これは熊本市中央区上通町の手取天満宮にある見事なイチョウです。ご神木であり、 「日露戦役出征記念献木」と銘打たれています。
佐川官兵衛という人物は、京都守護職であった松平容保のもとで、藩校京都日新館の奉行と別撰組、諸生組の隊長を兼務し、慶応4年(1868年)1月に勃発した鳥羽伏見の戦いでは孤軍奮闘、刀が折れ右目の上に銃創を負っても平然と指揮を続けたことから、鬼官兵衛の異名をとるようになったそうです。
その後、東京警視庁の麹町警察署長職にあった明治10年(1877年)2月に西南の役が起こるや、豊後口(ぶんごのくち)警視隊副指揮長として阿蘇の南郷谷(南阿蘇村)へ出世します。
佐川隊は3月18日未明に旧白水村(南阿蘇村)から出動し、この地で薩軍に遭遇します。鬼官兵衛は薩将と切りあううちに胸に被弾して倒れます。享年48歳でした。
「君がため 都の空を打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる」という辞世がこの地の石碑の側面に刻まれています。
永山橋(ながやまばし)は熊本県指定の重要文化財です。菊池水源で有名な熊本県菊池市の菊池川の上流に架かる石橋で、昔は肥後と豊後を結ぶ交通の要路であり、交易の上で重要な意義を持つ橋でした。
旧永山橋は現在の位置より130m下流に架かっていましたが、文政12年(1829年)の洪水で流失しました。現在の橋は明治11年(1878年)に完成したものです。
丸型の欄干などに名工である勘五郎の手法が見え、学術的にも貴重なもののようです。
架橋 旧が文政7年(1824年)、新が明治11年(1878年)
石工 旧が小板勘五郎、新が橋本勘五郎
橋の長さ 61.0m
橋の幅 4.6m
橋の高さ 16.0m