初めて会ったのはいつ頃だろう?
うちの店にド派手なパンクスが練習に、3人は顔見知りだが、リーダーと思われるボーカルは初対面、腕はもちろん首から手の甲までタトゥーだらけ、顔はスターリン時代の遠藤ミチロウの如く目の周りを真っ黒にメイクしている、ライブハウスではこういう人見るが、練習にこのメイクで来る人は珍しい
練習後、会員にも入会してくれると、しかも他のメンバー分も入会金全部払っている、スタジオ代も払ってただろうか?何だ、随分お金持ちじゃないか、羽振りがいいのか
生年月日見ると、私と同い年じゃないか。こんだけ派手で近いシーンで知らない人がいる訳ない。きっと急にバンドに目覚めて、シーンではキャリアのあるメンバー集めてお金無理して持っているのか、勝手にそんな印象を持ってしまった
名前はKイチくん。それから当店が気に入ってくれたのか、練習に毎度使ってくれるように。更にレコーディングも頻繁に入ってくれる、しかも結構拘りな作品だ。そしてそのレコーディングの支払いやレコードのプレス代も全部彼が支払いをしている、やっぱり金持ちなのか羽振りがいいのか
とある日、子供の学校の手伝いで土曜日の学校のグラウンドに行った、たまたま体育館工事をしていた業者が車で出てきて運転手と目が合った、そのKイチくんだった。夏休みを利用して体育館の補修の仕事に来ているらしい
その数日後、また同じ学校のグラウンドで会う、そしたら片目のマブタが鬼のように腫れている、どうしたのかと訪ねると、ここの工事に来る前に農園で働いていて、そこで蜂に刺されたと、前も見えないくらいに腫れているがそれでも仕事に来ている。更に予定が空いている時には地下鉄の飛び降り防止の柵をつける仕事も深夜に行ってると
ただの金持ちではなかった、鬼のような働き者だった。
「俺バンドやってるから金ないとか活動出来ないとか大嫌いでさ」って。お金のないメンバー待って動けないくらいなら全部支払ってやった方がいいって
そしてまた胸筋腹筋バキバキで物凄い鍛えてる身体なんでジム行ったりプロテイン飲用してるのかと思いきや。「仕事で力使ってるし自宅でトレーニングしているだけだよ」と。更に「体型キープしないとならないので打ち上げに行かないんだ」と
好き放題飲んで食って痩せない痩せない言ってる自分が恥ずかしくなった(苦笑)
そんなこんなで年齢も同じなせいかプライベートを話す機会も増え、何か金払いやたらよくて危険な風貌の印象な見慣れないパンクスは、いつの日か「働き者でバンドに対する姿勢が最もしっかりしている」バンド仲間と変わっていった。
見慣れなかったのはしばらく東京で活動してたみたい。国内より海外の需要の方が高いとの話、素人にしては貫禄あるなぁと思ってたけどやはりキャリア持ちの人だった
また来店時間もメンバー全員早め行動に早め退出、練習、レコーディングあらゆる予定も計画通りで当店指折りの優良顧客バンド。親御さん余程シツケが良かったのか
「あー、お母さん(リーダー)しっかりしてるとまとまるもんだなぁ」って感心していた
そんなKイチくん、うちのシャチョーさんの事を随分慕っているのか、遠征の度にお土産も買ってきてくれる。何にも用ない時でもスタジオに来て雑談しに来ていたようだ
しかしその雑談がある日大変なお知らせと変わった。具合が悪くて病院に行ったらガンの疑いがあると。
近年身内も友人もガンが増えて来てるが、今は医学も進んでいて治る確率も高いのでしっかり診てもらって!大丈夫?頑張って!なんて、最初はそんなありきたりな言葉をかけてあげられるくらいだった
しかしそのうち店に来てシャチョーさんに話をしに来る回数が増えてきた。頭にまで転移してかなり悪さされていると。しかも悪性中皮腫である事もわかった。誰かに話を聞いてもらわないと耐えられなかったのだろう、シャチョーさんは私と真逆でかなりの聞き上手だから話してて落ち着くんだろう
悪性中皮腫と聞いて一気に胸騒ぎだ、旧友チャチャイ(元二ガロボ)の命を奪ったアスベスト被害。5年持たないと言われてた割には意外と元気だったが、最後の3年くらいは入退院繰り返し、北大だったのでよく見舞いに行った、この病気について凄く話をされた、レントゲン写真も一緒に見てさ、抗がん剤でガン細胞が小さくなった、また大きくなっただで一喜一憂の繰り返しだったが、急に呼ばれなくなった、ホスピスに移ったと聞いて間も無くでした。10年で逝った。別な言い方すると10年生かせてもらった。それくらい死亡率の高い病気だった
それからしばらくして、Kイチくんの病状が隠せない状況になった辺りから、パンクシーンに広まり、チャリティーライブ開催したりで闘病にあてる寄付集めたりしてて
うちも見舞出そうかなんて話してたんですが、うちはもっと出来る事がある
とりあえず録り溜めているバンドの音源レコーディングの続きをいかに体調良い時に歌を入れてあげるかというとこだった。最初は1日1曲とか、他のバンドでは受付してない1時間単位とか、ドタキャンオッケー、何も心配するななノリで、何とか録っていた
そして秋ぐらいか、もう自力では歩くのも困難で、装具つけて杖ついて「もう俺カメより遅いから」って。それでも練習入れてライブ入れて
そして年末、シャチョーさん、体調良い時にレコーディングしよう、連絡ちょうだいと、当日でもいいから。移動も厳しいようなので自宅まで車で迎えに行った。自宅前まで着いたがなかなか降りてこない、あれだけ時間に厳しかった人だけに余程移動大変なんだろう。
何とか降りてきて挨拶したら袋を渡された。先週東京ライブ行ってきたお土産だと。
この足で飛行機乗って行ってライブしてきたのか、もう涙出そうになった、そしてお土産も忘れずに
そして年が明けて昨日とあるバンドとの2マンライブだったのだが、キャンセルになった。東京まで頑張っていたのに、あのストイックな人が札幌のライブをキャンセル。ちなみに先週もレコーディング歌入れ約束していたけど、初めて断ってきた。この時点で恐らくライブは無理なんだろうなと感じていた。もう心配を通り越してますわ
明日は楽器チームはまたレコーディングに入る、この歌録りもなんとか形に出来るよう、当店で限りなくサポートして行きたい。
頑張れと言わない、散々頑張ってるだろう。今出来る限りの生き様を焼き付ける本当に重大な任務だよ、シャチョーさん
そして奇跡が起こる事を願っております