西城秀樹さんの訃報が流れて1週間たった。個人的には、いつもやっているネットカラオケで、「激しい恋」を歌い始めた頃だったので、そのタイミングに驚いた。昨年、亡くなった従姉が、秀樹のファンで、熱狂していたことなども思い出した。
1.デビューの経緯
兄のバンドで、ドラムを担当していて、広島のジャズ喫茶でスカウトされた。グループサウンズ(GS)のバンド491(フォーナインエース)のオリジナルメンバーであった上条英一氏のマネージメントでデビューした。なお、全盛期の491のヴォーカルは、のちに、「人間の証明」などのヒット曲で知られたジョー山中である。
1972年5月6日~12日に開催された第47回日劇ウエスタンカーニバルで、伊丹幸雄(「青い麦」でデビュー、のちロックバンド「ローズマリー」のメンバーになったこともある>)と田頭信幸(バンド、キャッシュボックスのメンバーとしてデビュー後、阿久悠作詞、宇崎竜童作曲の楽曲「恋のパスポート」でソロデビュー、NHKのヤング101のメンバーとしても活躍した。)の3人で、フレッシュ御三家として売り出された。
2.デビュー曲とキャッチフレーズ
デビュー曲は、RVCより、1972年3月25日に発売された「恋する季節」。キャッチフレーズは、「ワイルドな17歳」だったという。新御三家の1人、野口五郎のキャッチフレーズは、「青い木の芽の肌ざわり」というものだった。
3.新御三家
前述のフレッシュ御三家の後、新御三家の一人として売り出され、ブレイクする。他に、前年、演歌「博多みれん」でデビューし、この年に、「青いりんご」でポップスに転向した野口五郎、「男の子 女の子」でデビューした郷ひろみの3人。当時の女の子は、3人の中で、誰派かで別れていたと思う。この御三家の特徴しては、秀樹が芸映プロ、五郎がNPミュージックプロ、ひろみがジャニーズ事務所と3人とも所属事務所が違うことである。また、秀樹は、前述のようにドラム、五郎はギターを演奏するので、2人が、それぞれ楽器を演奏し、ひろみがボーカルをする、いわば、新御三家バンドのようなものをTV番組で披露したこともあった。
4.ヒット曲
70年代のアイドル全盛期には、「傷だらけのローラ」、「激しい恋」、「情熱の嵐」とヒット曲を量産した。マイクアクションや球場コンサートなどの演出も秀樹が取り入れたものだという。
80前後から、洋楽のカバーを手掛けるようになる。1978年には、最大のヒット曲と言える「ヤングマン(Y.M.C.A.)」を発表。これは、ビレッジピープル(Village People)の「Y.M.C.A.」のカバー。当時、私は、横浜YMCAに体育を習いに行っていたので思い出深い。また、中学の時には、三ツ沢競技場で行われた何かの大会に学校で行って、YMCAの振り付けをやらされた思い出もある。1979年には、スティービー・ワンダー(Stevie Wonder)のアルバム「Journey Trough The Secret The Secret Life of Plants」所収の楽曲「Ai No, Sono」のカバー「愛の園」を発表。1981年には、グラハム・ボネット(GrahamBonnet)の「New York Games」のカバー、「New York Games」を発表。1984年には、イギリスの2人組ワム!(Wham!)の「Cares Whisper」のカバー、「抱きしめてジルバ-Cares Whisper-」を発表した。この曲は、郷ひろみと競作になった。
また、1983年2月発表の44枚目のシングル「ギャランドゥ」では、衣装の関係で見えた腹毛をギャランドゥと呼ぶことが一般的となり、のちに、ものまね番組で山口智充さんが、「この辺がギャランドゥ~♪」とお腹の辺りをさしながら歌った。ご本人登場で秀樹が登場した時、秀樹自身が、そのように歌って、山口さんが、苦笑していた。
5.ザ・ベストテンでの失言
TBS系で放送されていたランキング番組に、「ザ・ベストテン」、司会は、黒柳徹子、久米宏(のち、小西裕之、松下健次、渡辺正行)と交代)があった。当然、秀樹は、常連であった。史上初めて最高得点9999点(ランキングボードの得点欄は、カード式で、4桁表示のため、同点が、表示可能な最高点となる)を獲得したことは、有名であった。
しかし、秀樹には、失言もあった。
司会の徹子から、「どんな本を読むの?」と聞かれて、「SFが好きです。」と言おうとして、「SMが好きです。」と言ってしまい、慌てて、言い直したことがあった。
6. バーモントカレーのCM
「秀樹、感激!」「リンゴとハチミツとろ~りとけてる、食いしん坊の夏だ!」などのフレーズが印象的なバーモントカレーのCMには、1973~1985年にかけて出演したという。東山紀之と交代し、その後も何人かが担当、最近では、TOKIOの長瀬智也も担当したが、やはり、秀樹の印象が強い。なお、秀樹と共演した子役で、東山の最初のバージョンまで出演した子役の中に、現在、俳優として活躍している山本耕史がいたという。
7. 秀樹とアニメ
秀樹は、アニメにも貢献している。フジTV系の日生ファミリースペシャルの枠で、1980年6月30日に放送された「坊ちゃん」、1981年6月8日放送の「姿三四郎」で、それぞれ、主人公の声を担当した。
また、歌手としても、1991年4月21日発表の66枚目のシングルは、「ちびまるこちゃん」の主題歌、「走れ正直者」。1999年5月26日発表の79枚目のシングルは、「機動戦士ターンAガンダム」の主題歌、「ターンAターン」である。
8.映画
1974年7月13日公開の松竹映画「愛と誠」で、主人公早乙女愛の相手役、大賀誠役をした。この作品は、梶原一騎・ながやす巧によるマンガが原作で、「君のためなら死ねる」というセリフが流行ったそうである。なお、シリーズ化され、1975年3月15日、1976年9月23日に、続編が公開されたが、早乙女愛は、変わらないものの、大賀誠役は、それぞれ、南条弘二、可能竜と替わっていて、秀樹はしていない。
9.TVドラマ
一番有名なのは、長男周平役で知られるTBS系で放送された「寺内貫太郎一家」シリーズである。1974年1月16日から10月9日まで(全39回)が第1シリーズで、主演の小林亜星さんとの派手なケンカが売り物で、秀樹は、撮影中に腕を骨折したという。1975年4月16日~11月5日まで(全30回)が、第2シリーズ、この作品のみ二男。1998年9月24日、2000年9月22日の2回、スペシャル版も製作されている。携帯電話のCMで、この一家が出ていたのも印象深い。
他に、1975年6月6日~9月26日にかけてTBS系で、17回にわたって放送された「あこがれ共同隊」がある。このドラマは、当時のトップアイドル、郷ひろみ、桜田淳子との共演が話題になった。第1回のゲストは、山口百恵。秀樹は、淳子の相手役のランナー役で、トレーニング中に、倒れて、池に浮いてる役だったようだ。
10.秀樹とTV探偵団
最後に、私が好きだった番組「TV探偵団」に、1988年5月1日放送の第60回に、秀樹が、ゲスト出演した時の話を書く。同番組は、公開番組で、出演者の後ろに、観覧客が並ぶ。司会は、三宅裕司を中心に、当時の司会は、朝井泉(のち、林家こぶ平と交代)、山瀬まみ(のち、西田ひかると交代)の3人だった。前半は、ゲスト自身が見ていた思い出の番組、後半は、ゲスト自身が出演した懐かしの番組と言った構成。秀樹の回の時は、前半が、秀樹が疑問に思っていたことを解決する、まさに番組タイトルにある探偵団らしい非常に面白い回だった。
最初に、三宅が、「この番組(TV探偵団)を見たことありますか?」と聞くと、秀樹が、「あります。」と答え、三宅が、「誰の回を見ましたか?野口五郎さんの回を見ましたか?」と重ねて聞くと、秀樹が、さらりと、「あいつのは見てません」と答えたのもおかしくて、印象に残っている。
秀樹から捜索依頼は、3つあった。
ミッション1:「恐怖のミイラの最終回で、ミイラは、どうなったのか?」
「恐怖のミイラ」は、月光仮面の宣広社が製作し、1961年7月4日~10月3日全14回、日本テレビ系で放送された。古代のミイラが秘薬で甦る。自分の命をつなぐ秘薬をもとめて、ミイラが町をさまようというもので、最終回では、秘薬が目の前で捨てられてしまい、体が溶けて灰になってしまい、風が吹いて、散ってしまう。ミイラの容姿もあり、モノクロ作品であることも影響し、スリラー感が満載である。
ミッション2:「国松さまのお通りだい~♪のメロディが、秀樹とマネージャーの覚えているものが、違うのは、なぜか?」
ちばてつや「ハリスの旋風」を原作としたアニメは、実は、2つある。秀樹が覚えていたのは、ピープロが製作し、1966年5月5日~67年8月31日全70回、フジTV系で放送された「ハリスの旋風」、モノクロアニメ。ガムで有名なハリス食品(現、クラシエフーズ)の提供だったという。また、マネージャー氏が覚えていたのは、リメイク版、虫プロ政策の「国松さまのお通りだい」で、1971年10月6日~72年9月26日、全46回+再放送6回、フジTV系で放送された。両作とも、主役の国松役は、ドラえもんで有名な大山のぶ代。それぞれ、番組名と同名の主題歌が作られたが、歌い出しが、どちらも「国松さまのお通りだ~い♪」と始まるため、混同された。
ミッション3:「指先から煙を出す謎のヒーローとは、何だったのか?」
東映製作で、1960年7月7日~12月27日までNET(現、テレビ朝日)系で、全26回、放送された「アラーの使者」という番組があった。月光仮面の川内康範原作のため、風貌は、ターバン姿と月光仮面と似ている。必殺技として、指先から煙がでる。主演の千葉真一の出世作である。
また、後半のゲスト出演作品のコーナーで、司会の1人、山瀬まみから「秀樹さんは、芸能人大運動会で、商品、何をもらいましたか?私は、18金のネックレスを貰いました。」といったら、少し考えて、「鎧かな」といいました。その後、流れたVTRで兜をかぶっている映像が流れ、秀樹は、「鎧だ!」と嬉しそうに言い、背後を振り返り、観客にむかって、「みなさん、私は、嘘をつかなかった。そのことを分かっていただければ、私は、それだけで、この番組に出た甲斐があります。」と言いました。
11. 秀樹の妹
おまけとして、浅草マルベル堂のプロマイド(写真)売り上げで、年間1位を4回獲得したことのある秀樹の人気をかって秀樹の妹コンテストというオーディションが、あった。第一回では、河合奈保子(1980年6月1日「大きな森の小さなお家」)が、デビュー、第2回では、石川秀美(1982年4月21日「妖精時代」)が、デビューしたことを書いておく。