新津章夫の持論のひとつに「現代の音楽の旋律はすべてバッハの『平均律クラヴィア曲集』の中に見出せる」というものがあります。彼らしい極論ではありますが、これは『よってメロディの独自性を主張することは不毛であり、これからは編曲とエンジニアリングによって音楽の個性を表す時代になる』という考えに帰着します。
しかしながら新津章夫のギターサウンドは独特であり奇怪で誰とも似ていない、ちょっと聞けば新津章夫だとわかる強烈な個性を持っています。それはどのようにして生まれたきたのか。
そのひとつが先にも出したバッハです。
これは彼の死後に私が制作した「Science Classics」(2005年 Bridge Inc.– EGD15)というアルバムに収録されているバッハの「イタリアンコンチェルト」ですが、これだけでも完パケしているテイクが約10通りあります。
この曲はもちろん鍵盤楽器によって作られた曲ですがギターで演奏する人はいます。
見ていただけるとわかりますが、ギターのために作曲された曲ではないので運指がきつそうです。6本の弦を5本の指で押さえるギターにとって合理的な旋律ではないのです。
ジャズベーシストのスタンリー・クラークは若い時にジョン・コルトレーンの旋律をベースで弾いて練習したと語っていました。スタンリー・クラークの独創性のひとつはサックスの運指にとって弾きやすい旋律をベースで弾いたことがあるのです。
有名なギタリストの心地よいフレーズをコピーして自分なりのメロディを作っていく。誰しも経験があるでしょう。しかし、そのうえでギターの運指の合理性などはまるで考えられていない旋律を練習してみる。これによってギタリストの個性が育まれることも大切だと思うのです。