いろいろな御三家や三人娘があったと思うが、歌手のものに限ってリストアップしてみる。人名とデビュー曲をとりあげる

<御三家>

1、ロカビリー三人男 1958年頃、日劇ウエスタンカーニバルでうりだされた。

山下敬二郎「バルコニーに坐って」58年4月東芝より発売

平尾昌章(晃)「リトルダーリン」58年1月キングより発売

ミッキー・カーチス「月影のさだめ」58年2月ビクターより発売

 

2、三人ひろし 1960年頃

井上ひろし「銀のランプ」59年東芝より発売

水原弘「黒い花びら」59年8月東芝より発売

かまやつひろし「殺し屋のテーマ」60年2月テイチクより発売

のち水原が、外れて、守屋が加わる。

守屋浩「泣かないで帰ろう」59年4月コロムビアより発売

 

3、61年のウエスタンカーニバルで売り出された御三家

清原タケシ「サレンダー~帰れソレントへ」61年7月ビクターより発売

美川鯛二(中村泰士)「野良犬のブルース」62年4月東芝より発売

鈴木博 ※レコードデビューせず

 

4、スリービート 1962年頃

飯田久彦「悲しき街角」62年7月コロムビアより発売

高松秀晴「山小屋の少女」62年3月東芝より発売

柚木公一(藤本卓也)※シングル発売はなく、グラモフォンより、62年12月発売のオムニバス『カッコイイ10人』の中に、「白い渚のブルース」があるのみ。藤本に改名し、作曲家に転向。代表作は、五木ひろし「待っている女」72年5月徳間より発売、矢吹健「あなたのブルース」68年6月テイチクより発売(詞も)がある。

 

5、御三家 64年頃より

橋幸夫「潮来笠」60年7月ビクターより発売

舟木一夫「高校三年生」63年6月コロムビアより発売

西郷輝彦「君だけを」64年2月クラウンより発売

なお、三田を加えて、四天王とかビッグ4とか言われた

三田明「美しい十代」63年11月ビクターより発売

 

6、GS御三家 67年頃

ザ・スパイダース「フリフリ'66」65年5月クラウンより発売、バンド結成は、61年

ザ・タイガース「僕のマリー」67年67年2月ポリドールより発売、バンド結成は、65年

ザ・テンプターズ「忘れ得ぬ君」67年10月フィリップスより発売、バンド結成は、66年

 

7 3N  70年、映画「野良猫ロックワイルドレインボー」で共演

錦野旦(にしきのあきら) 「もう恋なのか」70年5月CBSソニーより発売

野村将希(真樹)「一度だけなら」70年6月RCAより発売

夏夕介「涙が燃えて」70年ビクターより発売

※夏は、田浦幸(ゆき)の芸名で、オックスのメンバーとしてデビュー、参加したのは、4枚目のシングル「ロザリオは永遠に」69年6月ビクターより発売から

 

6、72年の第47回ウエスタンカーニバルで売り出された新御三家

西城秀樹「恋する季節」72年3月RCAより発売

伊丹幸雄「青い麦」72年4月CBSソニーより発売

田頭信幸「恋のパスポート」72年3月ワーナーより発売

※田頭はソロデビュー前、ELLEの芸名で、ザ・キャッシュ・ボックスのメンバーとしてデビュー「冷たくしないで」70年5月キングより発売

 

7、新御三家 72年後半

前記の西城に加えて、以下の2名

野口五郎「博多みれん」71年5月ポリドールより発売

※デビュー曲は演歌で、2枚目「青いリンゴ」71年8月より、ポップスに転向

郷ひろみ「男の子 女の子」72年8月CBSソニーより発売

※郷は、歌手より先に71年のNHK大河ドラマ「新・平家物語」平経盛役でデビュー

 

第4の男が元タイガースの沢田研二

沢田研二「君をのせて」71年11月ポリドールより発売

 

8 ニュー御三家 74年頃から

城みちる「イルカに乗った少年」73年12月EMIより発売

あいざき進也「気になる17才」74年1月ワーナーより発売

荒川務(つとむ)「太陽の日曜日」74年6月NAVより発売

なお、誰かを外して、豊川を入れる場合もある

豊川誕「汚れなき悪戯」75年3月CBSソニーより発売

 

9 新新御三家 75年頃から

草川祐馬「若者時代」75年ポリドールより発売

加納竜「エロスの海」75年6月 CBSソニーより発売

山本明「君を奪いたい」75年5月ビクターより発売

 

10 サンデーズ御三家 NHK「レッツゴーヤング」レギュラー

太川陽介「陽だまりの中で」76年12月ビクターより発売

川崎麻世「ラブショック」77年7月7月CBSソニーより発売

渋谷哲平「朝日に向かって」78年2月コロムビアより発売

 

11 たのきんトリオ

田原俊彦「哀愁でいと」80年6月NAVより発売

近藤真彦「スニーカーぶる~す」80年12月RCAより発売

野村義男※バンドTHE GOOD-BYEのメンバーとして「気まぐれ ONE WAY BOY」83年9月ビクターより発売、バンド活動時期は83年~90年

 

12 少年御三家 88年頃

男闘呼組「DAY BREAK」88年8月ビクターより発売発売、バンド活動時期は、85年~93年

光GENJI「STAR LIGHT」87年8月キャニオンより発売、グループ活動時期は、87年~94年

少年忍者※忍者と改名後デビュー「お祭り忍者」90年8月コロムビアより発売、グループ活動時期は、88年~97年まで

 

 

 

 

 なじみの深い50音のかな文字の中で、「お」と発音する文字だけが2つある。一つは、あ行の「お」であり、もう一つは、わ行の「を」である。この「を」を「お」と区別するために何と言うかというのが、あるサイトにアップされていた動画にあった。その中では、地域差で言い方がちがうと言っていた。本当に地域差によるものなのかは、疑問だが、挙げて見ると以下のようになる。

 

1、「うぉ」 東京地区

 これは、ローマ字表記の”Wo”から来ている発想だと思う。パソコンのローマ字入力で、woと入力すると「を」が表示される。

 

2、「くっつきの『を』」 広島地区、「つなぎの『を』」 埼玉地区

 くっつきの『を』は、私の考えでは、広島地区と言うより、教育現場で広く使われている言い方ではないかと思う。「くっつき」というのは、「を」という文字が、口語では、単語の頭にくることがなく、「あなたを」のように、常に他の単語にくっついて使われるためである。また、つなぎの『を』というのも同様の発想だと思う。

 

3、「かぎの『を』」 秋田地区、「腰曲がりの『を』」 青森地区

 これらは、「を」という文字の形を現わしている。

 

4、「下の『を』」 石川地区、「重たい『を』」 群馬地区

 これらは、五十音表で見た時に、最後の方に出て来ることから、来た発想だと思う。また、2のような意味もあるかもしれない。

 

5、「わをんの『を』」 福岡地区

 これは、五十音表での位置をそのまま言ったもの。

 

6、「小さい(方の)『を』」 富山地区

 これは、2の発想に近いが、語頭に来ることがないということを

存在感の小さい文字と表現したのでは、ないかと思う。

 

7、「むずかしい(方の)『を』」 大阪地区

 これは、面白い言い方だなと思った。私の家には、物心ついたときから、江戸と京の2種類のいろはガルタがあった。いろはガルタには、「を」の他に「ゐ」、「ゑ」という文字もあり、3組の発音が同じ文字がある。具体的にいうと、江戸の「い」は、「犬も歩けば棒にあたる」、「ゐ」は、「芋の煮えたも御存知ない」、京なら、それぞれ、「一寸先は闇」、「イワシの頭(かしら)も信心から」。「え」および「ゑ」は、江戸なら、「得手に帆を上げる」「縁と月日(つきひ)」、京なら「縁は異なもの」「縁の下の舞」。「お」および「を」なら、江戸は、「鬼に金棒(かなぼう)」「老いては子に従え」、京では、「負うた子に教えられ浅瀬を渡る」「鬼も十八」となる。その文字を区別するために、小さい頃の私は、「ゐ」や「ゑ」を現わすのに、見慣れていないという意味で、変な『ゐ』とか、変な『ゑ』とか言っていた。また、年下のいとこたちと遊ぶ時には、変なという言葉を避けたかったのか、難しい(方の)『ゐ』とか『ゑ」とか言っていたと思うので、『を』を難しい(方の)と表現したくなるのも分からなくもないが、「を」は、見慣れない文字ではなく、そんなに難しいとは感じなかったので、私は、難しい(方の)『を』とは、表現しなかった。

 

8、 「なになにをの『を』」

 これは、動画内では、出て来なかった表現だが、私がよく使う表現で、放送でも、よく使われている言い方ではないかと思う。発想としては、2と同様である。

 

さて、みなさんの地元では、なんと言っていただろうか?

 

 

 

 

 

先日、7月27日に、関根勤・長峰由紀アナが司会の「昭和歌謡ベストテン」というBS-TBSの番組で、GS特集があった。曲のベストテンではなく、バンドのベストテンという事だった。ゲストに、ゴールデンカップスの4人とワイルドワンズの3人、共にリーダーが亡くなってしまって今の編成になっている。また、タイガースの加橋かつみが出ていた。ここで、同番組でとりあげたバンドを人脈を中心に見ていきたい。

 

10位 ザ・カーナビーツ

 ドラム&ボーカルのアイ高野を中心としたグループ。他に、ボーカル臼井啓吉、ギター喜多村次郎(元、スイングウエスト)、ギター越川ひろし、ベース岡忠夫の5人が結成時のメンバー。ヒット曲としては、カバー曲である「好きさ好きさ好きさ」「恋をしようよジェニー」がある。10枚目のシングル「OK」発売前に、臼井が脱退し、ボーカルにポール岡田が加入した。以降レコードは、でなかったが、末期には、喜多村と岡が脱退し、ベースに、ポール岡田と同じキャンディーズ出身の雑賀京一、キーボードにエリ(女性)が参加したという。なお、解散ライブには、元メンバーの喜多村と岡が参加したという。臼井は、青山啓吉と改名し、ソロデビュー。アイは、ゴールデンカップスに移籍、さらに、竹田和夫のクリエーションに参加した。ポールは、本名の長岡和彦で、寺門由紀子とパイシスを結成、ユーミンナンバーの「恋人と来ないで」を発表した。

 

9位 ザ・ゴールデンカップス

 横浜の本牧にある同名のライブハウスで結成された。バンド。オリジナルメンバーは、リーダーでボーカルのデイブ平尾、リードギターのエディ藩、サイドギターのケネス伊東、ベースのルイズルイス加部、ドラムのマモル・マヌーで、本牧という土地柄を生かしたハーフのバンドという売りであった。しかし、実際は、デイブは、本名を平尾時宗という純粋な日本人で、仲間内では、トキさんと呼ばれる。デイブなのにトキさんなのは、そのため。藩は、本牧から近い、横浜中華街にあった料理店「鴻昌」の息子、藩広源。なので、ニックネームは、コーちゃん。エディはクリスチャンネームだという。ケネス伊東は、ハワイの日系人。いわゆる本牧の米軍施設の中の人、そのため、最新の音楽情報をカップスに伝えた。ルイズルイスは、父親がフランス系アメリカ人だという。しかし、父の名前、ルイズルイスを芸名とした時、綴りが分からなくて慌てて調べたという。本名は、加部正義といい、ニックネームはマー坊。カップスの後は、ジョニー吉長やチャーと、ジョニー・ルイス&チャー(ピンククラウド)に参加した。ドラムのマモルは、本名三枝守という日本人である。

 メンバーチェンジも多く、ケネスが、ビザの関係で帰国すると、オルガンにミッキー吉野(のちゴダイゴ)が参加、エディが自分のグループを作るために抜けると、加部が、ギターに回り、ベースに林恵文が参加、その後、加部、林、マモルの3人が脱退すると、ギターに藩、ベースにケネスが復帰、ドラムには、解散したカーナビーツからアイ(のちクリエーション)が参加した。ケネスがベトナム戦争に参加するために脱退するとベースに弟バンドといわれパワーハウスから、柳ジョージ(のち、柳ジョージ&レイニーウッド)が参加。さらに、ミッキーが渡米すると一時、4人編成になったが、最後にオルガンにジョン山崎を加えた。解散コンサートは、返還前の沖縄で、ラストに漏電が原因の火災で、アイが前任者であるマモルから譲られたドラムセットが燃えてしまったという。

 70年代、デイブ平尾&ザ・ゴールデンカップスとして再結成された時には、元、ダウンタウンブギウギバンドの蜂谷吉泰が、ギターで参加したり、ドラムに、元グレープジュースの金沢ジュン(のちに、羅生門、ゴジラと言ったバンドで近田春夫と共に活動)らが、参加したこともあったという。

 最大のヒット曲は、「長い髪の少女」。他に「愛しのジザベル」、「愛する君に」など。なお、「愛する君に」のB面「ク~ルな恋」は、アニメ「巨人の星」で、主人公、星飛雄馬が、付き合った芸能人、橘ルミが所属するグループ「オーロラ三人娘」のヒット曲として、劇中歌に使われた。そのため、橘ルミ役の声優、増山江威子のバージョンも録音されおり、のちにCDに収録されている。また、90年代には、実在のアイドルユニット「オーロラ5人娘」が結成され、彼女たちによるバージョンもCD化されている。当時電脳アイドルとして人気のあった、チバレイこと千葉麗子や、のちに声優として活躍する千葉千恵巳がメンバーにいた。その後もカップスは、全盛期の5人で再結成し活動を続けていたが、デイブが死去、現在は、4人となっている。なお、元メンバーのうち、ケネス、アイ、柳も故人となっている。

 

第8位 ヴィレッジシンガーズ

 フォーク系GSの代表格。ギターの小松久、ベースの森おさむ、12弦ギターの南里孝夫、ドラムの林ゆたか、オルガンの古関正裕(作曲家の古関裕而の子息)の5人で結成。古関は、デビューシングルの録音には参加したものの、発売前に脱退したため、ジャケットの写真には写っていない。2ndシングル発表後に、南里と森が脱退。新しく、ボーカルに、横浜の上大岡のスポーツ用品店の息子だという清水道夫、ベースに笹井一臣、キーボードに、元サベージの小池哲夫が参加した。このメンバーで発表した「亜麻色の髪の乙女」が最大のヒット曲、他に「バラ色の雲」など。なお、GSの中では、主演映画の本数が多い事でもしられる。70年代に入っても活動をつづけ、ベースが、笹井から角田英治に替わった。このメンバーで「オールスター大運動会」に参加している映像も残っている。

 なお、00年代に、島谷ひとみが「亜麻色」をカバーした際に再注目された。清水の偽物が現れたり、NHKの「想い出のメロディー」で、全盛期の5人のメンバー勢ぞろいで再結成され、そのメンバーで、現在も活動をしている。

 

第7位 ザ・ジャガーズ

 ルーツは、若者のたまり場、六本木野獣会で結成された野獣会オールスターズ。この時のボーカルは、井上順(のちスパイダース)だったという。その後、インストバンド、宮ユキオとプレイファイブを経て、ザ・ジャガーズとなる。オリジナルメンバーは、ボーカルの岡本信、ギター宮崎こういち、ギター沖津久幸、ベース森田巳木夫、ドラム宮ユキオ、キーボード佐藤安治の6人。デビュー曲の「君に会いたい」がヒットし、人気が出たが、リーダーの宮とメンバーが金銭問題などでモメ、リーダーが脱退という異例の事態になる。替わって入ったのが、ドラムの浜野たけし。

 宮は、ボーカルに津久戸けんじ、山崎こうじ、ギターに片岡二郎、ベースに原浩、オルガンに深沢ジョー(のちブルージーンズ)を集め、ニュージャガーズを結成、「愛のアルツァート」を発表したもののシングル一枚で終わってしまった。タレントの田中義剛によると、かつて青森でジャガーズショーがあり、出かけたら全然違うメンバーで、観客の大人たちが、怒っていたと話していたが、そのジャガーズは、このニュージャガーズのことではないかと思われる。

 一方、宮が脱退し、宮崎が二代目のリーダーになった本家ジャガーズは、「マドモアゼルブルース」、「キサナドゥーの伝説」とヒットを出した。8枚目のシングル「いつか誰か」の時には、沖津が脱退し、5人組になった。以降、シングルは出なかったが、末期には、浜野、佐藤が脱退。P.S.ヴィーナスよりボーカルの石井芳夫、サマーズよりボーカルの橋アキラ、ドラムの牧ツトムが参加した。最終的には、宮崎も脱退し、森田が三代目のリーダーとなったというが、自然消滅した。その後、TVCMで「君に会いたい」が使用され再注目されると、オルガンの佐藤を除くオリジナルメンバー5人で再結成された。ドラムの宮とも和解した。宮、沖津、佐藤の3人が横浜出身で、活動拠点の一つが横浜だったこともあり、横浜と馴染のあるGS。現在は、宮、岡、宮崎の3人が故人となってしまったため、活動していない。

 

第6位 オックス

 元キングスの、ギター福井利夫とドラムの岩田裕二が、ギターの杉山則夫、ベースの岡田史郎、オルガンの赤松愛、ボーカルの栗山純、野口ヒデトと集め、デビュー前には、7人だった。その後、栗山、杉山が脱退、5人組として、「ガールフレンド」でデビュー、最大のヒット曲は、「スワンの涙」、他に「ダンシングセブンティーン」などがある。4阿枚目のシングル「僕は燃えてる」を最後に赤松が脱退。5枚目のシングル「ロザリオは永遠に」より、元、和田アキ子のバックバンド、グランプリズにた田浦ユキがオルガンに参加した。

のち福井と岡田は、ピープルを経て、ローズマリーを結成。この時は、メンバーにモト冬樹もいた。野口は、真木ひでとと改名し、TVのオーディション番組「日本歌謡選手権」で勝ち抜き演歌歌手として再デビューした。田浦は、夏夕介と改名し、俳優デビューし、「愛と誠」「特捜最前線」などで活躍したが、故人となっている。

 

第5位 ジャッキー吉川とブルーコメッツ

 古くは、カントリー歌手の竹田公彦が作ったバンドで、ギターの田村亘(はじめ)、ベースの大橋道二、ドラムのロジェ滋野の他、吉野五郎、片山明彦がオリジナルメンバーだという。当時、ジャッキーは、バンドボーイで重い荷物を軽々と持ち上げて運ぶさまをみたメンバーが、まるで、ジャッキの様だと言ったことから、ジャッキーの芸名がついたという。専属歌手には、双子歌手の竹尾ツインズ(ふじ山兄弟)などもいたという。その後、ロカビリー歌手の鹿内タカシが再編成をして、ジャッキーがドラマーとして正式メンバーとなったほか、ギターの田村、ピアノに宮川英雄の他、サックスの井上忠夫(大輔)、ベースの高橋健二、オルガンの小田啓義といったのちのGS期のメンバーが、順次参加していき、田村引退後に、三原綱木が加わった。歌手が、鹿内から尾藤イサオに替わった頃、ベースの高橋が一時脱退、江藤勲(俳優の江藤潤の兄で、歌手の黛ジュンと夫婦だったこともある。故人)に替わったが、ボーカル物に取り組むことを嫌った江藤が脱退し、高橋が復帰し、GS期の5人が固まった。英語版の「青い瞳」でデビューした。あと、ヒット曲をかさねる。最大のヒット曲は「ブルーシャトー」。岩崎宏美のカバーでヒットした「すみれ色の涙」は、小田が作った楽曲で、元々ブルコメが歌っていた曲。また70年代以降も活動をつづけ、ブロードサイドフォーと競作の「星に祈りを」、トワ・エ・モアと競作の札幌五輪のテーマソング「虹と雪のバラード」と言ったフォークソング、「さよならのあとで」や、角川博のカバーでも知られる「雨の赤坂」といった演歌も発表している。井上、三原、高橋の3人の脱退をもって、GS期の終了とする。バンド自体は、その後もメンバーチェンジを繰り返しながら存続。トワ・エ・モアの白鳥英美子の夫、白鳥健二がベースで参加していたこともある。近年は、GS期の5人で再結成していたが、井上が死去し、現在は4人。

 

第4位 ザ・スパイダース

 のちに田辺エージェンシーの社長となる田辺昭和が作ったバンド。田辺は、ワゴンマスターズのバンドーボーイだったことから、同バンドを脱退した堀威夫(のち堀プロ社長)のバンド、キャクタスワゴンボーイズのドラマーとしてデビュー、ワゴンマスターズの分裂で、堀が呼び戻されると、脱退組が作ったオールスターズ・オブ・ワゴンに参加。堀が再びワゴンマスターズを脱退して、スイングウエストと結成するとそれに参加した。スイングウエスト脱退後に、田辺自身がリーダーとなって作ったのが、スパイダース。

 オリジナルメンバーは、ギター伊藤源雄、ベース三科実、ドラム田辺、スチール山田元保、ピアノ日吉武の5人。その後メンバーチェンジがあり、ベースが星野一、ピアノが渡辺治虫、スチールが大野克夫に交代。専属歌手に、スリージェット、堺正章、かまやつひろし、などが参加してくる。

 スリージェットは、元々スパイダースの井上堯之、キヤノンボールの小林隆美、モアナエコーズの箱田常雄3人で結成されたボーカルユニット、のちに、箱田が脱退、浅見裕が参加した。最終的には、自然消滅し、井上1人が、スパイダースに残った。

 キャノンボールは、元スイングウエストの清野太郎が結成したバンドだったが、清野がハワイに行くことになり、かまやつひろしが、跡をついだ。しかし、すぐに解散になり、かまやつは、スパイダースに専属歌手として参加、同時に、ギターの加瀬邦彦もスパイダースに参加したが、先輩ギターの伊藤と衝突し、3ヶ月で脱退、ブルージーンズに半ば強引に移籍してしまった。

 その後、伊藤が、大野と衝突して脱退してしまうと井上とかまやつがギターに回り、専属歌手に、斉藤チヤ子、井上順が参加。ベースも加藤充に代わり、ピアノの渡辺が脱退するとスチールの大野がオルガンに回った。さらに、斉藤が脱退、専属歌手の堺と井上順が、ボーカルとしてメンバーに組み込まれ、GSとしてスタート。デビュー曲「フリフリ66」のジャケットには、かまやつが写っていないが、これは、かまやつが寝坊して、写真撮影に来なかったため。浜口庫之助の楽曲「夕陽が泣いている」のヒットで、一躍スターダムに上り詰め、第二弾「風が泣いている」、「ノーノ―ボーイ」などは、堺のメイン、「なんとなくなんとなく」「いつまでもどこまでも」は、井上のメイン、「あの時君は若かった」は、堺と井上のかけあいと、ヒット曲を連発した。主演映画の数もGS最多である。最後のヒット曲「エレクトリックおばあちゃん」発表前に田辺が引退。バンドボーイだった前田富雄が、ドラムとして参加したが、まもなく解散。井上堯と大野は、GS出身者が集まって、作られたPYGに参加。このバンドが、太陽にほえろの音楽で有名な井上堯之バンドに発展した。1999(平成11)年の紅白歌合戦に、井上堯、堺、かまやつの3人が、ソン・フィルトル(Sans Filtre)として参加した。

 

第3位 ザ・ワイルドワンズ

 キャノンボール~スパイダース~ブルージーンズと渡り歩いた加瀬邦彦が自らメンバーを集めて作ったバンド。オリジナルメンバーは、加瀬の他、ギターの鳥塚しげき、ベースの島英二、ドラムの植田芳暁の4人。全員がボーカルをとれるのも特長。デビュー曲の「想い出の渚」のヒットで、一躍人気者となる。この曲は、曲が先に出来ており、メンバー4人がそれぞれ、自作の詞を持ちより、その中で鳥塚の詞が採用されものだという。そのためか、鳥塚がメインボーカルを取っている。「青空のある限り」、「愛するアニタ」といったヒット曲を連発するが、いずれも植田がメインボーカル。その後、キーボードに渡辺茂樹が参加。タイガースのジュリー、テンプターズのショーケンにつづく第3のアイドルと言われ、チャッピーの愛称で知られた。加入直後のシングル「バラの恋人」は、渡辺がメインボーカル。

 70年代には、オリジナルメンバー4人で再結成、1990年には、ワイルドワンズ’91として、峠恵子、白石享子の2人の女性ボーカルを加えたり、また、2009年には、ジュリーと組んで、ジュリーwithワイルドワンズとして活動したりした。近年は、渡辺、加瀬が亡くなり、3人で活動している。

 

第2位 ザ・テンプターズ

 西のタイガースに対して、東のアイドル系GSの雄。もとは、埼玉県のお寺で練習していたグループで、ギター高久昇、ギター田中俊夫、ベースでリーダー松崎由治の他、アルトサックス奏者や女性ボーカルがいた。テンプターズの名前は、このサックス奏者がつけたもの。その後、ボーカルにショーケンこと萩原健一が加わり、ドラムが、大口広司に替わった。女性ボーカルとサックスが脱退し、5人編成のバンドとして、松崎が作った「忘れ得ぬ君」でデビュー。最大のヒット曲、「エメラルドの伝説」の他、「神様お願い」、「おかあさん」などのヒット曲があった。解散後、萩原と大口は、前述のPYGに参加した。

 

第1位 ザ・タイガース

 京都の4人の高校生、ベースの岸部修三、ギターの高橋克己、森本太郎、ドラムの人見豊によって結成された、サリー&プレイボーイズがルーツ。この時は、演奏バンドで、サリーは、岸部の愛称。レパートリーに、「のっぽのサリー(Long Tall Sally)」があり、岸部が背が高かったので、そこに由来。その後、ボーカルに取り組むことになり、澤田研二をスカウト。バンド名をファニーズと改称する。上京すると作曲家のすぎやまこういちに預けられる。同氏の発案でザ・タイガーズと改称、同氏作曲の「僕のマリー」でデビュー。アイドル系のGSらしく、メンバーそれぞれに芸名と相性がつけられた。岸部は岸部おさみ(サリー)、高橋が、加橋かつみ(トッポ)、森本が、森本タロー(タロー)、人見が、瞳みのる(ピー)、澤田が、沢田研二(ジュリー)となる。3枚目の「シーサイドバウンド」でブレイク、以降、ジュリーのメインボーカルで「君だけに愛を」、「モナリザの微笑」、「銀河のロマンス」、トッポのメインボーカルで「花の首飾り」、「廃墟の鳩」とヒットを連発した。メンバーの作ったヒット曲としては、タローが作った「青い鳥」がある。しかし、主演映画も作られたり、人気絶頂の中で、加橋が失踪、脱退。アメリカにいた岸部の弟、四朗(シロー)が急遽呼び戻され、メンバーとなる。田園コロシアムのコンサートをもって解散となる。沢田と岸部兄(のち一徳と改名)は、前述のPYGに参加、森本は、タローとアルファベッツを結成、その後、森本太郎とスーパースターでも活動、岸部弟は、兄弟デュオのブレッド&バターと組み、シローとブレッド&バターとして1年間活動、「野生の馬」のヒットがある。また、岸部兄弟は、サリーとシロー名義でアルバムを発表していて、かまやつひろしの名曲「どうにかなるさ」は、もともとこのアルバムに収録された曲。かまやつのセルフカバーによるシングルでヒットした。1981~83年にかけて同窓会コンサートが開かれ、瞳を除く5人で活動し、「色つきの女でいてくれよ」をヒットさせた。1988年には、タイガースのメンバーを中心にGS出身者が集まって流動的なメンバーでタイガースメモリアルクラブバンドとして活動。1993年には、森本、岸部弟、加橋にものまねの岩本恭生を加え、ザ・タイガースマニアを結成、CDを発表した。さらに、1997年には、沢田、岸部兄、森本の3人で、「TEA FOR THREE」を結成、CDをリリースした。その後、岸部弟が、脳こうそくに倒れたものの瞳が芸能界に復帰し、41年ぶりに、オリジナルメンバーによるタイガースが復活した。