしました。
57歳の時に肥後藩主細川忠利公の客分として招かれ、軍事顧問として仕えることになります。忠利公没後に金峰山西麓の霊巌洞(れいがんどう)で「五輪書(ごりんのしょ)」を著したことは有名です。その後、正保2年(1645年)に62歳で没しています。
武蔵は生前の遺言によって主君の参勤交代を見守るため、甲冑(かっちゅう)に身を固め立見の姿でこの地に葬られたといわれています。ここが現在の武蔵塚公園(県道337号線沿い)です。
6年前のことですが、チェコの大学教授夫妻(二人とも教授)の来熊のお世話をしたことがありました。その夫妻とレストランで食事をしている時のことです。壁に「武蔵野-MUSASHINO」と書かれたタペストリーがかかっていました。
それを見た男性教授が「これはどういう意味ですか?私は宮本武蔵が大好きです。この言葉は関係ありますか?」とのこと。武蔵とは関係ない旨を伝えたうえで、理由を聞くと、なんと息子さんはチェコで合気道の道場を経営していて、その息子さんが合気道の指導を受けるために来日した際に武蔵を知り、敬愛するようになったそうです。その影響を受け、男性教授も興味を持つようになったとのこと。
「実は偶然ですが、すぐ近くに武蔵が眠る地があります」と私が告げると、予定を変更してぜひそこへ行ってみたいということになり、直行したのがこの武蔵塚公園です。
息子に自慢ができると、嬉しそうに写真を何枚も撮られていました。後日、記念にと思い「五輪書」の日本語と英語が併記された解説書をお送りしたら、これにも大変喜ばれたことを思い出します。
武蔵像01
武蔵像02
武蔵塚01
武蔵の墓は他に熊本市内に数か所、熊本県外にも数か所存在します。
「対訳・五輪書」






























































