私がペットシッターになるまでの道のり(キーワード)
滋賀県のペットシッター歴9年:富田です
>>>初めての方はこちらも読んで下さいね
さて、私のペットシッターへの道のりの続きを書きます。
読んでいない方は私がペットシッターになる道のり(初めてのバイト)から読んでください
少し前に戻りますが、私が中学生だった頃・・・・
思い出したのですが、その頃うさぎも飼っていたいました
うさぎは近くの土手にあった畑でなぜかぴょんぴょん飛び跳ねていました。
野うさぎだったのかもしれません。
それを捕まえたので飼うことになったんです。
色は薄茶色でかわいいうさぎでした。
父に外にウサギ小屋を作ってもらってそこで飼っていました。
うさぎは綺麗好きといいますが、トイレコーナーでしか糞尿をせず、自分のテリトリーはいつも綺麗な状態でした。
父は戦争時代にはうさぎをたくさん飼っていたらしく、うさぎを飼うことはなれていました。
餌は家の野菜が主でしたが、あとはオオバコやスイバと呼ばれるものなどうさぎが好きな草はその頃田んぼに行くとたくさん取れました。
オオバコ
スイバ
これらをいつも大量にとってきてはうさぎさんにあげていました。
今のうさぎの飼い方とは全く違うと思います。
でもいつも元気に暮らしていました。
だからうさぎも本来は野菜とか草でも十分生きていけるのではないのかなー?って私は経験としてそう思っています。ただそうやって飼うのは草もとってこないといけないし面倒かもしれませんし、今は農薬など色々な問題もあるので綺麗に洗ったりと大変かもしれませんね
でもこうやってうさぎさんを飼っていたことも今の私にはとても役立っています。
うさぎさんは5年ぐらい生きていたでしょうか?
ある日小屋にいくと冷たくなっていました
冷たくなったうさぎさんを近くの土手に埋めに行ったのですが、小さいうさぎさんだったのにあまりにも重かったのを今でも覚えています。
中学生の私は、こうやってうさぎの世話をしたり、うさぎの餌を採りに行ったり、犬の散歩をしたり、家で音楽を聴いたりと今思えばペットか音楽かしかなかったように思います。
結局のところ私が興味を持っていたのは音楽とペットのことだけだったのでしょうね。
あの頃書いた文集に私は自分の好きなこと・・・・っていう欄に犬の散歩って書いたように記憶しています。
今思うと変わった子ですよね?イマドキの子が聞いたら、それって陰キャちゃう?なんて言われそうですが特に陰キャではなかったように思います
でも今客観的に中学生だった自分を振り返ると結局のところ興味あるとこに向って進んでいたのだと思います。
音楽が好きな私のDNAは娘が引き継ぎ、私同様変わった中学生となっています
今年の2/13日栗東のさきらで弦楽ゾリステンという演奏会がありました。
娘はもちろん参加したかったようですが、残念ながら受験勉強に集中するためにそれには出られませんでした
でもさきらジュニアオケの仲間達が娘のために参加者のプロのチェリストさん達から色紙にサインをもらっておいてくれたそうです。
娘はそれを自分の宝物にするとその時言ってました。普通の中学生ならば嵐のサインだろうなーと思いますが、ここがちょっと変わった娘であるところです
【出演】
佐久間聡一(Vn)
松田麻実(Vn)
小野眞優美(Va)
亀井彩乃(Va)
金子鈴太郎(Vc)
玉川克(Vc)
この方々のサインです。
娘は演奏会を見に行ったのですが、金子鈴太郎さんのチェロの演奏にいたく感動したようでした
金子鈴太郎 さんは1演奏会でいつも椅子を一つ壊してしまうぐらいすごい演奏をされるそうです
クラッシック音楽も生で見ると本当にいいですよ
話がそれましたが、私が中学生だった時にすでに犬のお散歩が自分自身でキーワードとして出てきていたのですから、私が今ペットシッターとして犬のお散歩をしているのはしごく当然ことかもしれません
ではこのつづきはまた・・・
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うさぎは近くの土手にあった畑でなぜかぴょんぴょん飛び跳ねていました。
野うさぎだったのかもしれません。
それを捕まえたので飼うことになったんです。
色は薄茶色でかわいいうさぎでした。
父に外にウサギ小屋を作ってもらってそこで飼っていました。
うさぎは綺麗好きといいますが、トイレコーナーでしか糞尿をせず、自分のテリトリーはいつも綺麗な状態でした。
父は戦争時代にはうさぎをたくさん飼っていたらしく、うさぎを飼うことはなれていました。
餌は家の野菜が主でしたが、あとはオオバコやスイバと呼ばれるものなどうさぎが好きな草はその頃田んぼに行くとたくさん取れました。
オオバコ
スイバ
これらをいつも大量にとってきてはうさぎさんにあげていました。
今のうさぎの飼い方とは全く違うと思います。
でもいつも元気に暮らしていました。
だからうさぎも本来は野菜とか草でも十分生きていけるのではないのかなー?って私は経験としてそう思っています。ただそうやって飼うのは草もとってこないといけないし面倒かもしれませんし、今は農薬など色々な問題もあるので綺麗に洗ったりと大変かもしれませんね
でもこうやってうさぎさんを飼っていたことも今の私にはとても役立っています。
うさぎさんは5年ぐらい生きていたでしょうか?
ある日小屋にいくと冷たくなっていました
冷たくなったうさぎさんを近くの土手に埋めに行ったのですが、小さいうさぎさんだったのにあまりにも重かったのを今でも覚えています。
中学生の私は、こうやってうさぎの世話をしたり、うさぎの餌を採りに行ったり、犬の散歩をしたり、家で音楽を聴いたりと今思えばペットか音楽かしかなかったように思います。
結局のところ私が興味を持っていたのは音楽とペットのことだけだったのでしょうね。
あの頃書いた文集に私は自分の好きなこと・・・・っていう欄に犬の散歩って書いたように記憶しています。
今思うと変わった子ですよね?イマドキの子が聞いたら、それって陰キャちゃう?なんて言われそうですが特に陰キャではなかったように思います
でも今客観的に中学生だった自分を振り返ると結局のところ興味あるとこに向って進んでいたのだと思います。
音楽が好きな私のDNAは娘が引き継ぎ、私同様変わった中学生となっています
今年の2/13日栗東のさきらで弦楽ゾリステンという演奏会がありました。
娘はもちろん参加したかったようですが、残念ながら受験勉強に集中するためにそれには出られませんでした
でもさきらジュニアオケの仲間達が娘のために参加者のプロのチェリストさん達から色紙にサインをもらっておいてくれたそうです。
娘はそれを自分の宝物にするとその時言ってました。普通の中学生ならば嵐のサインだろうなーと思いますが、ここがちょっと変わった娘であるところです
【出演】
佐久間聡一(Vn)
松田麻実(Vn)
小野眞優美(Va)
亀井彩乃(Va)
金子鈴太郎(Vc)
玉川克(Vc)
この方々のサインです。
娘は演奏会を見に行ったのですが、金子鈴太郎さんのチェロの演奏にいたく感動したようでした
金子鈴太郎 さんは1演奏会でいつも椅子を一つ壊してしまうぐらいすごい演奏をされるそうです
クラッシック音楽も生で見ると本当にいいですよ
話がそれましたが、私が中学生だった時にすでに犬のお散歩が自分自身でキーワードとして出てきていたのですから、私が今ペットシッターとして犬のお散歩をしているのはしごく当然ことかもしれません
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