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南阿蘇の山小屋ブログ

「水の生まれる里」熊本県阿蘇郡南阿蘇村の山小屋より、UFO(?)や空模様などの情報を発信しています。また、温故知新の精神で熊本県内での身辺雑記や自然との出会い、簡単な読書と映画の感想も書いているブログです。

これは熊本市中央区上通町の手取天満宮にある見事なイチョウです。ご神木であり、 「日露戦役出征記念献木」と銘打たれています。






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12月10日(月)、南阿蘇村の晴れの記録です。撮影時間の9時は気温0度でした。






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凍り付いているミズゴケ






熊本県玉名郡の南関町(なんかんまち)にある麻扱場橋(おこんばばし)は、内田川に架かっていた石橋で、平成5年に圃場整備に伴う河川改修により解体撤去後、大津山公園内に移転復元されたものです。


橋名は昔、内田川で麻のさらしが行われていて、この橋の近辺を麻扱き場(おこきば)と呼んだことによるものだそうです。


架橋  明治初期(1872年)頃

石工  不明

橋の長さ     9.7m

橋の幅      2.8m

橋の高さ     4.7m





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麻扱場橋012003/05/20






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佐川官兵衛という人物は、京都守護職であった松平容保のもとで、藩校京都日新館の奉行と別撰組、諸生組の隊長を兼務し、慶応4年(1868年)1月に勃発した鳥羽伏見の戦いでは孤軍奮闘、刀が折れ右目の上に銃創を負っても平然と指揮を続けたことから、鬼官兵衛の異名をとるようになったそうです。


その後、東京警視庁の麹町警察署長職にあった明治10年(1877年)2月に西南の役が起こるや、豊後口(ぶんごのくち)警視隊副指揮長として阿蘇の南郷谷(南阿蘇村)へ出世します。


佐川隊は3月18日未明に旧白水村(南阿蘇村)から出動し、この地で薩軍に遭遇します。鬼官兵衛は薩将と切りあううちに胸に被弾して倒れます。享年48歳でした。


「君がため 都の空を打ちいでて 阿蘇山麓に 身は露となる」という辞世がこの地の石碑の側面に刻まれています。






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佐川官兵衛






12月3日(月)、9時ごろの南阿蘇村の空模様です。このあと雲がどんどん広がり、太陽を完全に覆い隠す曇天の一日でした。







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熊本県上益城郡の御船町(みふねまち)にある下鶴橋(しもづるばし)は、東京の二重橋や日本橋をはじめ、数多くの名橋の架設で天下にその名を知らしめた橋本勘五郎、弥熊父子によって明治15年(1882年)10月から明治19年(1886年)10月までの4年間を費やして架けられた眼鏡橋です。


架橋  明治19年(1886年)

石工  橋本勘五郎、弥熊父子

橋の長さ     23.6m

橋の幅       6.4m







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ムラカミのワンコインで晴耕雨読


第27回

「何があっても大丈夫」

櫻井よしこ(著)


桜井さんもお母さんも、まさに波乱万丈の人生です。そんな中、お母さんは素晴らしい人生観を持たれた方で、まさに尊敬に値する人物です。




試練のとき皆に対し、「どんなことでも、乗り越えてやっていくことが出来るモノよ、なにがあっても大丈夫よ」という言葉をかけられます。どれだけ励みになったことでしょう。




これから結婚する人たちに、ぜひ読んでいただきたい一冊です。






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南阿蘇の山小屋ブログ-「なにがあっても大丈夫・・・」
「なにがあっても大丈夫・・・」







昨日、午前7時30分頃の南阿蘇村のとても寒かった晴れ模様です。






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当時、日露戦争の勝利に沸いた日本では戦勝記念として、全国に従軍記念碑が建造されました。この熊本県八代市の日奈久町(ひなぐまち)の記念碑もその一つです。


建設当時は頂に金鵄(きんし)がのっていましたが、太平洋戦争末期の金属回収令により取り外され、現在の形になっているようです。





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日露戦争従軍記念碑







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昭和初期の記念碑の様子







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記念碑に見えてしまう広告物







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記念碑に見えてしまう住居






永山橋(ながやまばし)は熊本県指定の重要文化財です。菊池水源で有名な熊本県菊池市の菊池川の上流に架かる石橋で、昔は肥後と豊後を結ぶ交通の要路であり、交易の上で重要な意義を持つ橋でした。


旧永山橋は現在の位置より130m下流に架かっていましたが、文政12年(1829年)の洪水で流失しました。現在の橋は明治11年(1878年)に完成したものです。


丸型の欄干などに名工である勘五郎の手法が見え、学術的にも貴重なもののようです。


架橋  旧が文政7年(1824年)、新が明治11年(1878年)

石工  旧が小板勘五郎、新が橋本勘五郎

橋の長さ     61.0m

橋の幅       4.6m

橋の高さ     16.0m






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永山橋012003/05/03







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