遠出が出来る環境になったので、横浜から、思い切って、京都まで出張し、以前から憧れていた2人の女性に会ってきた。

貧乏人なので、新幹線などは使えず、行き帰り高速バスに乗った。一人目のAさんのライブが、京都であったからだ。

Aさんの活動場所は、普段は、神戸なので、京都なら少しは近いかというのもあったし、神戸は、いったことないが、京都は5回ほど行ったことがあったので、全く知らない町ではないということもあった。1回目は、小学校時代、家族旅行で琵琶湖に行った時、1泊だけ、そこの宿がとれなかったので、1泊2日京都に行くことになった。当時まだ走っていた市電に乗ったり、もう、時効だと思うが、京都御所で、ドブを飛び越して、パトカーが来てしまったこともあった。もっとも、その時は、すでに、御所側から、道路側に飛び移って、何食わぬ顔で歩いていたが汗。金閣寺、広隆寺、寂光院などに行ったと記憶している。

 2度目は、横浜の中学生には定番の修学旅行。奈良に1泊、京都に1泊の2泊3日だった。京都では、金閣寺や二条城に行ったと思うが、よく覚えていないww

 3度目は、京都旅行中の姉が入院したというので、見舞いに行った。このと時も行きは高速バスで、ただ、帰りは、新幹線だった。一人で、銀閣寺や東西の本願寺に行った。

 4度目と5度目は、今は、亡き母と2人行った。4度目の時は、東西の本願寺や、東本願寺の庭園渉成園に行ったり、現地発の観光バスに乗り、宇治の平等院や万福寺に行ったりした。5度目は、東西の本願寺、清水寺、高台寺などに行った。

 そして、今回が、6度目。ただ、夜のライブに行くためには、前日の深夜のバスに乗らなければならす、ライブ当日の早朝に着くことになる。宿もゲストハウスを取ってあったが、チェックインが、午後4時なので、それまでは、入れない。そこで、早朝、何処に行こうか考え、まず、京都駅近くで行ったことがなかった東寺の塔を見に行った。さらに、我家の宗旨の本山である西本願寺を見て、5度目に母と泊まったホテルの前を通ったり、その向いの母と朝食をとったロイヤルホストで朝食をとったりして、感傷に浸った後、堀川通を北上し、ライブハウスの場所を確認しに行った。そこで、失敗したことに気が付いた。宿もライブハウスも堀川通沿いなので、近いと思っていたら、宿は京都駅前で、ライブハウスは丸太町なので、地下鉄で3駅分もあった。これは、歩かない方がいいなと思った。やっと丸太町通に着き、ライブハウスの場所も確認できたので、帰りは地下鉄に乗り、京都駅の一つ手前で下りて、母の実家の本山である東本願寺へ行った。その後、駅まで歩いて戻り、イオンモールへ行った椅子に腰かけて休んでいたら、出発する前に連絡しておいたBさんから携帯に電話が来た。明日会えたら会おうと約束して切った。それから、なんとか時間をつぶして、宿にチェックインし、リュックを置き、自室で小休止した後、手提げ袋一つでライブハウスに向った。白状するが、それまでライブなんていったことがなかったので、横浜を発つ直前になって、色紙を買って行ったほうがいいかとか、プレゼント持っていくべきかと思いついて慌てて用意していった。そして、確認しておいたライブハウスへ、しかし、バスが思った方へ行かずに逸れて行ってしまったため、時間がかかり、開演の1時間前くらいに着きたいと思っていたのに、15分前になってしまった。早く着ければ、憧れのAさんとお話が出来るかなとおもったのだ。そして、ドキドキしながら、階段を下りて行くと看板を撮影している女性がいた。何気なく見ると、なんとAさん本人で、思わず「Aさん?」と声をかけた。「カセイジン(こことは別の場所で使っているHN)です。」と、言ったら、Aさんは、「やっと会えた」と言って、握手してくれた。私の希望的観測で、うぬぼれかもしれないが、うれしそうに(爆)。思い切って、サインと写真を依頼すると快くしてくれた。その後、Aさんをはじめ、出演者の皆様のパフォーマンスを堪能した。

ライブが終わるのが10時過ぎと遅い時間だったので、バスの時間の心配もあり、終わり次第引き揚げてきた。部屋に戻り、寝間着に着替えて眠った。

 翌日、朝から、古本屋めぐりをした。前日に、Bさんから、もしかしたら、夕方くらいに行けるかもしれないと言われていたが、行ける可能性は1%位とも言っていた。その後も何度か電話が来た。しかし、夜8時半くらいになったものの、来てくれて会えてうれしかった。帰りのバスが、10時だったので、あまり時間はなかったが、それでも、ちょっとだけ、カラオケをして楽しむことができた。

 次の日の早朝に家に帰ったわけだが、さすがに、その日は、頭がまわらなかった。

 今、やっとこうして記事が書けるほどに復活したw

 Aさん、Bさん、二人の美女に感謝したい。そして、また、機会があったら会えたらいいなと思っている。

最近、愛川晶先生の落語ミステリーにハマっている。

現在は、3つ目のシリーズが刊行中である。

一つ目のシリーズは、原書房のミステリーリーグから、単行本で発刊され、のちに、創元推理文庫にも

収録され、神田紅梅亭を舞台に、二つ目の寿笑亭福の助と、元師匠で、今も福の助夫婦が親しくしている

山桜亭馬春が、主人公のシリーズ。

1st シーズンは、

「道具屋殺人事件」 2007年8月刊、「芝浜芝居噺」2008年4月刊、「うまや怪談」2009年10月刊、「三題噺 示現流幽霊」2011年5月刊の4冊。

福の助が、真打に昇進し、名前が馬伝になってからの2nd シーズンが、

「茶の湯の密室」2016年11月刊、「手がかりは「平林」」2017年9月刊の今のところ2冊。

 

二つ目のシリーズは、出版社の新人編集者だった武上希美子が、ひょんなことから、ずっと音信不通だった実父が経営する寄席、「神楽坂倶楽部」を出向の形でやらなければならなくなる文春文庫で刊行中のシリーズ。

「神楽坂謎ばなし」2015年1月刊、「高座上の密室」2015年6月刊、「はんざい漫才」2016年4月刊の、いまのところ3冊。

作品世界としては、紅梅亭の1stシーズンよりは、後の時代で、2ndシーズンとかぶる時代。

 

三目のシリーズは、実在の落語家、八代目林家正蔵(のちの初代彦六)師匠が探偵役の中公文庫のシリーズで、

「高座のホームズ」2018年3月刊、「黄金餅殺人事件」2018年10月刊の2冊が刊行されている。作品世界としては、前の2シリーズより古く、一番古い時代を描いている。

 

〇 2つの寄席にモデルは、あったのか?

 東京には、現在、大きな寄席は、「新宿末広亭」、「上野鈴本演芸場」、「浅草演芸ホール」、「池袋演芸場」、「国立劇場演芸場」がある。愛川先生の作品に登場する二つの寄席があるとされる場所に、かつて、寄席全盛期の大正期には、それらの場所に、寄席があったのか調べてみた。

 まず、神田紅梅亭についてであるが、神田には、いまの須田町界隈に、立花亭(新石町)、小柳亭(小柳町)、紅梅亭こそないものの白梅亭が(連雀町)にあったという。

 では、紅梅亭という寄席は、どこにあったかというと、小石川区白山下(いまの文京区白山下)、および、南千住町(荒川区南千住)にもあったという。

 次に、神楽坂倶楽部についてであるが、倶楽部ではないが、神楽坂演芸場というのがあったようである。また、作品中で、寄席の名前で、倶楽部というのが流行ったといっているが、実際にあった倶楽部と名前につく寄席が、いくつかあった。長登倶楽部(本所区松倉町、いまの墨田区本所)、麻布十番クラブ(港区麻布十番)、武蔵野倶楽部(豊島区巣鴨)、笹塚クラブ(代々幡町幡ヶ谷、いまの渋谷区笹塚)、大島クラブ(大島町、いまの江東区大島)、葛飾クラブ(南葛飾郡瑞江村字今井、いまの江戸川区江戸川)、小松川クラブ(小松川町西小松川町、いまの江戸川区小松川)があったという。

 

〇 作品中に登場する亭号は、実在したか?

 愛川先生が、「道具屋~」の後書きで、作品中の亭号は、今は、使われていないが、実在した亭号を使ったと書いているので、調べてみた。

 まず、山桜亭であるが、これは、確認がとれなかった。山が付くものとしては、山遊亭、山笑亭、山生亭などが、確認できた。作品中では、探偵役の山桜亭馬春(モデルは、春風亭小朝の師匠である先代春風亭柳朝だという)を中心とする一門が名乗っている。馬八(のち、福の助、のち馬伝)、、馬坊(のち竹二郎)、はる平(のち亀吉)、お伝、こうま。

 もう1人の探偵役で主役の福の助が所属する笑寿亭。これは、存在は、確認できたものの、詳細は、分からない。師匠の福遊をはじめ、小福遊、福太夫(のち笑寿)、遊松、ふくお(のち、福麿→宝船亭福禄寿→福芭内(ふくわうち)→桃家福神漬)、福三、遊太、福末。ただし、宝船亭については、二代扇橋門下に、宝船亭花橋が実在した。

 花山亭小喜楽の花山亭については、初代扇橋門下に、花山亭扇傾が実在した。作中には、他に、喜円が出て来る。

 松葉家常吉の松葉家については、松葉家は確認できなかったが、二代菅良助(初代立川談志でもある)が、松葉亭祖楽を名乗ったことがあるという。作中に登場する一門には、常八、ひろ吉、のぶ吉がいる。他に常吉の弟弟子の金吉。

 万年亭亀吉(かつての山桜亭はる平)の万年亭。初代可楽門下の万笑亭喜楽門下に万年亭亀遊が実在した。

作中には、他に、亀吉の師匠の亀蔵が出て来る。

 山柳亭山柳。作中に、出演者一覧に名前だけ出て来るのだが、後書きで作者が、実在する川柳川柳師匠の名前をもじったという。そのため、山柳亭という亭号は、確認できなかった。

 佃家三三蔵の佃家。作中では、三三蔵にぬかれた(休演された)と出て来るだけの人。実在したのは、佃家または、佃屋白魚。

 雀々目家竹二郎(かつての山桜亭馬坊)の雀々目家。作中では、師匠の竹馬、竹助、竹也が出て来る。実在したのは、二代金原野馬の助門下の雀々目家翫之助。

 鶴の家琴朝の鶴の家。他に作中には、弟子の琴平。実在したと思われるが、確認できたのは、初代可楽門下の、つる家万助。

 歌遊亭のら坊の歌遊亭。作中では、出演者の一覧表に名前が出て来るだけ。実在したのは、初代扇橋門下の歌遊亭声橋。

 花翁亭文勝の花翁亭。作中では、12月のトリとして、名前が出て来るだけの文勝、弟子の文六の他、竹馬の弟弟子だとう龍扇とその弟子の龍勝。実在したのは、花翁亭扇馬。

 浅草亭東橋の浅草亭。作中には、小馬道(へん橋)、四代小東橋(ほどう橋)、てっ橋、東かちが登場する。おどろいたことに、四代扇橋門下に、まんま、浅草亭東橋が実在した。

 梅花楼春丸の梅花楼。作中には、門下の、こ丸、かしこ丸、むさし丸の他、春丸の大師匠の弟でしだという鶴丸が登場する。実在するのは、梅花楼寿鶴。

 舞遊亭歌橋の舞遊亭。作中には、弟子の歌太も登場する。実在したのは、初代船遊亭扇橋門下の舞遊亭扇蝶。

 七代桃寿亭龍鶴の桃寿亭。作中には、弟子の龍吉も出て来る。桃寿亭は、確認できず、実在を確認できたのは、初代立川ぜん馬が、桃寿庵清翁坊を名乗ったこと。

 

 

 

 

 

 

敬語には、「尊敬語」、「謙譲語」、「丁寧語」、「美化語」があって、使い分けなど難しい。

しかし、人によって違うと思うが、私には、「気になる敬語」と「気にならない敬語」がある。
〇 「気になる敬語」

「~してもらっていいですか?」という表現。最近、接客で、よく耳にするが、これは、気になる。ちょっとひねくれ者だからかもしれないが、じゃあ、「やだ」って言ったら、どうするんだと思ってします。「~していただけますか?」「~してください」でもいいのではと思ってしまう。

〇 「気にならない敬語」
私の場合、気にならないのは、いわゆるファミレス敬語というやつ。「~は、こちらでよろしかったでしょうか?」「~になります。」というものだ。
「~は、こちらで・・・」は、例えば、席に案内してもらった時、あるいは、料理を持ってきて、注文は、こちらでよろしかったか、などと使う。これらは、客の注文と、ちゃんと合っているかを確認する意味だと解釈しているので、問題ないと感じる。
「~になります」は、おかしいという人は、「~になる」が、変化するという意味だから、料理は、まだ未完成で、これから完成するという意味に感じるということだと思う。しかし、「~になる」は、変化するという意味以外に、「~に相当する」とか「~を構成する」とかいう意味もあると思う。すなわち、運んできた料理が、(お客様には、注文したものと違うように見えるかもしれないが、)お客様が注文された、メニューに載っている料理に相当する料理です。もしくは、メニューを構成する料理です。と解釈すれば、問題ないと思っている。つまり、「Aは、BとCからなる」という場合、Aは、BとCに変化するという意味ではなく、Aは、BとCによって構成されているという意味になると思うから。

 

これを読んだ皆さんは、どうだろうか?