ミケランジェリの孫弟子♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚ピアノ日記 -3ページ目

ミケランジェリの孫弟子♦♫♦・*:..。♦♫♦*゚ピアノ日記

ミケランジェリの内弟子だった先生からミケランジェリ本人の言葉や、練習方法を聞く事が出来ます。それをもとに、更に研究を続けているところです。レッスンでの貴重な話や、ミケランジェリ独特の練習方法などを書いて行こうと思っています。

高校の音楽科に行きたかった当時の私は自分でピアノと声楽、そしてソルフェージュの先生を探し始めた。周りからは志望する学校の先生に師事しなければ合格するのはかなり難しい、と言う事。つまり、コネも受験生にはかなり重要な要素なんだ…そう思い知らされた時だった。でももっと必要な物は…先生達へのレッスン代だ。お金は私が初めて生のピアノ演奏を聴いて、感激に心が震えたあの頃の想像をはるかに越えるだけ必要だった。

中学3年のときに習っていた先生はやめて、志望する高校の大学のピアノ科の先生にどんどんレッスンの申し込みをした。
何人かの先生は、私に親の職業と収入を真っ先に聞いてきた…私はその度挫折しそうになった。
でも私はあの時聴いたピアニストが最初に演奏したショパンの舟歌の美しい官能美を忘れる事が出来なかった…ショパンの舟歌はあれから30年以上経ってもまだ毎日練習する私の生きる意味になっている。

私は学校と親にも嘘をついて空いている時間のギリギリまでアルバイトしてレッスン代を払って来た。高額時給のアルバイトをすることしか時間がなく、夜の仕事もしていた。
当時はいつ寝ていたのか自分でもわからなかった。もちろん練習しなければならない。それも3歳頃からピアノをやっている受験生との遅れをとるためには何十倍もの努力が必要だった。
しかも…。

先生は音大の先生と週1回みて下さる二人のピアノの先生とソルフェージュ、そして声楽…。4人の先生へのレッスン代は当時月に大体10万円ほどだったと記憶しているが。
それは安い方だった。
なぜなら、私は家の経済状況が厳しく高いレッスン代が払えない、っと涙ながらに訴えて(芝居もしたが…)かなりレッスン代を安くしてもらっていたからだ。こんな時は芝居もしなければならないのだ。幸運にも私は芝居が大好きだったので、正に芸が身を助けてくれた…という感じ。

アルバイト代でホロビッツやグールド、ミケランジェリなどのCDを買っては夏休みに一日中聴いて過ごした日々が今は幸せだったと思い出す。

そして受験当日はやって来た。
実技試験ではバッハで間違ってしまい、止まり、聴音ではちんぷんかん⁇

このままでは合格出来ない❗️っと思った私は最後の面接に全てをかけてみようっと思った。
泣きながら、なぜ私がピアノを始めたのか、強く訴え、そして…私は面接官を前に最後に『私を合格させなければ、この学校の最大の損失になると思います。』っと、今思うとゾッとする事を言っていた。

結果、合格した。

そして学校での汚らわしくも刺激あふれる音高生活が始まったのだ。
そこには壮絶なイジメが私を今か今かと待っていた。

続く…😱