「小千谷・千谷の始まりは吉谷なのか?」
新潟県小千谷の成り立ちは、越後国伊乎乃郡千屋郷と結び付けられる。そのなかで千屋郷の始まりを吉谷と読む者は少なからず存在する。これは諸説ある論ではなく、『小千谷市史』を孫引きした引用的な見解であり、歴史を読み解いた論ではない。「『小千谷市史』から」という文言が抜け、諸説ある自身の説・論・解釈とする勘違いな存在は歴史を惑わす行為でもある。
『小千谷市史』は、千屋郷を吉谷の地名・川の名称に結び付け古代「チヤ郷」の中心とする。
この根底には、『小千谷市史』には記述されていない、中世後期から近世に茶郷川流域が吉谷(吉谷郷)となっていたことが、論の結び付きとして大きい。
吉谷郷に限らず、古代が失われ近世にかけて形成された郷は、中心となる地域が郷名称となったものでなく、吉谷郷のように茶郷川流域の村々であれば、上流地名、中心となる川の名称を持って新たな郷が形成されたと読み解ける。また、『小千谷市史』の中心が移り変わっていく論は、千谷・千谷川の遺跡や地名も国衙領の一部が荘園化した痕跡を示すもので、中心が移動したものではない。『小千谷市史』は地名解・空間の分析を怠っている。

この点に関する論考は『おぢや郷土誌(第二号)』(昭和57年)の「小千谷市の起源をなす吉谷村の考察」と『伊乎乃 創刊号』「小千谷という地名を考える」によって記述されているので参照されたい。https://gamp.ameblo.jp/ph-lynott/entry-12451011975.html



「空間から読み解いた新たな地名解」

新たな地名解とは、想像創造や民俗学的物語りではなく、空間的解釈・根拠をもって地名解釈を行うことである。

吉谷の空間を読み解くカギとして「郡山の地名解釈」陸奥国安積郡(福島県郡山市)を挙げる。

中通り中部,郡山盆地の中心,阿武隈(あぶくま)川西岸に位置する。地名は,古代安積郡の郡衙があったことに由来する。(『角川日本地名大辞典 7 福島県』)
郡山は律令制度下で中央から派遣された地方管の郡司(こおりのつかさ)に因むと言われ、小高い丘に郡司の屋敷があったことで、郡司が住む山をあらわす「郡山」と呼ばれたという地名解釈が一般的である。
また、『市町村名語源辞典 』溝手理太郎などでは、「桑折」と書く「こおり」も同じ。郡衙の跡が荒廃した地のことか。福島県に多い地名。あるいは、「くは(崩壊地形)」+「おり(傾斜地)」などという自然地名を関係するか、とする。


ただし、崩壊や荒れた地を表す地名解釈に問題点がある。「くは」は地すべり崩壊地形の解釈ではなく、自然事象を表した古代の表現と解するべきではないだろうか?

「くは」については見当たらなかったが、地すべり地名考証の疑問について記述がある。

『地すべ り 第19巻 第2号』(1982年)

 「地すべ りに関する地名の解釈について」

(古谷尊彦 千葉大学教授 地質考古学

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jls1964/19/2/19_2_25/_pdf/-char/ja


「吉谷郡又は自然地名に関係するか。」

「割れたような傾斜地の沢」=「郡又」
吉谷に『小千谷市史』が郡衙と結びつける「郡殿の池」と『小千谷市史』が記述できなかった字郡又という地名がある。郡又は、切り立った迯入の台地と東吉谷の丘陵に挟まれた沢で、吉谷の沢の中では割れ入った地形が深く大きい。郡衙なら集落中心地を表す地名になるが、集落は二俣である。郡又は、吉谷を二俣する地の土地であることの意味が大きい。それとも吉谷より広い空間の二俣を示しているのかもしれない。そうなれば「郡殿の池」も自然地名に由来する地名解釈になる。
殿は棚を意味する。『桐生市地名考』(平成12年桐生市図書館)>「殿は棚の転で平地の意。」とする。
「郡殿の池」は、「郡又の棚にある池」を意味する。郡殿の池がある棚は、国土地理院の地図を見ると郡又の沢の中でも唯一、広く大きな棚である。
この棚は、真人の主馬殿でも述べた解釈が当てはまる。

「真人主馬殿の地名解」

「殿」の地名解釈として一般的には、上の位の者を名で呼べないから官位に敬称の殿を付ける慣わしがあったことによるという。郡殿、主馬=官位+殿。平安時代は特に天皇に近い上位の官位敬称に使われる。古代地名であれば、「殿」である特別な皇族のみ称された言葉として解され、=真人姓」でも敬称には地位が低い。

真人姓が関わる真人の主馬殿は、「主馬ケ岡」という呼び名で、岡が殿に変化したことを表す。
柳田国男は地名「原」を「開発の以前からあったものと見てよかろう…」とする。古くからの特別な地を示す場所・地形を表す。「弥陀ケ原」の地名解を引用すれば、神聖な場所あるいは水源地として古代の信仰としての「原」に通じる。
主馬殿の地形や立地条件、歴史から考えれば後者「原」の意味が強く現れた地であり、特別な場所と解釈できる地形語が当てはまり「棚」の解釈を裏付けられる。
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