越後国刈羽郡鵜川荘上条に所在した上条城。

上条上杉家の館跡と伝える。今はかつての面影を伝える痕跡は見当たらないが、中世の一時期、上条家がこの地で越後国府を補佐したとも考えられている。


上条上杉家は、越後守護上杉房方の四男上杉清方が、鵜川荘上条に分家したことから始まる。
越後守護上杉家は山内上杉氏の一族でもあることから清方は、永享の乱(1438年)で混乱していた山内上杉家を継承し、関東管領代行となった。実質上の関東管領だったとも言われる。
清方は、結城合戦(1440)で室町幕府の総大将として活躍するほどの武将であった。しかし、その直後の文安元年(1444)頃に没している。
清方の系統は、室町時代中期から戦国時代前期にかけて混乱した越後守護家および山内上杉家を支えるが、関東の覇権争いや長尾氏の台頭により上杉氏の惣領家は衰退していく。

一方、上条上杉家は、関東管領、越後守護を輩出するが、肝心な上杉清方亡き後の当主を誰が継いだか定かではない。
謙信期に活躍し景勝に従った上条政繁ですら判然としないのが実情である。
清方の子孫が代々、上条を抑えたのは確かであろう。琵琶島に拠点を移した八条上杉家とも深い関係があったのではないだろうか。上杉家没落の中、多くの記録が残されていない。まだ未発表の史料が存在していることを期待したい。





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