学習塾に通った経験は、ありますか?私は、小5~中3までの5年間通っていました。
 そもそも、塾には、志望校の入試を目的とする進学塾と学校の授業について行けない人が通う、補習塾の、大きく分けて2つのタイプがある。私が、通っていたのは、個人経営の補習塾だった。ただし、学校の授業についていけないというよりは、体も小さく、クラスメイトとなかなかとけこめない性格なので、少人数の学習環境に入れて、学校でのストレスを発散することが目的だったと思う。
 私の塾は、正式には、「T岡学習センター」という大層な名前がついていたが、だれもその名前で呼ぶ人はいなくて、通称「サル塾」と呼ばれて、先生のあだ名がサルだった。
 夏休みには、合宿と称して、高尾山や相模湖にある公営のユースホステルに行った。

 公営のユースホステルは、会員でなくても、往復ハガキで申し込んでおけば、利用できた。定員は、1部屋、8~10人で、二段ベッドが、4~5台、置いてある。ベッドの周囲にカーテンがついているので、それを敷けば、一応、ベッド上だけは、自分だけの空間になる。あとベッド脇にロッカーがあり、私物は、そこにしまっておける。

 ただ、トイレは、各部屋にはなく、集合トイレ。風呂も大浴場である。

 そして、ユースホステル最大の特徴でもあり、サル先生にとっては、都合がわるいのは、寝室のあるフロアは、男女別れていて、それぞれ、ちがう階段を登らないと行けないようになっている。当然、先生は、女子部屋に行くわけには、いかないので、自分で女子生徒を管理することはできないので、女子部屋に当然入れるOGを何人か連れてきていて、自分の代りに、その人たちに、女子の管理を頼んでいた。

 もちろん、勉強場所につかっている集会室や、食堂は、男女共同エリアになっている。

 また、ユースホステルという所は、普通は、旅行中の人が、立ち寄る所で、夕方に到着して、次の日の朝には、出発してしまう。つまり、私たちのように、ずっと滞在している人は、まれで、朝食、夕食時には、人がいっぱいるが、昼食時には、ほとんど、塾の関係者だけであった。

 また、塾の教室の壁にある予定を書く黒板に、夏休みの時期になると合宿の計画が書かれるようになり、楽しみにしていた。特に、最終学年である中3の合宿は、大山ホテルで1泊することになっていたので、どんなところなんだろうと楽しみにしていた。しかし、私たちの学年が、中3の時は、中3の合宿は無くなってしまい、近所の神奈川銀行T岡支店の2Fを借りての集中講座だけになってしまい、がっかりした。
 しかし、普段の授業では、いいこともあった。小学生の時は、1学年1クラスしかのかったのだが、中学にあがると、昼間のクラスと夜のクラスに分かれた。それは、中学に入ると部活(課外活動)があり、部活に所属している人は、夜でないと塾に来られなくなるからだ。帰宅部だった私は、昼のクラスにいたが、多い時でも3人ぐらいで、中3の頃には、1人になってしまった。すると、先生が、冬になると、暖房に使っていたストーブの上で缶コーヒーを温めていて、それを私に御馳走してくれるようになった。派手な音がするので、破裂するのではと、ちょっと、怖かったけど。
 そんな思い出深い塾の跡地がどうなっているか、日曜日に行って見た。塾の前の舗装していない広場で、自転車で通っていた人は、自転車を止めたり、みんなで遊んだりした場所は、舗装されいて、周りにも家が建っていた。塾は、たしか、望海荘というアパートの1Fにあった(崖沿いに建っているのでアパートの正面玄関は、2Fになっているが、生徒は、1Fから入った。)。

 アパートの建物らしきものは、残っていたものの、草が生い茂り、廃墟と化していた。また、塾の部屋は、崖下になるので、上からは、見えなかった。

 日本のアニソン第1号は、「鉄腕アトム」(1963年)の主題歌「鉄腕アトム」(♪空をこえてラララ~)であると考えていいと思う。しかし、この「鉄腕アトム」は、3度目のTV化作品である。最初のTV化である1957年の人形劇版の「鉄腕アトム」に関しては、主題歌の有無は不明であるが、2度目のTV化である実写版「鉄腕アトム」に関しては、「鉄腕アトムの歌」(♪ぼくは無敵だ鉄腕アトム~)という主題歌の存在が知られている。つまり、人によって、同じ作品であっても、思い浮かべる主題歌が、ちがう場合があるということだ。

 1963年からでも、既に、55年が過ぎており、多くのリメイクアニメが作られている。中には、「ゲゲゲの鬼太郎」や、「キューティーハニー」の様に、リメイク版でも同じ主題歌が使われている場合もあるが、ほとんどの場合は、違う曲である。

 実際に、私が聞いた例だが、昔、ある保育園の先生が、園児たちに「パーマン」の歌を歌ってほしいと言われて、自分が小さい頃にやっていた「パーマン」の主題歌「ぼくらのパーマン」を、つい歌ってしまい、園児たちが知っている「パーマン」の主題歌「きてよパーマン」と違うので、きょとんとされたという。

 そこで、特に、私が関心をもっている藤子アニメについて見て見ようとおもう。

○ オバケのQ太郎

1.「オバケのQ太郎」(1966)TBS、主題歌「オバケのQ太郎」(♪Q、Q、Q、オバケのQ、ぼくはオバケのQ太郎~)

2.「新オバケのQ太郎」(1971)NTV、主題歌「新オバケのQ太郎」(♪あのねQ太郎はネ~)

3、「オバケのQ太郎」(1985)ANB、主題歌1「QUESTION QUESTION」(♪Q、Q、Q、Q、Q、Q、QUESTION QUESTION キミはだれ~)

4.同、主題歌2「ぼくはオバQノンキなオバケ」(♪お、お、お、オバケのQ、Q、Q、Q太郎、ぼくはオバQ、ノンキなオバケ~)

○ パーマン

1、「パーマン」(1967)TBS、主題歌「ぼくらのパーマン」(♪まっかなマントをひるがえし~)

2、「パーマン」(1983)ANB、主題歌「きてよパーマン」(♪パーマン、パーマン、パーマン、遠くでよんでる声がする~♪)

○ 怪物くん

1、「怪物くん」(1968)TBS、主題歌「おれは怪物くんだ」(♪おれは怪物くんだ、怪物ランドの王子だぞ~)

2、「怪物くん」(1980)ANB、主題歌「ユカイツーカイ怪物くん」(♪カーイカイカイ、カーイカイカイ、ユカイツーカイ怪物くんは~)

※なお、2010年放送のドラマ版「怪物くん」では、2の主題歌が、使われている。

○ ドラえもん

1、「ドラえもん」(1973)NTV、主題歌「ドラえもん」(♪ヒャ~ぼくのドラえもんが、まちをあるけば~)

2、「ドラえもん」(1979)ANB、主題歌1「ドラえもんのうた」(♪こんなこといな、できたらいいな~)

3、同、主題歌2「ぼくドラえもん」(♪あたまテカテカ、さえてピカピカ~)

4、「ドラえもん}(2005)ANB、主題歌1「ハグしちゃお」(♪ふくれっつら、しかめっつら、時々はするけど~)

5、同、主題歌2「夢をかなえてドラえもん」(♪心の中、いつもいつも、えがいてる~)

○ 忍者ハットリくん

1、実写版「忍者ハットリくん」(1966)NET、主題歌「忍者ハットリくん」(♪チャンチャンチャンバラリ、ハットリカンゾウ忍者でござる~)

2、実写版「忍者ハットリくん+忍者怪獣ジッポウ」(1967)NET、主題歌「忍者ハットリくん」(♪ハットリカンゾウ忍者でござる、忍者怪獣ジッポウ連れて~)

3、アニメ版「忍者ハットリくん」(1981)ANB、主題歌「忍者ハットリくん」(♪山をとび、谷をこえ~)

 

 藤子作品だけでも、これだけのバリエーションがある。リクエストを受けて、歌ったり、曲を流したりするばあい、相手が、どれを求めているのか、確認する必要があると思う。

 

 また、べつの例だが、2016年7月20日放送のTV番組「キスマイ魔ジック」(テレビ朝日)に、前川陽子さんが出た。その日は、「うしろの声優だ~れ」という人気企画で、顔見ずに、声だけを聴いて、その声優が、なんのキャラクターを担当していたかを推理するものだった。その中で、うしろのシンガーだ~れということで、前川さんが、出演した。前川さんは、懐かしアニソンでは、堀江美都子さん、大杉久美子さんとならぶ、ビッグネームだ。同番組で用意された答えは、キューティーハニーで、4択の中から選ぶものだったが、ゲストのスピードワゴンとキスマイのメンバーの意見が合わない。スピードワゴンの二人は、キスマイは、倖田來未の印象が強いから分からないのだと言って、キューティーハニーで押して、正解した。

 前川さんは、デビュー曲が、「ひょっこりひょうたんじま」(1964)で、他に、「魔法使いサリー」(1966)のED1「魔法のマンボ」、「リボンの騎士」(1967)のOP「リボンの騎士」およびED「リボンマーチ」、「魔女っ子メグちゃん」のOP「魔女っ子メグちゃん」およびED「ひとりぼっちのメグ」、「あさりちゃん」(1982)のOP「あの子はあさりちゃん」およびED「私は女の子」で知られる。他に、前記の実写版の忍者ハットリくんの主題歌も2作ともそうだ。

 また、声優の川田妙子さんが登場し、正解が、「Dr.スランプ」の則巻アラレだった問題があった。川田さんは、「ドクタースランプ」(1997)で、担当していて、スピードワゴンの2人にとっては、「Dr.スランプ アラレちゃん」(1981)で担当した小山茉美さんの印象があるので、キスマイとの推理の中で、アラレちゃんの声ではないと主張していた。

 前川さんの時は、オリジナルを知っているスピードワゴンに有利で、逆に、川田さんの時は、リメイクを知っているキスマイに有利になっていた。おそらく、TV局側が、そうすることで、公平になるように、考えたのだろう。

 しかし、このことは、やはり、オリジナル版とリメイク版が存在する場合、人によって、想像する版が、違うということをハッキリさせたと思う。

 

 

先日、参加している勉強会で、発表の中で、真金町の遊郭という言葉が出て来て、亡くなった歌丸師匠のことを思い出した。歌丸師匠は、真金町の遊郭「富士楼」を経営するおばあさんに育てられたという。歌丸師匠を全国区にしたのは、日本TVの大喜利番組「笑点」(1966年スタート)に出演したことだと思う。ところが、歌丸さんの日本TVの大喜利番組とのかかわりは、「笑点」が最初ではない、「笑点」の前身である「金曜寄席」(1964年スタート)は、知っている人が多いと思うが、最初に回答者として、関わった「笑いの出前」(1962年スタート)については、あまり、知られていないとおもうので、歌丸師匠以外の出演者について、書いてみる。

 

司会者:木下華声 (1911~1985)、二世三遊亭金馬門下金時でスタート。その後、五世三升家小勝門下で、勝頼。さらに、大正の末頃には、初代江戸家猫八門下で、小猫。昭和4年、2代目猫八を襲名。昭和10年、木下華声と改名。昭和14年、ザツオンブラザース、15年あひる艦隊と、関西で、歌謡ショー(東京で言う、ボーイズ物)を結成した。

父は、明治時代に、柳派の五厘(落語家のマネージャー)として活躍した大与枝(だいよし)だという。

 

歌丸師匠以外の回答者:

四世(先代)柳家小せん(1923~2006)、昭和24年五世柳家小さん門下で、小満輔。昭和26年、小きんで二つ目、昭和36年四世小せんで、真打。「ケメ子さん」の流行語で知られる。

四世桂米丸(1925~)、昭和21年五世古今亭今輔門下で、今児(歌丸師匠も、この名前でスタートした)、昭和22年、二つ目、昭和24年、四世米丸で、真打。はじめは、歌丸師匠の兄弟子、のち、歌丸師匠の師匠。

八世(先代)雷門助六(1907~1991):大正元年六世助六門下で、小助六。大正6年、柳亭左楽門下となる。大正10年睦の五郎で真打。昭和3年、初代雷門五郎、昭和37年、八世助六を襲名。父は、六世助六、養子は、九世(当代)助六。なお、七世助六は、八世助六が落語家を休業している時に、関係ない人が名乗った。

四世三遊亭金馬(1929~):昭和16年三世金馬に入門し、山遊亭金時。昭和20年小金馬で二つ目。昭和33年真打。昭和42年四世金馬を襲名。NHK「お笑い三人組」(1955年スタート)で一世を風靡した。昭和44~45年にかけて、「笑点」の回答者だったこともある。次男は、三遊亭金時。

七世春風亭枝雀(1899~1981):大正7年、四世春風亭柳枝門下で、玉枝。大正10年華好、昭和2年、七世枝雀を襲名、真打。上方にも桂で、枝雀があるが、それとは、別系統。

初世(先代)金原亭馬の助(1928~1976):昭和19年、五世古今亭志ん生門下で、志ん駒。昭和23年、むかし家今松で二つ目。昭和30年、馬の助で真打。フジTVの「お笑いタッグマッチ」(昭和34年スタート)の出演者としても知られたという。