制度として語られる「塩の道」
――歴史的実証と後付けナラティブのあいだ――
1 はじめに
近年、「塩の道」と称される街道が地域資源として制度的に整備され、観光振興や文化政策における象徴的空間として再構成されている。特に、長野県松本市と新潟県糸魚川市を結ぶ旧千国街道は、地域を横断する交易路としてだけでなく、かつての「塩の流通経路」として語られ、「命をつなぐ道」「敵に塩を送る精神」などの物語的装飾によって、公共空間に制度的な意味づけが施されてきた。
しかし、この「塩の道」という言説には、いくつかの構造的問題がある。呼称の由来、物流の実態、美談との接続、制度化の過程など、いずれも歴史的実証に基づかず、むしろ後世の価値観や政策意図によって再構成されたものである。本稿では、いわゆる「塩の道」という制度的物語の形成過程と、その歴史的根拠の脆弱さを、批判的に検討する。
2 「塩の道」の語源と成立過程
いわゆる「塩の道」という呼称は、江戸期以前の一次史料には見出されない。街道自体は、糸魚川から松本方面への交易路として古くから存在していたが、その呼称は「千国街道」「糸魚川街道」「小谷道」などであり、「塩の道」という語が公的に使用されるようになったのは、1970年代以降のことである。
特に、昭和49年(1974年)に糸魚川市・小谷村・白馬村などの青年団体が街道の再発見と活用に着手し、1980年代以降、地域づくり運動と観光資源化のなかで「塩の道」という名称が固定化されていった。平成期には文化庁による「歴史の道百選」への選定や、NPOによる整備活動、ガイド制度などを通じて、制度的な定着が進んだ。
しかし、この過程において、「塩の道」という名称は、史料的裏づけではなく、「地域資源」「物語性」「観光価値」の観点から構築された制度的ナラティブである点に注意を要する。
3 「塩」が象徴化される構造的背景
千国街道において、塩が物資の一部として運ばれていたことは確かである。糸魚川の海産物、とりわけ塩や昆布、干物類が内陸へ運ばれ、代わりに信州側からは麻や米、和紙などが搬出された。このような双方向の流通は、農村経済においても基幹的な意味を持っていた。
しかし、史料上で塩が特段に「主役」として強調されることはない。『善光寺道名所図会』や近世の運送記録などにおいても、塩はあくまで雑貨物資のひとつに過ぎず、特別な象徴性を付されていた痕跡は見出しにくい。
それにもかかわらず、「塩」をめぐる美談――たとえば「敵に塩を送る」逸話(上杉謙信による武田信玄への援助)――が、観光パンフレットや展示解説に多く引用され、道徳的価値や文化的アイデンティティと結びつけられている。この逸話そのものが、実は江戸中期以降の軍記物・教訓書などで構成されたものであり、近代以降に教育的・観光的価値として制度化されたものである点も留意すべきである。
4 制度化されたナラティブとしての「塩の道」
こうした構造のなかで、「塩の道」は単なる交通路ではなく、「物語を体験する空間」として演出されていく。たとえば以下の要素が制度的に組み込まれている。
・「牛方と歩荷」を再現する催事
・民話や逸話を取り入れた道しるべの整備
・「命を運んだ道」という表現による象徴化
・地元小学校での郷土学習教材化
・国の史跡指定、文化庁の推奨ルート選定
こうした文化政策の帰結として、千国街道は制度的に「塩の道」として再定義されたが、それは必ずしも歴史的実証に基づくものではなく、むしろ制度側によって構築された象徴的装置である。
ここにおいて、「歴史」は再現可能な物語として提示され、同時に制度の内部に取り込まれることで、実証的批判を受けにくい構造が生まれている。
このような構造において、留意すべきは「塩の道」が単に行政主導で構築されたナラティブではなく、市民の側――とくに歴史趣味を有する個人、地域の郷土史サークル、定年退職後の学習活動の延長にある趣味的言説――によっても積極的に形成・拡散されてきた点である。
一部の「趣味人」は、事実関係よりも「地元の誇り」や「良い話」を優先し、史料の検証や歴史的脈絡を省略した単純化・美談化の物語を積極的に語ってきた。それが行政側の文化事業と親和性を持ったことで、「語りの場」は制度と私的感情の共謀的空間となり、批判的検証が困難な空気を生んでいる。
「趣味的語り」は一見、専門家ではないがゆえに無害に見えるが、制度に包摂されることで却って強力な文化権威となりうる。とくに、「地元を愛する善意の語り」として発せられる物語は、それを疑問視する行為そのものを「地域への裏切り」と見なす排除構造を生む。
こうして、「塩の道」は制度と市民のあいだの相互作用のなかで、実証的検証から逸脱した一種の聖域として再生産されているのである。
5 ――歴史と制度の非対称性に向き合う
「塩の道」として制度化された千国街道の文化的構築は、地域資源化・観光振興・教育的意義といった観点から評価されうるものである。しかし、その歴史的根拠が必ずしも十分に検証されていない点、語られる内容の多くが制度的目的に沿って選別・演出されている点において、実証的歴史研究とは峻別されるべきである。
今後、「塩の道」を語る営為が、制度化された物語に寄りかかるだけでなく、その言説がどのように形成され、どのような価値観のもとで制度化されたのかを問い直す必要がある。歴史とは、語り直されるものであると同時に、語られ方を問い直される営為でもある。