「新潟県庁が広報」する「新潟県の名水」。
この中に小千谷市の「新潟県の名水」に「馬場清水」が存在する。
この「馬場清水」は表記として相応しくない。
 新潟県庁、担当部署の環境対策課は、どのような意図を持って登録し掲載しているのか説明する必要がある。
 小千谷市の「新潟県の名水」は、「ばばしみず」であって、平成時代に根拠を持たず創作された「馬場」の表記であってはならない。
 時水集落の土地に伝える名称は、話し言葉で、「ばばしみず」であって、文字言葉「馬場」の「清水」ではないことは明らかである。しかも時水集落には、「中ノ沢のばば清水」を「馬場」の「清水」との伝えは一切ない。
 民俗学的な側面から見ても、新潟県環境対策課の認識する「言われている、言い伝えられている」由来に関して新潟県は創作の可能性を検証する必要がある。
 歴史的な背景から考察すれば、「飲めば病気が治る」伝えからは、「婆・姥」と解釈する蓋然性が高い。
 名水の登録前、時水で大正末年生まれの古老は、幼き頃に、病に効く清水として、目崎徳衛(大正10年生・のちの国文学者)と共に、病気を患った徳衛母のために清水を汲みに行った回想を伝えた。その回想では、「岡田のばば清水」に温故の栞に記載されるような、「爺清水と婆清水の二井戸の伝え」は戦前に無かったと言う。その後、「岡田のばば清水」は、昭和戦後から平成にかけて、時水全体で語られることは少なくなっていった。
  
「嘘も百回言えば真実となる」『真理の錯誤効果』を狙った「馬場清水」の表記を新潟県庁が採用するのは不自然である。
「時水城山の馬場(清水)」については、
『小千谷市史』上巻のP131「時水城」の項で、記載する。
本文には、
『この付近の「馬場清水」には馬場があり、ここに現在も湧いている清水が、城の飲料水になっていたと考えられる。』とあるが、『小千谷市史』は所在地を明確にしなかった。しかし、城の馬場ならば、この内容は、名水「ばばしみず」とは異なり、歴史的な根拠を踏まえても、時水集落に伝える「城ノ入の馬場清水」である。
 本来の「城山の馬場」は、現在の登山道の登り口とは山の反対側に所在する「城ノ入の沢」で、「中ノ沢のばば清水」とは異なる。時水集落が伝える城の「馬場清水」は、「城ノ入」の地名を冠した本村(下村)からの入口で、時水城址の大手登り口に所在する。
 名水「ばばしみず」の地は、枝村岡田(本村から外れた集落)からの字中ノ沢が入る場所で、城の馬場を成す立場は存在しない。
 また、名水「ばばしみず」の側に祀られる不動明王など三体の石仏やこの周辺に所在する「又倉・熊ノ堂、金鉢、幸入道、高鳥」の地名は、『小千谷市史』が記載する修験地名と一致する。
 時水城山は十二岳として信仰されてきた。江戸時代の寛政年間に制作された「上弥彦社領並十八社扁額絵図」(土川・魚沼神社蔵)には、時水城山を象徴の御嶽として描いている。
 これらの裏付けによっても、現在の字中ノ沢を登山口とする登山道は、現代に切り開かれた道であり、城山の馬場として開かれた歴史とは一切の関係はない。そして、「城ノ入とは異なる」「修験道によって形成された」歴史的位置付けとしての根拠があり、「馬場」の名称や表記が歴史的に存在しなかったのは明らかで、「馬場」の名称を付すのは不適切である。
 新潟県庁は、現代に名付けられた通常ではない名称表記を採用するならば、『真理の錯誤効果』が派生しない対策として、誰もが見て直に分かるような特別な注記として、その意図や根拠の説明と通称ではないことを示す表記が必要であろう。