何かをしている時に「気分が乗らない」という話はよく聞く。
正直、僕もそれはよくある。
ただ、そういう時にいつも思う。
「僕は本当、ダメなやつだな」
よく言うセリフ、よく聞くセリフは、
「そういう時にダメだなんて思わなくていいんです」
というような言葉だ。
が、しかし、僕は真逆のことを考える。
そんな僕はダメ。
そして、「ダメなんだ」ということを認めなければ前に進むことはできない。
ダメと思わないのなら、気分が乗らないからやれないという気になる。
しかし、ダメと思うのなら、気分が乗らなくてもやろうという気になれるのである。
それは一体どういうことなのか?
感情、思考、気持ち、気分、
こういう、いわゆる「やる気」に関わってしまうようなこと、
または、行動、生活に大きく関わってくるであろうものって一体どこから来ているんだろう?
なんてことを考えてみます。
例えば「やる気がでない」という気持ちが出てしまった場合。
その状態自体はまったく問題ない。そんなもんは誰でも結構ないもんだ。
ただ、「やる気がある状態」でなければいけない。と思っていないだろうか?
むしろ、やる気はどこからくるのか?っていう話をしたい。
僕は思う。
「やる気が出ない」という感情、または感覚、どんよりした感覚によって、
「あぁダメだ」となり、行動ができないんだけど、その感覚はどこから作られるのかと言えば、
「過去」なのです。
過去の経験が、その気持ちを作るんです。
「やる気が出ない」というか、
「やる気は湧き出てくるものだ」とか、それに付随して、
「気持ちは湧き出てくるものだ」「愛情は湧き出てくるものだ」
という感覚を持っている人は多いと思うんだけど、
僕は、そういった一連のあらゆる感情は結構、過去の経験が作ってしまうんじゃないかなって思うんです。
実際、そうなんです。
何が言いたいのかって言えばね、湧き出てくる必要なんてない。
湧かないんです。
あえて言うのなら「作る」という言葉の方が正しいと僕は思うんです。
湧くのではなく、「ある」なんです。
やる気の無い感情を作る過去があるんです。
やる気が出てくる感情を作る過去があるんです。
それを、今と置き換えて出るか出ないかを判断して感情を作っているだけなんです。
それなら、本当に「やる気を湧かせる」ということを考えてみるのなら、
それは、やる気の無い状態から出てこなければおかしいでしょう。
「やる気が出ない」と考えて、「湧いてくる」と考えるのなら、
やる気が出ない時ほど、湧かせなきゃいけないでしょう。
なんてことを考えるんです。
まぁ、反論の余地はいろいろあるだろうけど、
僕は、そう思うの。
湧き出てくるものじゃない。
「作るものだ」とね。
子育てもそう。妻もそう。友人もそう。仕事仲間もそう。いろいろそう。
総称して「信頼」というもので表現するのなら、
それ自体は、自分の中で自分が練り込んで作らなければ生まれないと思う。
信頼なんつーものは。
だからね、こう思うんです。
「やる気が出ないから、やろう」
「子供、かわいくないけど、かわいがろう」
「妻、愛想悪いしうざいけど、愛そう」
僕は、これが「湧く」の本当の姿だと勝手に思っている。
感情に支配されず、感情に関係なく行動を起こしていくことで、
本当にその感情が出てくるんだけど、まさに「源泉となる行動」は、
こういうことだと思う。
めっちゃやりたくないけど、やろう。
そうなると、過去の経験から生まれる感情なんてどうでもよくなって、
人からの話もどうでもよくなって、自分が今感じているのもどうでもよくって、
「僕は一体何がしたいのか?」
を、行動の指針にすることができる。
そして、それに準ずる行動を起こせるようになる。
と思う。
湧き出てくるものを大切にしている人は多くいると思う。
自分の気持ちに素直になって・・・とか、よくわからないことを言う人もいる。
でも、これの正体はまったく違う。
自分の気持ちではなく、自分の過去のパターンにあてはまる生き方をしようっていうことになる。
自分の気持ちというか、「思考」と「感情」は別物なんだ。
怒りの感情が出てくるのに「怒りたくない」と僕らは思っているものなのさ。
だから「怒りとうまく付き合おう」とか「怒りをギャグに変えよう」とかってするわけだ。
なぜそうなのかと言えば、「怒りたくはない」という源泉があるからなんだ。
なのに、感情に身を任せてしまったら、
バカな直感、お天気やの感情(分泌されるホルモン)に行動が支配されると、
人生大変になるよ。
でも、感情に身を任せて。というカウンセラー多すぎて背筋が凍るね。僕は。
だから、湧き出てくるものに準ずる必要はない。
それは、まったく大事なものじゃない。
大事なのは、能動的であること。
過去のパターンから脱出すること。
挑戦すること。挑戦し続けることなんです。
何かを変えたい!と思うのなら、
感情とか、気持ちとか、そんなものよりも、
『意思』
を持って行動した方が良いと思います。
意思って何かって?簡単です。
四六時中覚えている言葉=『◯◯◯』=意思
これでいい。
この『』の中に入る言葉は、みなさん次第。
僕で言うのなら「能動的であれ」とかになるわけです。
感情をコントロールはできませんが、
感情とは関係のない行動っていくらでもできます。
いくら顔に出ていようが、いくら言動が少なくなろうが、いくら雰囲気が悪くなろうが(笑)
感情に合わせずに理想的だと思う行動をとり続けていくことができます。
その方が絶対いいよ。
思考と感情のつじつまを合わせる必要はない。
別物なんです。
矛盾しているべきです。
なんてことを考えると、湧いて出てくる気持ちなんてどうでもよくなってくる。
自分次第って、そういうことだと思う。
けれど・・・
でも、なんといいますか、あれですね、
子供を抱いている時に感じる心地よい気持ちはね、
湧いて出てきているような気はします。(笑)
ただ、僕はさ、宇宙人みたいな娘の顔を見て、
「おばあちゃんみたい」「どう見てもかわいくはない」と思ったけど、
「かわいくないだけで、かわいがりたい、かわいがろう」って思っているんです。
今は本当にかわいい顔になりましたけどね。
僕は、そういうのもとても大事だと思う。
全部が全部そうというわけではないけれど、
必要に応じて、感情を無視してやり続けた方が良いことも絶対あるよ。
それで精神が壊れるということもあるかもしれないけど、
それはね、栄養不足と筋力不足の可能性もありますよ。
ちゃんと食べて、ちゃんと運動していれば、
結構ストレスフリーな生活を送ることができるんです。
それは、人生をより豊かに生きる僕の中でのコツなんだけどね。
ということを考えていると、
感情なんてどうでもいいんです。
反応として出るものは出しておきながら、
ぜんぜんちがうことをしていけばいいんですよ。
って僕は思う。
なんてね。
ま、人それぞれいろいろあるだろうけど、僕は自分のこの生き方が好きだな。
正直、僕もそれはよくある。
ただ、そういう時にいつも思う。
「僕は本当、ダメなやつだな」
よく言うセリフ、よく聞くセリフは、
「そういう時にダメだなんて思わなくていいんです」
というような言葉だ。
が、しかし、僕は真逆のことを考える。
そんな僕はダメ。
そして、「ダメなんだ」ということを認めなければ前に進むことはできない。
ダメと思わないのなら、気分が乗らないからやれないという気になる。
しかし、ダメと思うのなら、気分が乗らなくてもやろうという気になれるのである。
それは一体どういうことなのか?
感情、思考、気持ち、気分、
こういう、いわゆる「やる気」に関わってしまうようなこと、
または、行動、生活に大きく関わってくるであろうものって一体どこから来ているんだろう?
なんてことを考えてみます。
例えば「やる気がでない」という気持ちが出てしまった場合。
その状態自体はまったく問題ない。そんなもんは誰でも結構ないもんだ。
ただ、「やる気がある状態」でなければいけない。と思っていないだろうか?
むしろ、やる気はどこからくるのか?っていう話をしたい。
僕は思う。
「やる気が出ない」という感情、または感覚、どんよりした感覚によって、
「あぁダメだ」となり、行動ができないんだけど、その感覚はどこから作られるのかと言えば、
「過去」なのです。
過去の経験が、その気持ちを作るんです。
「やる気が出ない」というか、
「やる気は湧き出てくるものだ」とか、それに付随して、
「気持ちは湧き出てくるものだ」「愛情は湧き出てくるものだ」
という感覚を持っている人は多いと思うんだけど、
僕は、そういった一連のあらゆる感情は結構、過去の経験が作ってしまうんじゃないかなって思うんです。
実際、そうなんです。
何が言いたいのかって言えばね、湧き出てくる必要なんてない。
湧かないんです。
あえて言うのなら「作る」という言葉の方が正しいと僕は思うんです。
湧くのではなく、「ある」なんです。
やる気の無い感情を作る過去があるんです。
やる気が出てくる感情を作る過去があるんです。
それを、今と置き換えて出るか出ないかを判断して感情を作っているだけなんです。
それなら、本当に「やる気を湧かせる」ということを考えてみるのなら、
それは、やる気の無い状態から出てこなければおかしいでしょう。
「やる気が出ない」と考えて、「湧いてくる」と考えるのなら、
やる気が出ない時ほど、湧かせなきゃいけないでしょう。
なんてことを考えるんです。
まぁ、反論の余地はいろいろあるだろうけど、
僕は、そう思うの。
湧き出てくるものじゃない。
「作るものだ」とね。
子育てもそう。妻もそう。友人もそう。仕事仲間もそう。いろいろそう。
総称して「信頼」というもので表現するのなら、
それ自体は、自分の中で自分が練り込んで作らなければ生まれないと思う。
信頼なんつーものは。
だからね、こう思うんです。
「やる気が出ないから、やろう」
「子供、かわいくないけど、かわいがろう」
「妻、愛想悪いしうざいけど、愛そう」
僕は、これが「湧く」の本当の姿だと勝手に思っている。
感情に支配されず、感情に関係なく行動を起こしていくことで、
本当にその感情が出てくるんだけど、まさに「源泉となる行動」は、
こういうことだと思う。
めっちゃやりたくないけど、やろう。
そうなると、過去の経験から生まれる感情なんてどうでもよくなって、
人からの話もどうでもよくなって、自分が今感じているのもどうでもよくって、
「僕は一体何がしたいのか?」
を、行動の指針にすることができる。
そして、それに準ずる行動を起こせるようになる。
と思う。
湧き出てくるものを大切にしている人は多くいると思う。
自分の気持ちに素直になって・・・とか、よくわからないことを言う人もいる。
でも、これの正体はまったく違う。
自分の気持ちではなく、自分の過去のパターンにあてはまる生き方をしようっていうことになる。
自分の気持ちというか、「思考」と「感情」は別物なんだ。
怒りの感情が出てくるのに「怒りたくない」と僕らは思っているものなのさ。
だから「怒りとうまく付き合おう」とか「怒りをギャグに変えよう」とかってするわけだ。
なぜそうなのかと言えば、「怒りたくはない」という源泉があるからなんだ。
なのに、感情に身を任せてしまったら、
バカな直感、お天気やの感情(分泌されるホルモン)に行動が支配されると、
人生大変になるよ。
でも、感情に身を任せて。というカウンセラー多すぎて背筋が凍るね。僕は。
だから、湧き出てくるものに準ずる必要はない。
それは、まったく大事なものじゃない。
大事なのは、能動的であること。
過去のパターンから脱出すること。
挑戦すること。挑戦し続けることなんです。
何かを変えたい!と思うのなら、
感情とか、気持ちとか、そんなものよりも、
『意思』
を持って行動した方が良いと思います。
意思って何かって?簡単です。
四六時中覚えている言葉=『◯◯◯』=意思
これでいい。
この『』の中に入る言葉は、みなさん次第。
僕で言うのなら「能動的であれ」とかになるわけです。
感情をコントロールはできませんが、
感情とは関係のない行動っていくらでもできます。
いくら顔に出ていようが、いくら言動が少なくなろうが、いくら雰囲気が悪くなろうが(笑)
感情に合わせずに理想的だと思う行動をとり続けていくことができます。
その方が絶対いいよ。
思考と感情のつじつまを合わせる必要はない。
別物なんです。
矛盾しているべきです。
なんてことを考えると、湧いて出てくる気持ちなんてどうでもよくなってくる。
自分次第って、そういうことだと思う。
けれど・・・
でも、なんといいますか、あれですね、
子供を抱いている時に感じる心地よい気持ちはね、
湧いて出てきているような気はします。(笑)
ただ、僕はさ、宇宙人みたいな娘の顔を見て、
「おばあちゃんみたい」「どう見てもかわいくはない」と思ったけど、
「かわいくないだけで、かわいがりたい、かわいがろう」って思っているんです。
今は本当にかわいい顔になりましたけどね。
僕は、そういうのもとても大事だと思う。
全部が全部そうというわけではないけれど、
必要に応じて、感情を無視してやり続けた方が良いことも絶対あるよ。
それで精神が壊れるということもあるかもしれないけど、
それはね、栄養不足と筋力不足の可能性もありますよ。
ちゃんと食べて、ちゃんと運動していれば、
結構ストレスフリーな生活を送ることができるんです。
それは、人生をより豊かに生きる僕の中でのコツなんだけどね。
ということを考えていると、
感情なんてどうでもいいんです。
反応として出るものは出しておきながら、
ぜんぜんちがうことをしていけばいいんですよ。
って僕は思う。
なんてね。
ま、人それぞれいろいろあるだろうけど、僕は自分のこの生き方が好きだな。