休日前日は朝の内に走った。晴天でも気温が摂氏20度に至らなかったからだ。午後には涼しく走れる余地はなかった。なぜならば17時には道が閉鎖されて、自宅軟禁状態になるからだ。

祝日明けの金曜日には再び道が開き、17時迄は出入りが出来る。やはり早朝20度以下で走れそうである。序に安い燃料を20リットル入れたい。それで土曜日に劇場へと車を走らせ17時過ぎに入庫して、そこで日曜翌朝7時前に出庫して帰宅する。

今回はベットがあるので、精々お土産をどうするかぐらいである。食事のネタを持って行こう。ワインは何があるか概ね分かっているので心配はいらない。

土曜日は交通閉鎖されるのは15時であり、劇場に入るのは18時30分過ぎなので、14時過ぎに出かける準備をすれば問題がないだろう。

お勉強は幾らかはしているが、まだ金曜日に時間が欲しい。ドビュシーもオネゲルも違った意味で容易ではない。前者はアバド指揮演奏録音では聴きとれなかったり、そこまで振れていなかったものが小澤指揮で聴くとよく分かった。結構難しいので今回座付き楽団でエンゲルがどこまでの指揮が出来るのかとても楽しみになってきた。2017年の新制作の初日はこちらの地元でも活躍していたスーストロ―指揮だったようで、今回どれほどブラッシュアップ可能だろうか。

後者の難しさは、台詞と音楽との組み合わせで、オラトリオ形式となっているところに舞台の演技をつけてどれほどマネージメントされるかであろう。

演出はフランクフルトでアスミク•グリゴーリアン主役で観た「マノンレスコー」のオリエ監督らで、どうも舞台装置も似ている。舞台を初演の1938年に合わせてあって、当時の事情が知れる。現在最も正統的な舞台化である。抑々ジャンヌダルク自体が1920年になって聖人になっているので、ナチの支配を受けるフランスにとっては重要な存在だったのだろう。

よく分からないのはネットにある無料楽譜からはプロローグが落ちていて、それが初演版のようで、改訂版で付け加えられている様である。演奏上の収まり良さだけなのだろうかどうかはまだよく分からない。

ドビュッシ―「選ばれし乙女」もオラトリオであり、両作制作で劇場化ということでは、音楽劇場作品になっている様だ。

新聞を見ると新たに小さなライマンの若書きオペラが上演されて、先の「ランヴィジーブル」の大成功に続いて好評だったようだ。それも楽団も褒めてあるので、先での経験が活かされていたならばとても幸運なことではなかったのだろうか。今回の再演も中々難しいところのある制作作品なので、それなりに話題になってくれると喜ばしい。少なくともマルヴィッツが初日を振って不評だったコスキー演出「サロメ」はエンゲル指揮で全然悪くはなかった。



参照:
積み重なる文化的功労 2025-06-11 | 文化一般
身体的運動で見出せる死 2025-03-30 | 文学・思想

2025年6月17日火曜日にロンドンでピアニストのアルフレード・ブレンデルが亡くなった。今後とも舞台と客席で同じ時間をこれだけ長く過ごすピアニストはいないかもしれない。最初の出合いから相性が良かった。

1978年10月9日月曜日19時から大阪の更生年金会館大ホールで開かれたリサイタルでのことだった。シューベルトの即興曲三楽章をソナタの様に弾いて、最後は同じく遺作の変ロ長調ソナタで締めた。

2008年11月25日火曜日がお馴染みのフランクフルトのバッハコンサートでの最後の演奏会であった。アンコール前にはソナタ同曲を弾いた。ドイツでの最後のツアーだった。

何故最初のリサイタルに出かけたか。記憶にはないが当時フィリップスで新録音をリリースし続けていたので、直ぐに関心が向かったと思う。出かける前にお勉強を兼ねてそれらのLPを何枚か購入していたと思う。

即興曲などがピアノ稽古の教則本に載っていたりしているのは知っていたのだが、既に自分自身は弾くことを諦めていたが、それでも楽譜を乗せて音出しぐらいはしたかもしれない。それでもブレンデルが全く違った意志でそれらを弾くことが明らかだったので出かけた。

因みにこうした名曲は管弦楽にしてもこれぞという演奏でしか聴かない。同曲を二度目に聴いたのは数年前のアムランによる同アルテオパー中ホールでの演奏である。既にその意味は全く違っていた。

シューベルトにおける繰り返しなど今では当然とされる様なことよりもなによりも、その音楽の内包するドラマテュルギーと形式感を尊重して、大ホールを唸らす為のその近代的な楽器をとことん使い切った。決してキーワークの名人ではなくても調音からペダルの扱い方までその音楽的な表現意思に沿って表現の可能性を突き詰めて、音楽を聴かせた。

近代西洋音楽と啓蒙思想は切っても切り離せないが、ブレンデルの演奏はそのリサイタルは、少なくともそれらの創作に耳を傾けて作曲家の内声を聴きとろうとすることで必ず何か新たな境地に、昨日よりも今日、今日よりも明日より啓蒙された分かる人間として存在できるだろうと期待する聴衆が集ったと確信する。

ユーモアを愛し、ベートーヴェンの楽曲の至る所にそれを、ハイドンのウィットを慈しむような文化人であった。教養とはなにも浅く広いことを指すのではない。モラヴィアに生まれ、三歳で音楽的才能を示し、クロアティアで育ち、オーストリアで学んで、ロンドンに移住した。

まさしく西洋近代音楽における汎欧州を体現する音楽家であった。ブレンデルのリサイタルは欧州文化を体験することでもあった。現在それに匹敵する音楽家は、汎欧州の音楽の歴史を示し世界へと向かって、その芸術音楽の意味やその価値を体感させる音楽を指揮するキリル・ペトレンコではないか。共通点は過去へと視線を向けて、その真髄を仲介する能力に長けていることである。二人共必ずしもそうした文化的な中枢出身でなくて、学びつつ伝えることに努力を惜しまない点でも共通している。



参照:
とても そこが離れ難い 2008-11-28 | 音
十分に性的な疑似体験 2008-08-06 | 音
世界を見極める知識経験 2008-07-30 | 文学・思想
勲章撫で回す自慰行為 2008-07-26 | SNS・BLOG研究
形而上の音を奏でる文化 2007-12-21 | マスメディア批評
古典派ピアノ演奏の果て 2007-10-11 | 音
モスクを模した諧謔 2007-10-02 | 音
大芸術の父とその末裔 2006-11-24 | 音
本当に一番大切なもの? 2006-02-04 | 文学・思想

壊れたサンルーフを見せに行った。結果はその場で直らないということで、次の7月1日以降にしか予約が取れないということだった。月曜日にでも見せておけば変わったかもしれない。つまり、それ迄はルーフは閉まってはいるが陽射除けを開きっぱなしで夏至を過ごす。眩しくて若干暑い。トランクの製造上の欠陥の塗装の修理に6月末に約束してあるので合わせて四日間代車で過す。

今回の不都合はその場でヒューズを取り替えられたなら不問にしようと思ったが、流石に半年で7000kmでの二カ所の不良、そしてその前のタイヤのパンクへの保険の不適用とあまりにも問題が多過ぎる。現代の車と違って、高級車の価格を払っている製品としてはこれは苦情無しには済まない。

二度あることは三度あるで、これで事故もなく問題ががなければ、終わり良ければ総て良しである。そのように願いたいが、抑々電装系の初期不良はある程度覚悟していて、今回は複雑なパノラマルーフにそれも不良だけでなくて、修理する電気技師がいないということで時間が掛かる。なるほど本社が支点を中華企業に売り払ってそこから手を引こうとする理由はこのようなところにある。

電気自動車や自動運転を進める中で、開発の技術者はいても修理するメカニックがいないというドイツの潜在的な問題に落とし穴がある。なるほど機械を扱う人には事欠かないが、今回のものでも電気的に検査しないとできないと、ヒューズを替えてみることも試みない。

実際にスマートフォンからのコマンドのエラー情報では、スカラー乗法が出来ていないとなっている。確かにその可能性はシステムのオンオフとルーフの開閉のタイミングがずれたとしたらあり得る。結構複雑な制御をしているのでその可能性は否定できない。然しそれはあまりにもこうした車輛の時には堅牢さが足りない。

多くの人はしばしばジーメンス社のDBのICE車輛でクーラーが停止して仕舞うような事故が起きていることを知っている。あれなども堅牢さが足りないと感じるところである。こうしたところにも車輛の電化には絶対の信頼が得られていない所である。

兎も角、苦情はする。それも販売にすることになる。今迄の経過からすると何かあり得るべき反応は期待できないのだが、少なくとも文書化して積み重ねておく価値はある。この先に何が起こるかも分からないので不具合とその被害だけは記録しておく必要がある。

実際にトランクの蓋を細かく見ると一か所本来は外側から気が付かない所にがさがさが出ている。今回修理されるところもその蓋の仕上がりが悪かったからで、明らかに製造ミスがそこで出ていて、最終検査で見落とされている。そこは写真も撮ったが、約束で持って行く時に改めて指摘する。これだけの検査で落とされているというのはやはり大きな問題で、工場全体の「カイゼン」が必要になる所である。

最初の発注のシステムも壊れていて指摘していたのだが、金を払ってここまで指摘してやらなければいけないのかと思う。通常の割引でなくて関係会社向きの割引であと3%ぐらいはまけてもらっても良かったと思うぐらいである。



参照:
睡眠への基礎環境 2025-06-15 | アウトドーア・環境
誤まった制御装置プログラミング 2010-02-15 | テクニック

ワイン祭り第一週からの避難は上手くいった。第二週目は祭日を挟むのでより長くなる。それでもフランクフルト一泊避難だけで済ましたい。天候からすると前夜の水曜日が最も暑くて厳しくなるが、先週末ほどではないだろう。幸い日曜日は天候が不順だったので、それほどの人出はなかった。比較的静かだった。

最終日の日曜日は例年通り早めに失せる。気温は再び摂氏32度が予想されているが、日曜日早朝帰宅でなんとかなる筈だ。先週末に試したのでそれに関しては心配いらない。8時半頃ならば清掃も終わっていて問題なく帰宅可能となる。出かける時刻も閉鎖の土曜日15時迄に街から出ればいいので問題がないだろう。

水曜日も17時迄は出入り可能となり、木曜日は動けない。金曜日も17時以降は自宅軟禁状態である。短い時間に出かけて車中泊する意味はないので、それはどうでもよい。喧騒の中でも何か仕事は出来る。但し音楽のお勉強は、火曜日、水曜日にしておかないと、その後は金曜日だけである。

ある程度準備をしておかないと仕事も出来ない。一つはWLANドングルのインストールが出来ていないのでそれを時間を掛けてやり遂げることぐらいか。もう一つはカセットデッキのVベルト伸びの修理ぐらいか。あまり暑いと電気製品を試すのも嫌になる。さもなければ2024年度の会計書類の整理もある。

ブログ記事のNOTEへの移転作業を終える。下書き保存をしている。それをどのように使うかなどはまだ未定である。最終的には関連事項などを検索若しくはリンクで関連付けすることで、アーカイヴをどのように使えるかに掛かって来る。少なくともアップデートするサイトは二カ所しかなく、日記フォーマットにはなっていないので、それをどのように整理して関連付けするかにかかっている。まだ秋まで時間はあるので、それまでにベストの方法を決定すればよいと思っている。

新たなアップデートに手間が掛からず、更にアーカイヴまたは関連付けと新たな記事とのリンクの張り方が問われる。

木曜日以来で走る。中三日になると身体も休んんで膝などの調子は良かった。19時過ぎても摂氏24度もあるので、身体は柔らかくなっている。次は水曜日だが夕刻は車を出せなくなるので、早めに走っておくことになる。

歯の治療もあって、此処暫くは以前よりも食事量則ち摂取カロリー量を三割以上増やすようにしている。無駄には摂取しないのだが、出来る限り身体を動かしながら増やそうロしている。兎に角歯の調子が悪くなってから、頑張りが効かなくなって来ていてふらふらするようになってきているからである。

なんとかスタミナをつけたいと思う。体重をあまり上げないようにして、たんぱく質の摂取量を増やしていく。積極的に身体を動かしていくしかないと思っている。



参照:
睡眠への基礎環境 2025-06-15 | アウトドーア・環境
知的に働くよしよしな制御 2024-06-30 | 文化一般


クロンベルクアカデミーでのプログラムのお勉強は出来なかった。それでも2ユーロしたプログラム冊子の内容は全然悪くはなかった。この中でブラームスのピアノ四重奏が最も馴染みのない曲で、シューベルトのハ短調四重奏の断章とシェーンベルクは馴染みの楽曲だ。

その意味からすると、ハ短調のブラームスは奏者もアカデミー以上のプロフェッショナルで、各々が素晴らしい音楽を聴かせた。然し、主役のヤンセンとガッツリ組めるヴィオラのアミハイ・グロースは良かった。ベルリンのフィルハーモニカーの首席でもあるが、同僚の梅さんも今井のセミナーでこのアカデミー出身でミュンヘンで優勝している。グロースはヴァイオリンのヤンセンの関係での登場と思うのだが、二人共呼ばれている。

今回初めて室内楽でそのヴィオラを聴いたが、10月7日関連でペトレンコ指揮でバルトーク協奏曲を演奏した時も素晴らしかったのだが、中々いい演奏をしていた。

ヤンセン自体はソリストとして、ここ数年生でも聴いてきていたが、当初は楽器遣いとしてどこまで評価するかに疑問もあった。それでも先輩格の同郷のクーレンよりは音楽的な表出力もあって、越えていたのは確認していた。

それでも昨年の四季やそれらの演奏からの安定感でもあるのだが、大変真摯に楽曲に対しているのはよく分かった。それは今回のブラームスでのその語り口はとても確り一貫していて、いい加減に表情をつけるようなことはない。それゆえにブラームスの音楽的なコンセプトは余すことなく示される。

それと会話するヴィオラもああした大管弦楽団ではなかなか示せない合わせ方でもある。語り口はより、高度な合奏者としての意識がよく分かった。それ以外にもピアノの上手な押し出しで、チェロもそれなりのいい演奏をしており、室内楽合奏はお互いに影響するものであるから、とてもいい経験にもなっているのだろう。

嘗てならばその程度の室内楽のチェロ奏者は和声の底を埋めるような演奏をして、胴音でサウンド化された室内楽が大会場で多く演奏された様な前世紀とは異なっている。なるほどここのカザルスザールのもっとも新しい室内楽音響で、最早そうした鈍感な演奏が為されることもないのだが、とてもそういう意識の分かる演奏で、流石にアカデミー生の演奏ではない。

それはなるほど専門的な四重奏団の演奏ではないシューベルトとは明らかに異なる。このブラームスのハ短調曲でのホ長調三楽章アンダンテでのクララシューマンへの恋慕もそれゆえにこそ表現される感情の機微であって、如何に音楽的な表出がそうしたサウンド表現からは如何に遠いかの当然を分らせる。

「浄夜」の六重奏はあまり聴いていないのだが、上述したような演奏によって、象徴主義的な意味合いよりもより心理的でもあり、そうした男女の声のない対峙が音楽的に見事に描かれていることがしっかり音化されていた。決して古くはない本来の創作意思に寄り添った演奏だったろう。



参照:
睡眠への基礎環境 2025-06-15 | アウトドーア・環境
一くさりからの芸術 2024-03-21 | 音

クロンベルクから帰って来た。音楽会は出かける価値があった。涼みのワイン祭りを逃れてタウヌスドライヴするだけではなかった。そして初めての車中泊もそれなりに経験できた。

往路で場所を定めた。最初に入ったパーキングがただのハイキング駐車場なのだが最高の条件だった。広さもあり、五画程に木立を塀にして別れていて、尚且つオートキャムプ場扱いではないので、キャムピングカーも奥に二台しか見なかった。なによりも道路から300メートル以上離れているので静かで、林の景色もよく、木立の下に車を停めれて、影だけでなくて雹なども大分避けれる。守られている感じがあっても、車の数も何故か疎らで、皆静かな人ばかりだった。夜中には二件程しか停まっていなかった。

恐らく頂上近くの人気ある所とも違い、レストランもないので、キャムピングカーの人には向かないのかもしれない。それでもネットで言及していた人がいたので知る人ぞ知るでそれ以上の需要がないのかもしれない。

現地へは嘗て冬期にグローサーフェルトベルクの頂上まで行った記憶があってそれも確認したが、駐車場も混んでいてあまりいい感じではなかった。翌朝にも再訪したが、例えば六甲最高峰と比較してそれ程魅力的ではない。同じ名前のシュヴァルツヴァルトのスキー場の方が素晴らしい。

それでもプファルツの森に比較すると標高が200m程高く山が大きいので、峠道やハイキングの感じはより本格的である。その代わりプファルツにはクライミングのメッカとなっている砂岩の奇岩群がある。

車中泊は、装備は悪くはなかった。但しジーンズを履いたままでは腰が鬱血して寝返りが打てないので厳しくなってきた。脱いで、靴下まで脱いで、腰の動きを柔軟にして足を曲げたりで、寝返り相当まで出来た。足を曲げれば二人の添い寝も可能だろうが、下半身に柔軟性が欠けると枠に挟まって仕舞う。少なくとも夜を越すのは条件さえ整えれば問題はない。

まず問題だったのは車載LANが時間を過ぎると落ちることで、落ちないようにするには結構な充電量を食い、代替えとしてスマートフォンからのテザーリングでタブレットなどを使ってみた。空調を利かすと更に充電量が必要で、50%では一晩もたないだろう。それ以前に森の中ではネット環境がいい場合は限られるのも他のパーキングで試して分かった。

さらに重要なのは自然空調でサンルーフを開けたままで就寝することで、これは必須で、一度明け方の出入りすると蚊に刺された。その後サンルーフが急に動かなくなったので、これまた無料修理へと面倒であるが、そこから見える満天の星と共に大変な価値である。車内泊でも空気羽根の重い車輛でテントやその手のバンなどとは寝心地が全く違う。

その他今後の車中泊の利用の可能性を吟味する為の重要な経験と情報となった。但し熟睡するとしても、睡眠不足は避けられないので、帰宅へはとても眠気との戦いであった。



参照:
エコの美味そうな健康 2025-06-14 | 料理
歯に挟まったような気分 2025-06-13 | 雑感

今週は結構歩いた。10kmぐらいだろうか。隣の隣の街まで往復するとそうなる。平素の走る運動量は日曜日から同じなので、全体としての運動量はそれなりになった。

塗装道路を歩くとどのような履物でも疲れる。その疲れ方が違うのである。足腰に堪えて、身体も解れない。そこでいつもの様に走ると、全身運動なのでリラックスになりやすい。なるほど散歩は心理的にはとてもリラックスとはなるのであるが。

片道5kmほどを一時間かけて歩いて、そこで何を食したか?何を飲んだか。お昼に席を予約していたので、スクエアーで食事が出来た。VDPではあるが零細の醸造所であり、今まであまり飲んだことがなかった。理由は知らないが、生産量が少ないのだろう。それでも何代かに亘ってファミリーで良いワインを作っているようで、VDP会員になっているのもそういうことだろう。

日本の宮中にご進物されるリースリングがあるように、そうした大家に比較ると陰に隠れて、今迄も門の前を通るだけだったが、割に最近自営の飲食を提供するようになったようだ。大家の醸造所にも高級レストランが並んでいるが、今回もその一つのホームページを見ると不味そうな写真と金を取りそうな印象しかなかった。

そして19時前に入ると、大きな机は塞がっていて、計画通りの相席が予約してあった。その後に入って来て追い返される人がいた。態々予約していた価値があったのだ。隣町のガーデンレストランは先週も出かけたので料理も変わらない。そこで新しいところであって且つ高級リースリングが楽しめる。

ラムハクセがあったのでそれを食した。アーティチョークを付け合わせていた。そしてリースリングは最初からリストの一番上にあったプリミエクリュの「パラディ―スガルテン」2023年物一本とした。その土壌は横に公共プールがあるように、若干谷筋になっていて、それ程軽い土壌でないことは知っている。さてどのように造っているか?

一言でいうと門に貼ってあったECO指定番号を反映していて、丁寧に出来る限りその地所の葡萄を反映する造りとなっている。なるほど土壌の反映としてはアルコールの割に若干水っぽいのは反応時間の短さか、そして無理のない発酵とが為されていると感じられる。そして価格は他所の三分の一ぐらいである。個人でやっているからこそレストランでも小売りの倍の価格22ユーロの値付けとなっている。然し質はとても高い。

それだけで満足なのだが料理も有機風でおかしな調味料は極力避けて素材の味ととても薄い味付けが京風よりも上品だ。ドイツで食した味付けの中で一番弱い。それでも味があり、リースリングと最高の相性となっている。これほど醸造所の意向と料理が完璧になっているレストランは知らない。

明らかにオーナーの意図がその味付けとなっているのだ。今一番安く高級リースリングを買うならばここのこれらを推奨したい。個人的にもこの価格ならとは思うのだが、簡単に開けてしまうのが怖い。同時に全然飽きないリースリングであることを食事中にも確認した。



参照:
見逃す出合いの機会 2025-05-30 | 文化一般
浪漫よりも中世的街壁 2025-06-12 | 雑感

歯間糸が届いた。最も待っていた配達で、ワイン祭り開幕前に無事届いてよかった。なによりも祭り明けの歯科治療の判断材料として重要なもので、現在ブルッジと歯茎の間に若干の違和感が拡大しえる炎症を避ける為のものだからだ。

上顎の奥目なので歯科で指導を受けたように上手に自分で掃除が出来ることで、そこに食物が挟まることを避けることが出来る。歯間は気になるところがあって、それも今回の治療で好転する筈で、完璧な口内衛生を目指すことが前提となる。

歯科の彼女が自分の歯に拘るよりも、今回の抜歯でより積極的に衛生を考えるようになった。事故やスポーツで歯を無くす人は多いので、寧ろその治療と効果をより積極的に考える。歯科医師に言わせると至極健康でとなるが自分自身は不養生が祟ってあまり快適とは思わなくなった。

要するに歯茎もまだまだ鍛え上げられる地盤があって、二つ目のブリッジとなると思い切りがつく。

週末の車中泊を考える場合も通常の歯ブラシとかと同じくそこに何かが詰まっていたりすると気持ちが悪い。歯ブラシを掛けなくてもあまり苦にならない状態を求めるからである。

天気予報を見ると改善していて、タウヌスでも土曜日も21時頃まで安定していそうで、日曜の早朝までは大崩れしそうもなく、気温も摂氏20度程となっている。崩れるのは日曜夕刻で、それはワイン街道よりも気温が上がらない分安定していそうである。

ピクニックの内容もあるが、燃料は既に入れてあって、充電も80%を上手く使うだけなので、宿泊体制の検討だけである。既にマットは試しているので問題なく、山小屋やユースホステルで使うようなインナーシュラーフサックでなくで、体温調整の可能な掛け布団の試用ぐらいか。枕をどうするかもあるのだが、野外オペラ観戦に入手した座布団が一つ未使用で余っている。問題は保温性が高いので、頭が冷えないことぐらいか。肩は暖まる方がいいが、頭は何かを挟んで冷したい。

その他では電池があるのでトランクに積まなくなった水のタンクをどうするか。どのような時でもあると使いやすい。濡れナフキンよりも使いが買ってがある。

アイスボックスでピクニックを持って行けば、熱いものと冷たい物の両方があれば、それ以外に望むものはないであろう。18時間以内の消費なので可也融通は効くだろう。

あとは精々久しぶりにタブレットを持参するぐらいだろうか。車のホットポイントがどれぐらい使えるか?今迄の経験からすると映像では、場所によると遅すぎて切れてしまうことがある。電話のテレコムと併用にはなる。

来週からのお勉強用のファイルは纏めて持参できるようにしておかなければいけない。もう一つは服装の問題で、出来れば音楽会から帰宅迄あまり着替えしないような組み合わせにしておきたい。車内泊としても長めの休憩だが、熟睡可能な条件までを考えている。早朝に走る時にすっきりしているのが条件だろう。



参照:
引っ越しへの橋渡し 2025-06-10 | 雑感
積み重なる文化的功労 2025-06-11 | 文化一般

マインツ方面の列車に来る人を送りに行った。生憎隣町まで路線が工事中なのでフラインスハイムという城壁の街まで走った。10km程であるが、幾つかの街を超えるので結構面倒で、20分ほど掛かる。

それでも銀行などによりながら用を足した。現金が枯渇しているためにクレディットカードで支払った分を先に埋め合わせしたかったからだ。そこで初めて経験したのは両替の為に多めに入金すると戻って来なくなったことだ。すると現金が全くなくなって心細い。その早朝に散髪で21ユーロ使ったところで、下手をすると現金で支払うクリーニング屋のシャツも取りに行けなくなるところだった。

何かいいものがないかとドイツ国内ではローテンブルクよりも人気のな街の壁を見に行った。送り迎いをしながらそこの案内はしたことがなかったらしい。それどころか自分自身も長く出かけていなかったようで、久しぶりに出かけたら。大分変わっていた。

記録に残っているのは2009年の子供芝居の訪問で、そこの劇団を応援していた人の案内だったので、劇場以外には街中を歩くことはなかった。それ以前には印刷屋を使っていったときがあり、最初は街の人の案内で独日協会で見学して以来だ。

ひところで言うと継続して観光への投資はされていて、それでも外国のバスが詰めかけるようなことがない歴史探訪的な観光と処のワインと高級レストランなどの組み合わせて近郊からの訪問を受け入れているのはワイン街道に共通している。

ロマンティッシェ街道と差異は壁が薄いので、その上を歩くようにはなっていないことで、
それは実は我が家の街の壁でも同じである。然しフランスとの30年戦争など本格的に使われていて、街の自治の基本になっていて、今も旧市街があるからこその街の広がりとなっている。

街の中でお土産屋さんとかカードで使えるようなことがあったなら、それで現金かをしようと思っていたのだが、残念ながら木曜日の午後では良さげな座る所も見つからなかった。諦めて、スーパーでも何か冷たいものと思って、駅までの間に何かあるかと思っていたら、フランクフルトまでのティケットをカードで買えることに思い付いた。鈍行料金で28ユーロ40で、これは丁度当面必要な小銭として欲しいものだった。

最初からこのようになることを知っていたならば、ネットでティケットを購入して印字をすればそれで終わっていたのである。しかし抑々手持ちを現金を自動支払機に持って行かれる予定はなかったのである。

午後2時前には帰宅して仕事を始めているつもりだったのだが、電動で走って蓄電量もなくなりそうで、週末分の給油もして、帰宅したのは15時過ぎであった。想定外に蓄電量が零となって仕舞って、一先ず充電する必要が出来たが、あとは涼しくなってから走りに出かけて、残りを充電しておけば、金曜日は出かける必要がなくなる。

ワイン祭りの準備の喧騒でイライラするのは髪結いやりて婆もであったようで、上手な人も病欠だったので残念だったが、同じような不満を持つ人がいることだけでも心強い。髪結いの口コミはバカに出来ないのだ。



参照:
フラインツハイムを散策する 2009-04-20 | アウトドーア・環境
清涼のタウヌス最高峰 2025-06-09 | アウトドーア・環境

指揮者ティテュス・エンゲルがスイスの文化賞を受賞したようだ。サイトを覗いてみると連邦共和国の賞のようだ。然し音楽大賞ではなくてただの音楽賞である。それでも過去にとっている中に、スイスの現代音楽の重鎮のケルターボルンもトーマス・ケスラーも同じ賞を獲っている。この二人も合わせてヴァイオリンのシュネーベルガーなど個人的に三人と知己があることになる。同時受賞のチェロのトーマス・デメンガが入っていてある意味内輪のような人々である。友人の多いバーゼルの室内楽団も授賞している。友人のおやじさんらしき人がいて一寸驚いた。

2016年から10回で、最初の時にはヴィーンの国立劇場で首になったフィリップ・ジョルダンもノミネートということになっている。どうも二回目からはノミネートの代わりに大賞とその他としたようだ。日本で言えば文化功労賞にあたるのだろう。

スイスに金を集めて来て納税するヴァイオリンのコパチンスカヤや同じくチェロのガベッタが大賞に輝いて、作曲家のヴィッテムバッハが並賞がポップスの人が大賞獲るよりもどうして気になって仕舞うのである。ポップスの人は知らなくてもなるほどスイスを体現しているんぼだろうと思うが、上の二人の演奏家などスイスを思い浮かべる人はその居住地を知らない限りいないだろう。コパチンスカヤもヴィーンだとばかり思っていた。

その他で作曲家のディーター・アンマンなどが入っていて、その意味では確かにスイスの顔になっている人なのかもしれない。その意味ではエンゲルがここに入るのもそれなりに話題になる活躍そしているということで、スイス在住の数多の大音楽家や作曲家などが居並ぶ名士をおいての授賞はそれだけ注目されてきているということだろう。

次のエンゲル指揮公演は来週のフランクフルトでの「ジャンヌダルク」の再演となる。これもオネゲルはルアーヴル生まれながらスイスの作曲家でもあるので、その一貫ともなるのかもしれない。ドビューシー「選ばれし乙女」と共に全くお勉強出来ていないので、なんとかしたい。

既にワイン祭りの為の屋台の外付けクーラーが昼夜ともに激しいファン音を響かせていて、この週末の30度越えには耐え難くなる筈だ。それ以上にその次の週末への間が堪える。第二週目はフランクフルトにも滞在するつもりであるが、いつまで平静でいれるのかよく分からない。

車中のラディオで「ジャンヌダルク」の火刑台への裁判録からの話しであるようだ。三部に分かれた長い作品なので、運転中か車中泊かでは聴ける筈だ。今回のガザへのそれが語る様に、最初はグレタと変わらなかったがということで、その弁論が語られている筈だ。

オラトリオ形式の曲なので、初演は1938年5月12日にパウルザッハー指揮で地元のカジノで為されている。まさしくエンゲルが現在シェフとして腕を振るっているシムフォニエッタのその本拠地そのものである。

こうしたことで文化の歴史が次の時代へと積み重ねられていくのである。



参照:
聖霊降臨祭に清涼感 2025-06-07 | 暦
推挙のその傾向と選択 2025-06-04 | 文化一般