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南阿蘇の山小屋ブログ

「水の生まれる里」熊本県阿蘇郡南阿蘇村の山小屋より、UFO(?)や空模様などの情報を発信しています。また、温故知新の精神で熊本県内での身辺雑記や自然との出会い、簡単な読書と映画の感想も書いているブログです。

6月6日(木)は、花咲盛のNPO法人化に向けての打合せのため、東海大学の藤井教授と的場准教授とともに花咲盛で宇野ご夫妻にお会いしました。



今回、その合間に撮影した野草はベニバナヤマシャクヤク、ヤマトキソウ、キジカクシ、バイカウズキです。残念ながら、ハナシノブはまだ開花していませんでした。



しかし、帰路で奇跡が起きました。場所はお教えできませんが、的場准教授がハナシノブを発見したのです。そこは私にとって、身近な場所なのでびっくりしました。無断採取されないことを祈るばかりです。




南阿蘇の山小屋ブログ-ベニバナヤマシャクヤク

ベニバナヤマシャクヤク



南阿蘇の山小屋ブログ-ヤマトキソウ

ヤマトキソウ




南阿蘇の山小屋ブログ-キジカクシ

キジカクシ


南阿蘇の山小屋ブログ-バイカウズキ
バイカウズキ



南阿蘇の山小屋ブログ-ハナシノブ130606-1

ハナシノブ


南阿蘇の山小屋ブログ-ハナシノブ02

ハナシノブ




南阿蘇の山小屋ブログ-ハナシノブ03
ハナシノブ




熊本県山鹿市にある鍋田横穴群は、菊池川と岩野川が合流している場所で、岩野川の西側の切り立った崖面に横穴が60基掘られています。


穴の形が家のように見えるので、人が住むところと考えられていたと時代もありましたが、現在では古墳時代末期の墓ということが分かっています。横穴は凝灰岩(ぎょうかいがん)の崖に掘られています。凝灰岩は岩石のなかでは軟らかく、鉄のみで少しずつ岩を削って、家の形をした大きな穴を完成させています。


大正11年(1922年)に国指定の史跡になっています。


特に27号横穴の図像が有名で、入口に一番近い場所には人物が彫られています。人物は両手を真横に上げ、両足も大きく広げていて、「大」の字の形に似ています。これらの文様を見ていると、墓をつくった人が、死んだ人を大切に思い、邪悪なものから死者を守るために願いをこめながら、描いた様子が目の前によみがえってきます。 (熊本県HPより)







南阿蘇の山小屋ブログ-鍋田横穴01


南阿蘇の山小屋ブログ-鍋田横穴02


南阿蘇の山小屋ブログ-鍋田横穴03


南阿蘇の山小屋ブログ-鍋田横穴04


南阿蘇の山小屋ブログ-鍋田横穴05


南阿蘇の山小屋ブログ-鍋田横穴06

熊本県宇城市三角町にある三角西港(みすみにしこう)は、明治17年(1884年)から3年の歳月をかけて築港され、かつ町全体に海水を導入して浮町とするために石積み水路が設けられました。石積み水路は完成したものの、海水が全ての水路まで届かず本来の機能を発揮できなかったようです。


水路の曲がり角のカーブなどは、当時の最先端の工法で作られています。平成14年(2002年)に国の重要文化財に指定されました。






南阿蘇の山小屋ブログ-三角西港史跡01


南阿蘇の山小屋ブログ-三角西港史跡02


南阿蘇の山小屋ブログ-三角西港史跡03


南阿蘇の山小屋ブログ-三角西港史跡04


南阿蘇の山小屋ブログ-三角西港史跡05

南阿蘇の山小屋ブログ-三角西港史跡06

平成25年5月29日水曜日から、石川県七尾市で開催されている「世界農業遺産国際会議」において、「阿蘇の草原の維持と持続的農業」が、新たな世界農業遺産として認定されました。


国際会議には、蒲島知事はじめ阿蘇地域の全市町村長ら推進協議会のメンバーが参加、蒲島知事、宮本健真氏、大津愛梨氏がプレゼンテーションを行い、高く評価されました。(熊本県HPより)





南阿蘇の山小屋ブログ-阿蘇市波野(4月)

阿蘇市波野(4月)






南阿蘇の山小屋ブログ-南阿蘇村久木野(4月)
南阿蘇村久木野(4月)






南阿蘇の山小屋ブログ-南阿蘇村白水(4月)01
南阿蘇村白水(4月)






南阿蘇の山小屋ブログ-南阿蘇村白水(4月)02
南阿蘇村白水(4月)





南阿蘇の山小屋ブログ-南阿蘇村白水(4月)03
南阿蘇村白水(4月)






5月27日(月)は、とても風が強い一日でした。





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ワンコインで晴耕雨読


第34回

「私の男」

桜庭一樹(著)


まず、腐野花(くさりのはな)という登場人物の名前が印象的です。腐野という姓が実在するか調べられた方がいたそうで、結果はなかったということです。


内容は親子で恋をし、親子で殺人の共犯者という、異常な世界を描いた小説です。つらい内容ですが、作者の文章力でしょうか、最後まで読み切ってしまいました。









南阿蘇の山小屋ブログ-私の男01


南阿蘇の山小屋ブログ-私の男02

この建物は大正14年(1925年)安田銀行(現富士銀行)山鹿支店として建てられました。昭和7年(1932年)から48年(1973年)までの41年間は肥後銀行山鹿支店として使われ、その後は山鹿市が譲り受けています。


当時、山鹿における洋館の第1号だったようです。







南阿蘇の山小屋ブログ-旧安田銀行山鹿市店01


南阿蘇の山小屋ブログ-旧安田銀行山鹿市店02


南阿蘇の山小屋ブログ-旧安田銀行山鹿市店01

池田質屋は山鹿の質屋第1号です。道に面した店舗は江戸末期の建築で、住居部分は明治33年(1891年)に増築されたようです。


平成15年の復元工事中に店舗の木戸、柱、軒の垂木などに弁柄が使用されていたことが判明したそうです(赤丸は垂木のベンガラ)。


※ベンガラとは、江戸時代にインドのベンガル地方から輸入した赤い顔料。







南阿蘇の山小屋ブログ-旧池田質屋01






南阿蘇の山小屋ブログ-旧池田質屋02






南阿蘇の山小屋ブログ-旧池田質屋03






南阿蘇の山小屋ブログ-旧池田質屋04






熊本県山鹿市の八千代座は、明治43年に建築の江戸時代の伝統的な芝居小屋の様式を今に伝える芝居小屋です。八千代座を設計し、工事監督をしたのは、回船問屋の主人で灯籠師でもあった木村亀太郎です。



建築には素人でしたが、研究熱心で東京の歌舞伎座や各地を見学、さらには上海に渡り洋式工法の長所も取り入れました。昭和40年代になると庶民の娯楽が多様化し、八千代座は時の流れの中に取り残されていきます。



朽ちかけていく八千代座に一番心を痛めたのは、華やかだった頃を知るお年寄りでした。老人会は、「瓦一枚運動」という募金により、屋根瓦を修復します。この運動に刺激を受けた若者も、復興へ向けての様々な活動を始めました。その後昭和63年に国指定の重要文化財にされました。



平成2年から市民の手づくりで行われた「坂東玉三郎舞踏公演」では、華麗に舞う玉三郎の舞台のすばらしさに観客は魅せられ、この公演が復興への大きな追い風となり、八千代座の名前を全国に広めることになりました。(八千代座HPより)





南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座01


南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座02


南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座03


南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座04


南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座05


南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座の近くのおしゃれなトイレ
八千代座の近くのおしゃれなトイレ






南阿蘇の山小屋ブログ-八千代座の玉三郎公演のポスター
八千代座の玉三郎公演のポスター