自分の思いでを振り返っていると、自分は昔から何も変わっていないんだなって思うことがあります。また、「とある何か」がきっかけで、それが強烈に心に残っているはずだけど、なぜそうなのか?をまったく覚えていないこともあるんだなって思いました。

僕は「不自由の中に自由を」って言葉が好きなのですが、なぜ好きなのか忘れていました。考え方とか、何をどう考えるのかとか、今の僕自身が数々の本を読んで、実際にやってみたり、経験してみたりして、より理解が深まってきたとは思うのですが、そのきっかけとなったことがなんだったのか?と言えば、それはまったくわかりません。

わからないって思っていたんだけど、昔の書類を整理している時にとある詩を見つけたんです。誰が書いたのかも不明なんですけど、これを昨日改めて見た時に僕は、なんか、人生って何にどう影響を受けるのかわからないもんなんだなって思いました。

あの時見た時は「ふーん」って感じだったはずなのに、こういう考え方が好きな今の僕が居るっていう感じでしょうか。


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「自由とは?」

自由ってなんだろう? 夢って何だろう?
なんか、漠然としてるよね。反対にして考えてみようか?

不自由って、どんな時?
「本当はこうしたいのにできない時」「我慢しなきゃいけない時」
う~ん、他にも・・・何かのルールや規制を自然に受け入れられない時。
必要だと思うものが足りない時。

法律とか・道徳とか・・・世の中にはたくさんの決まりごとがあるけど、普段はあまり不自由は感じていないね。なら、不自由を感じたときに不自由が生まれてるのかなあ。

そうすると全部、心の中の出来事になっちゃうね。

ルールを無視したときは、心が痛いね。後ろめたさを感じてしまう。道徳や常識はうまく人と折り合っていくための基本なんだから。
そうすると、人や社会とうまくつきあっていくことと、不自由を感じることのバランスをとらないといけない。おかしな気もするけど、不自由を感じながら、うまくやらなければならないなんて・・・
顔で笑って、心で泣いて。ってところかな?

夢ってなんだろう? きっと、不自由を感じたり、できなかったこと・してはいけないことをできるようにすることなんだろうなあ。

不自由さの中に、自由を求め。自由を成し遂げることを夢に描く。
夢は望みを持つことによって生まれてくるものなんだね。それは感情的に「こうしたいのに~」という、子供心から出てくるんだね。そして、論理的に理路整然と「こうすれば、こうなるな」っていう大人心で夢を叶えるのだね。

子供心とは、夢を描く。大人心は、その夢を叶えるものなんだ。
そして、子供心は自由を喜び・満喫し、無邪気に楽しむ。規制があれば抵抗して泣いてみるし、ダダをこねる。大人心は、不自由を「自分が妥協できるもの」と「できないもの」に分けて、できないものは「長く継続する夢」として、成し遂げるように努力するものなんだね。
だから、夢は厳密にいえば、「感情的に成しえなかった、今までのすべての事」

幸せってなんだろう。きっとそれは個人の中にあるもので、何か外側にあるものじゃない気がするなあ。

あなたの夢はなんですか?
「今までしたいと思ってできなかった全部です」

たくさんあるのですねえ? 
「そうですよ」「でも、それは思い出した時々によってちがうんです」

思い出した事が夢になるのですか?
「ええ、だから満足も成し遂げたらあまり長くは続きませんね」「環境も人も僕に、刺激や抵抗を与えて、その都度思い出させてくれるものなんです」

物や人は、あなたに夢を与えるものですか?
「そう・・だから、いつも幸せなんです」

不自由の中の自由。抵抗の中の夢。思い出させる幸せ。
「結局、自由で、終わらない夢があって・・・生きることは幸せそのものなんです」

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何がなんだかわからない感じではありつつも、この詩の暖かさと少しの深みが、僕の人生の指針にいつの間にかなっている。
「自由」がわからないから、反対に考えてみる。とか、そういう思考の仕方、僕は今まさにやっていこうと思っていることだから。

おもしろい。
何がどう、今の自分を作っているのだろう?
それを知るのは、本当におもしろい。
そして、いつでも「そうだったんだ」という時の衝撃はね、ショッキングであって、気持ちが良いものだね。