『小千谷文化』第240号令和3年7月から249号令和6年8月まで発行された10冊の号。

表紙写真作成および各集落の郷土原稿担当は小野坂頼甚。
◎主題『小千谷地域の起源』
◎副題「村落空間の復元的研究」と「〈研究ノート〉―表紙写真とその周辺―『令和版 小千谷市史』の提唱」
[『小千谷文化』(特別編/インターネット配信編)/編集発行責任者小野坂頼甚]として、表紙写真・『小千谷地域の起源』のもくじと各項を掲載します。
発行所小千谷市総合文化協会『小千谷文化』編集委員会 ――

『小千谷文化』第240号発行日令和3年7月末日
表紙写真とその周辺――『令和版 小千谷市史】の提唱昭和の『小千谷市史』を刷新する☆新説―身分的多元性」と「家の表」の概念☆広域で読み解く「わがむら」の文化的空間~古文書・古絵図・地名・家・信仰と歴史地理学から見た地域の成り立ち~わがまち・わがむらの〜地域史の位置づけと現状〜
●〖「小千谷組」の概念と広域性〗
小千谷地域の中心は河戸と川端通り〜「小千谷村を地域の中心とした昭和の『小千谷市史』を質す」〜
一、大肝煎平沢藤左衛門と川奉行西巻傳衛門
ニ、大肝煎・割元・大庄屋に見る地域空間
三、大肝煎平沢藤左衛門
四、「家」と「家の表」の概念
・「西巻平澤系図」ほか
●〖薮川にみる千屋郷のはじまりと惣大宮司職〗
〜藪川の地名と文化的空間を読み解く〜
一、古代藪川と吉谷の文化的空間
ニ、藪川総大宮司と中世の鰐口
三、藪川村に関わる古文書紹介
四、藪川村と身分的多元性
・「古文書・宇都宮神社鰐口模写」ほか
●〖古絵図・地名・家から見た池ヶ原の姿〗
半世紀経た昭和版『小千谷市史』を質す
〜池ヶ原は「下人のむら」ではない〜
一、池ヶ原と垣之内
二、池ヶ原の信仰と集落の成り立ち
三、池ヶ原に関わる古文書の紹介
四、池ヶ原にある地名「軽井沢」
・「池ヶ原村古絵図」・「池ヶ原村天和検地帳写」
●〖絵図・地名・家・信仰と吉谷の歴史空間〗
〜郡殿信仰は明治から始まった〜
一、地域の阿弥陀信仰
二、吉谷二俣に見る信仰と修験道の関係
三、修験の歴史
四、吉谷郡又の白山と信仰
五、吉谷七軒百姓
六、茶合(郷)とは
〜白山信仰と御朱印領に繋がる地〜
・「吉谷村鍋屋敷周辺古絵図」・「二俣白山社祭ニ付」ほか
『小千谷文化』第241号発行日 令和3年12月 末 日
発行所 『小千谷文化』編集委員会
小千谷の起源
真人〜五つ塚〜「池ケ原」〜吉谷〜時水
奈良時代に始まる条里地割の復元的研究
〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――
『令和版 小千谷市史』の提唱
広域で繋がる「わがまち・わがむら」
〜新たな視点から地域史を読む〜
●「薭生村と二十村の歴史地理空間を考察する」
・「二十村郷」という地域名称は造語
●「豊野里から池ケ原を結ぶ
条里地割の復元的研究」
・池ケ原は小千谷町の起源
・地割から読む新たな検地帳の分析
1、地域を結ぶ「わがまち・わがむら」
2、真人のはじまり
3、歴史地理学の一視点からの考察
三木明から開けた地名干溝の姿
4、池ヶ原で結ばれる条里地割の流れ
5、池ヶ原が結ぶ四つ目の条里空間
十九半名は塩殿から始まった説
6、条里地割の流れと検地帳の分析
〜条里地割から地域史を読む〜
●「地域の成り立ちから読む
寺院と城郭の位置付け」
・条里の起点豊野里と池ケ原
1、条里を、形成する起点
2、集落は要塞〜歴史地理学からの視点
3、豊乗と豊野里のはじまり
4、条里地割は水・土地の流れを示す
5、池ヶ原の館と寺院の考察
6、寺院と伝説
村の由緒伝説を寺院の由緒に書き換えた勝覚寺

『小千谷文化』第242号発行日 令和4年3月 31 日
発行所『小千谷文化』編集委員会
小千谷の起源「阿頼耶識」
「久保田家」と「船岡観音」
地名と信仰から見た村落構築の復元的研究
〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――
『令和版 小千谷市史』の提唱
●「上弥彦社と土川の
歴史地理空間を考察する」
・「久保田家」と「船岡観音」
●「小千谷の成り立ちと空間解釈」
・「おぢや」の始まりは「阿頼耶識」
●「庶民信仰の繋がりは集落の起源」
・小国町原〜藪川新田〜桜町〜時水
・「池ケ原」字白山前と字十二前の解釈
『小千谷文化』第242号 詳細内容(見出し)
その8 新しい視点
垣ノ内(魚沼神社)は久保田家の地
「上弥彦社と土川の歴史地理空間を考察する」
・「久保田家」と「船岡観音」
1、久保田家の稲荷社
2、文化遺産「永代 常夜燈」
3、久保田家に関する記録
・「元禄六年日光社棟札写」
・「職家」の立場は別格
・「萬延紀元年祭祀日寄進の紅白幕」
・越石百姓小千谷弥三右衛門
4、土川字垣ノ内は久保田家の地
・阿弥陀堂その歴史については不明
5、五智院と慈眼寺の領域と信仰
6、土川の中心は字天王が始まり
・室町時代の土川名に比定
・「天王の格式」〜山本家〜職家と本家の存在
・「天王は役家免除の格式」を読み解けなかった市史
7、上杉謙信と藪川惣大宮司は全く別の格式
「歴史」と「物語や伝説」を混同した風土
小千谷地域の起源と
新発表・新発見で見る小千谷の山城
確かな史料で城跡を見直す
城跡・城郭空間の復元的研究
〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――
『令和版 小千谷市史』の提唱
その11 新しい視点
川井城、薭生城、時水城、池ケ原館
一、川井城と創作された市指定内ヶ巻城跡
1、「国宝上杉家文書」が伝える川井城
2、市教育委員会が創作した川井の城
3、川井城の山はどこか
4、川井城の歴史
二、薭生城と薭生の地域性を結ぶ
1、「小千谷市指定史跡 薭生城跡」と「薭生城山の頂上」は相違する
2、「時水城絶頂真中」と「薭生村城山絶頂真中」3、薭生のはじまりは本村にあらず
4、山城と指定史跡の現状
三、消された「古時水城」・金鉢山
1、創作の冬城と時水館跡、創造の冬城跡
2、吉谷城跡は吉谷城ではない藤田沢城跡は吉谷城
四、池ケ原館跡と信州往来
1、池ヶ原館跡は何を意味するか
2、信州往来(善光寺街道)と池ヶ原

「小千谷地域の起源
隠された小千谷町の成り立ち」
そして各論では、「隠れた小千谷の成り立ち」として、❝小千谷町・四ツ子村・川井村・内ヶ巻・塩殿村・小千谷小学校❞の成り立ちを「新発表・新発見で町・村を見直す、村落空間の復元的研究」で発表します!ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー「古文書の読み解きは、解読や文字解釈と異なり、翻訳が、「意による解釈」となる。「事実を翻訳すること」が地域史・郷土史を探索する本来の姿である。」(第244号本文より)ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
〘〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――〙
☆もくじと項目見出し☆
『令和版 小千谷市史』の提唱その12
新しい視点
小千谷町・四ツ子村・川井村・内ヶ巻
一、「阿らやし起(阿頼耶識)」から小千谷の町通りへ
1、「独覧聞書」と小千谷町
《お寺があるからイエ・ムラ(家・集落・村)が生まれたのではない。 イエ・ムラ(家・集落・村)があるからお寺が生まれたのである。》
2、創作された小千谷町の建設
新発表図版「天和検地小千谷村町屋敷割」と「寛永十五年小千谷村所替屋敷割」の比較図。
3、町通りの再現と「天和野帳写」
4、〔小千谷組大肝煎の謎〕
二、役家・名子・高持百姓を見る〜小千谷村と四ツ子村を事例に〜
1、解説・「役家」と「宿役家」の違い
○宿駅と宿役家
【高田道の宿駅としての小千谷村】
○小千谷河戸の役人
○延宝五年の制度変改
2、四ツ子村の事例
三、内ヶ巻の仙どこ・いんどこ
・川端名宮野森右衛門
1、川井城と十九半名(じゅうくはんみょう)
2、川井城と城下の解釈 ❴内ヶ巻であることの本来の意は、川端より高く、山より低い場所にある。❵
3、塩殿村と十九半名
(塩殿村と澤山神社)
十九半名の古文書と目崎徳衛〔芋坂の新田開発〕
はぐらかされた 学問の視点 論点
識者俵山喜秋と国文学者目崎徳衛
[渡辺三省の調査と目崎徳衛の言葉]
[郷学から始まった小千谷小学校]
〜隠された小千谷小学校の起源と真実〜
「目崎徳衛の言葉は、学問・研究の根拠とはならない。」

発行所小千谷市総合文化協会『小千谷文化』編集委員会
《表紙写真とその周辺》
◎〘本文項目〙
一、「千石の村を救った名家の存在」
〘復刻〙「小千谷地方における宝暦(五〜六年)の飢饉(助かった千人の命)」〜真人村若栃・保科家(向屋敷)〜
① 郷土史家の翻訳した概要と記録の紹介
〜真人町若栃保科家とその周辺〜
② 真人村の時代背景
「真人事件・箱訴事件の歴史的事実」
③ [復刻](『おぢや郷土誌』第四号・昭和五十九年三月)
「小千谷地方における宝暦(五〜六年)の飢饉(助かった千人の命) 」
④民俗学と歴史学の狭間で〜水澤謙一の世界とは〜
ニ、地名と地域を読み解く
①薭生の地名と空間
②農庭と中山(真人町中山字農庭)
③岩沢の桜づんね
④平沢新田と鎮守諏訪明神の歴史

「表紙写真と小千谷地域の起源」
四尺玉花火で有名な小千谷市片貝町。花火の町が形成された背景・歴史には何があるのか。史料の読み解き・翻訳とは何かを問いかける。
「片貝花火に隠された片貝の地名と歴史」
片貝町の地名は、一見、異質と感じる。しかし、西千谷川や池ヶ原に繋がる一般的な地名でもある。片貝は分かりやすく中世地名が残った。 沼田周辺の中世開発は大規模で、古庄屋相崎家に受け継がれた村の形成が存在する。
片貝⬅古い時代の津が消えたあと中世の村を早くに開発し町を確立したことから、近世に大規模な開発が必要とせず、地名が受け継がれた。
近世に消えた地名が少ないのは、町通りを拡大した新しい開発が、新屋敷(浅原神社)周辺の小規模な地割に限られることによる。
一方、大屋敷は近世開発⬅中世地名は一部しか残らなかった。古料庄屋大塚は近世を形成した新しい家である。そして郡境の境界も鴻巣と大屋敷で分断された。西千谷川・池ヶ原との比較・近世初頭の大規模開発による地名と中世荘園と中世開田地名が残る西千谷川。
・池沼の古い地名と新しい地名が混在する池ヶ原。
新しい地名と古い地名を区分けすれば、中世の村立ちと近世の村立ちの違いが分かる。
現代に形成された片貝町の歴史観、関係する史料の解釈には根拠を伴わない誤りが認められ、主観の物語を交え、一般に記述、語られる機会が増えている。
「花火の町・片貝」。観光資源、町起こしとして、創作の歴史物語を形成する必要はない。
片貝まつりで、浅原神社へ花火の奉納する真の意を片貝町は隠し続けている。
「浅原神社が片貝の総鎮守であること」の意味は、各マキ・家の成り立ちや、信仰を介した共同体としての組織と繋がりを浅原神社に集合させたことによる。
片貝まつりとは、「マキの神」、「家の神」に奉納することが、繋げられた歴史である。
片貝町一之町観音寺の楯観音堂境内で行われた大花火など、古式玉送り由縁から受け継がれるものが、片貝まつりの伝統である。
浅原神社は、字新屋敷に所在し、町の中心地から外れ、特別な神社とは異なる。浅原の地・名称の云われは、古代浅原を名付けによって、総鎮守となったことであり、地名新屋敷の神社へ片貝町の歴史を集め総鎮守としたことに歴史・文化がある。
奉納花火のあり方を含め、歴史ある片貝町として、正常な歴史認識における受け継ぎと未来への綱渡しが必要であろう。
片貝は職人の町で成り立ち形成された解釈は間違いである。
片貝は、「職を持つ家」の集合体であり、職人は中心というより一部として職に「含まれる者(家)」である。 商いを行う家と町通りの形成は、嵯峨御所の御用を含めた「職の家」や「伊勢神宮を介した田畑の開発」の権利を有した家。
『小千谷文化』第246号もくじ
〜蘇る地域のくらしと歴史は文化財〜小千谷地域の起源
「蘇る片貝村の歴史」
村落空間の復元的研究
〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――
『令和版 小千谷市史』の提唱その14
新しい視点
一、三島郡片貝村の成り立ち
①秋山郷の飢饉救済と佐平治
②片貝村古文書…新出史料
③江戸時代の三島郡片貝村
④片貝の地名と村の姿を質す
二、魚沼郡平沢新田〜天和検地帳から見た村の姿〜
三、「名君 堀直竒(ほりなおより)」
〜復刻『小千谷文化』によせて〜

小千谷地域の起源・岩沢村論考
「吉谷の地名から歴史を紐解く」
村落空間の復元的研究
〈研究ノート〉 ―― 表紙写真とその周辺――
『令和版小千谷市史』の提唱その15新しい視点
一、吉谷の地名から歴史を紐解く
①字桧ノ木の由緒と吉谷
②吉谷十八社と古文書
③書き換えられた十八社の由緒
④整合性がとれない十八社扁額絵図
⑤吉谷十八社と地名吉谷
二、岩沢村の歴史概説
復刻版『小千谷文化』
語り帳・山田氏についての先祖の記録 岩沢外ノ沢 山田幸悦さん

小千谷地域の起源
論考吉谷・土川・岩沢・千谷川
「鎮守の由緒と地域の歴史」 村落空間の復元的研究
〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――
『令和版 小千谷市史』の提唱その16 新しい視点
第一編・続編「吉谷の地名から歴史を紐解く」
一、「藤田沢の八幡様」と 「大宮の地名」
二、大宮の地名に隠れたもう一つの由緒
大熊家が繋ぐ藤田沢と刈羽郡別山
第二編 村落、御朱印・寺社領の違い
「土川村の歴史論考」小千谷市土川・魚沼神社
一、「土川天王の格式」
二、御朱印領と百姓・職人村の共存
「岩沢村の歴史論考」
小千谷市岩沢 大崩集落の鎮守白山社
「千谷川村と草野久右衛門尉」
草野家の由緒を仮冒した千谷川星野家
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーFacebook版アメブロ版歴史コラム
地域の歴史は鎌倉武士の時代、南北朝の戦乱、上杉家支配の室町、戦国の世、500年あるいは600年も前から受け継がれた歴史がある。400年前の江戸時代に入っても「個人としての自分たち」という概念は存在せず、「家の一員」として家の役割を維持し後世に繋ぐため、家世の意思によって個人は活動してきた。
江戸時代初期(400年前)の変革で大きなものは土地の開発による発達であろう。この変革は、地域住民の共同による開発でなく、特定の「家」が領主から開発権利を取得し、雑木林の荒地を開発し、富を得る仕組みを形成した。江戸時代初期の「役家制度」における庄屋の役割は、新田開発に成功した村落ほど元和・寛永期にかけて古庄屋・肝煎に交代し庄屋に取り立てられた開田庄屋が出現する。開田庄屋の多くは村の草分けを名乗り、古庄屋の由緒を仮冒するが、元来は、新たに開発を請負って江戸時代の村を拡大した庄屋の由緒が歴史的な流れである。
更に300年前からは、新田開発の奨励によって、小作農の自立が進んだが、貨幣経済の発達によって地域共同体の中で「地域をまとめる能力」の不足した一部豪農の成長によって、農村は疲弊していく。自分達で話し合い行動する個人的な概念が介在した「豪農」と地域共同体の運営を担う「豪農」が並立して存在した。
小千谷町は、その最たる事例であり、江戸後期の輪番庄屋には、後ろ盾として町年寄・組頭が村営の実務を司る役割をになった背景がある。特に幕末の輪番庄屋佐藤半左衛門における町年寄広川兵衛家、能登屋野沢五郎右衛門家、小鶴屋野口定右衛門家の村営記録は顕著である。
これら、地域史の裏付けは、『小千谷文化』240号から継続する「村落空間の復元的研究で、その根拠を示すものである。
今号248号では、第一編に前号247号吉谷の続編、第二編では、240号から247号まで掲載した様々な地域史の続編とも位置付けられる。
土川の天王・岩沢大崩と大渕家・千谷川と紺伝草野久右衛門家の項では、Facebook掲載の記述に加筆したもの、新発表となる記録を交え、500年、600年と戦国時代以前からの歴史を繋げてきた集落と「家」を掲載する。
新潟県内における文化行政や公共機関での情報発信は、この地域史における根底の概念を揺るがす創作の歴史を語り始めている。中には歴史の創作を行っても許される文化行政の風土と一般市民がそれを採用し異質を正常に変換し拡散する事例も存在する。(『小千谷文化』第243号掲載・新潟県遺跡地図一覧表ほか)
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表紙写真とその周辺今回のテーマは。
小千谷地域の起源論考山谷村と越後縮布
「くらしの中の地域と歴史」村落空間の復元的研究
〈研究ノート〉――表紙写真とその周辺――
『令和版 小千谷市史』の提唱
その17 新しい視点
第一編『ふるさと山谷のあゆみ』をよみなおす
一、字舞台に隠された山谷の由緒
二、山谷村の天和検地を受け継ぐ家
・南雲五左衛門家
・天和検地脇百姓(百姓代) 孫左衛門
・小千谷町と山谷の関係
・庄屋の役割から見た西巻家
・塩殿村の事例
・往来道と山谷村追分
三、縮創始伝説をよみなおす
・【越布と小千谷縮布】
・〔縮布創始伝説と二人の歴史研究家〕
・〔伝説に根拠・分析は必要ないのか?)
・〔懐古趣味と研究は相対するのか〕
第二編
「歴史的地名を失うことは郷土を失うことである」新潟県阿賀野市が紹介する吉田東伍の解説にはこの一文がある。
〜歴史的地名を書き換えた新潟県庁〜
一、時水「ばば清水」の名水認定「ばば清水」から「馬場清水」の創作は単なる名称変更ではない。
新潟県庁は、創作された故事来歴について、「優れたものがある」と結論付けた。
〜一転…名称の変更(改定)の審議へ…
二、茶郷川源流の石碑建立
歴史的地名「ちゃごう」「大倉川」平成29年、新潟県庁は、小千谷市茶郷川の源流を創作した。その過程で小千谷市吉谷に存在した「大倉川」の名称は削除され、茶郷川の名称と茶郷川源流の名称が付された。

