南阿蘇村の隣の高森町にある史跡で、お地蔵様が6体並ぶのではなく、塔の六面にお地蔵様が書き込まれているものです。
説明には、「文明年間(1469~1487年)に建立されたもので当時の日本では天下をあげて応仁の乱の渦中にあり、九州の各守護大名もその戦雲の中に紛れていた。そのような不幸な時代、村の庶民達は、よりよき平和な時代を夢に託しながらこの六地蔵を建立したものだろう」とあります。
六地蔵は、仏教の六道輪廻の思想(全ての生命は6種の世界に生まれ変わりを繰り返すとする)に基づき、六道のそれぞれを6種の地蔵が救うとする説から生まれたものだそうです。
応仁の乱は、細川勝元(東軍)と山名持豊(西軍)とが、1467(応仁1)年から11年間、京都を中心に続けられた戦乱でした。
色見六地蔵

