『マナ・タブー・供犠 英国初期人類学宗教論集』(国書刊行会、2023年)所収の拙解説において、不適切な部分があることが判明しましたので、お知らせいたします。

フランスの人類学者フィリップ・デスコラに触れた部分(454頁)です。

まず私は「その意味では、フィリップ・デスコラ(一九四九― )による研究は注目に値する」から始まる「最初の段落」において、フィリップ・デスコラ『自然と文化を越えて』(小林徹訳、水声社、二〇一九年)178頁「図1」の内容を要約しました(説明が述べられているのは、デスコラ、177頁)。
・内面性・肉体性ともに自分と似ている場合(トーテミズム)
・内面性・肉体性ともに自分と異なる場合(アナロジズム)
・内面性は似ているが肉体性が自分と異なる場合(アニミズム)
・内面性は異なるが肉体性が自分と似ている場合(ナチュラリズム)
原著(Philippe Descola, Par-delà nature et culture, Gallimard)の刊行年は「2005年」です。

次に私は「特に「トーテミズム」と「アニミズム」が興味深い」から始まる「二つ目の段落」で、「トーテミズム」とは自然物を人間文化に投影すること、換言するなら、人間の社会集団をカテゴリー化するために自然種を使用すること、一方で「アニミズム」とは、人間文化を自然物に投影することとするデスコラの議論を、Graham Harvey, Animism. Respecting the Living World, 2nd edition, Husrt and Company, 2005, p. 165を参照して紹介し、さらにこれを、レヴィ=ストロースのLa Pensée Sauvageにおける宗教と呪術の区分と関連付けました。
(Claude Lévi-Strauss, La Pensée Sauvage, in OEuvres, Gallimard, 2008 (1962))


これは非常にまずい説明でした。
というのも、二つ目の段落における議論のほうが、最初の段落における議論よりも古く、しかもデスコラは二つ目の段落における議論(原著の刊行年は1992年と1996年)を否定する形で、最初の段落における議論を導き出しているためです(デスコラ、178-182頁)。

デスコラはこう述べています。
「しかし、トーテミズムの反対的対称形としてのアニミズムというこの定義は、或る重大な欠陥によって損なわれていた。というのも、この定義は、自らが免れていると主張するものを継続してしまっているからだ。つまり、トーテム的分類についてのレヴィ=ストロースの説明に含まれている自然と社会の分析的区別を、〔アニミズムという〕非二元論的宇宙観の特徴づけの中に密輸してしまっていたのである」(デスコラ、180頁)。

二つ目の段落の議論の否定によって最初の段落の議論が導き出されたことに触れなければ、デスコラの紹介とは言えません。

拙解説454頁9行目冒頭に「デスコラは以下の議論を否定する形で、以上の図式を導き出しているのだが、」と入れていただければ幸いです。


このような記述を行ってしまった原因は、以下にあります。

1.前後を詳しく読むことなく『自然と文化を越えて』「図1」の内容のみを紹介したこと
2.Harveyの著作に寄りかかり、デスコラの原典(1992年と1996年)にあたらなかったこと
3.私自身が「自然/社会」の二分法を引きずっていること
  (デスコラの1990年代の議論にたいする「興味深い」という私の見解は今も変わりません。)


「X」にて見事にご指摘くださった@ryhrt様、まことにありがとうございました。