JHD塾生の皆さん、
ごきげんようヽ(´∀`)ノ

ぷちこ塾長です。

1限目: 自己否定を客観視する 
〜理想と現実を書く〜 
/petitplat111/entry-12267638852.html


2限目: 自己否定のメリットを認識する 
/petitplat111/entry-12267690009.html



前回(2限目)は、
いい/悪い の
世界共通の唯一の答えはなくて、

単に一人一人の
「好き」と「嫌い」があるだけ

というとこまででした


本日は、

いい / 悪い の二元論シーソーゲーム

について。



いい/悪い の
二元論の思考で生きてる場合、


一方を「いい」にすると
自動的にもう一方が「悪い」になる

ていう仕組みに、脳がなっています。


シーソー を思い浮かべてみてください
天秤でもいいです。


シーソーは、
一方が下がると、
必ずもう一方は上がります


両方上がってたり
両方下がってたりはしない。


いい/悪い  で生きてる人が自己否定を始めると、
自分の色んな部分を「悪い」に分類し始めます。
「悪い&嫌い」のラベルをペタペタ自分に貼り始めます。


あれが悪い、これも悪い、
あれが嫌い、これが嫌い

っていう風に。


そのラベルを貼ったままにしておけば、
ずっと自己否定ゲームをしていられるっていう仕組みです。



ちなみにこれ、

いい/悪い の二元論シーソーに乗ったままだと、エンドレスでシーソーゲームです。


何が言いたいかというと、


「じゃあ、私が『悪い』のラベルを貼ったものを『いい』に貼り替えればいいんでしょ!」って思って、

『悪い』を『いい』に貼り替えても、
同じなんです。(ある意味で。)



「えっ?『悪い』が『いい』に変わるんだからいいじゃん!?」って思いますよね。


じゃあ私の例をつかってみます

痩せている→「悪い」
丸みを帯びている体型→「いい」

を逆にすると

痩せている→「いい」
丸みを帯びている体型→「悪い」


になります。
いい/悪い の二元論シーソーゲームの場合ね。


結婚していない→悪い
結婚して出産してる→いい

を入れ替えると

結婚していない→いい
結婚して出産してる→悪い

になる。


塾生の皆さんも、
 1 限目でノートに書いたものをみて、

自分の中にある
いい/悪い を入れ替えてイメージしてみてください。


なんか変な感じしませんか?

なんか嫌な感じしませんか?

違和感って言えばいいかなあ。


なぜ違和感があるかというと、
それは、

【これまで自分の何かを「悪い」にすることで「いい」と思ってきたもの】
(あるいは純粋に「いい」と思ってきたもの)

否定するからだと思います。


好きなものを人から否定されると、
嫌な気分になりませんか?

好きなものを否定することで、
否定にはそれだけの嫌〜なエネルギーを発してるのを感じられると思います。


例えば、
浜崎あゆみちゃんの大ファンのAさんが、


浜崎あゆみちゃんみたいに歌が上手で、可愛くて、キラキラしている→「いい」

一方で私は歌が下手で、可愛くもなくて、地味→「悪い」


って思ってるとします。

JHD塾生の皆さんも、
誰か憧れてる人とか、
好きな友人を思い浮かべて、


自分の中で

相手に魅力を感じてる「いい部分」と、
その反対側にある、
自分の「悪い部分」をちょっと書いてみてください。


彼女は友人が多い→いい
私は友人が少ない→悪い

とか。
(↑本当は良いも悪いもないのだけどネ)


で、
いい/悪い シーソーに乗ったまま
「いい」と「悪い」のラベルを貼りかえたら、

Aさんの場合、

浜崎あゆみちゃんみたいに歌が上手で、可愛くて、キラキラしている→「悪い」

一方で私は歌が下手で、可愛くもなくて、地味→「いい」


になります。

Aさんは、
あゆをめっっちゃ好きなんですよ、
「あゆの魅力を『悪い』なんて思えない!!」って湧いてくると思います。

居心地の悪さみたいなものが湧いてくるんじゃないかな?


私がこんなに好きな憧れの人を
否定なんてできない。


みたいな。


ここで質問。

自分が好きな人を
否定できますか?


自己否定に陥る人は、
往々にしてとても心優しい人です。


人を否定するくらいなら、
自分を否定する。

を選んだ人たちだと思います。


その結果、
自分にとって本来は世界で一番大切な存在である「自分」を、否定することになって、

自分で自分を傷つけている状態。
(そしてそれが思考のクセとなり、
無意識でも続けている)


あゆは良い
私は悪い

は自分の中で確固たる自信をもって思ってるのに、

あゆは悪い
私はいい

は「あり得ない」って思うのであれば、

「シーソーから降りる」
を選んでみましょう(๑′ᴗ‵๑)

これまで住んでいた、
いい/悪い の比較の世界をやめる方向へ。


比較をやめる 
っていうのを、
ちょっと意識してみてください。
意識するとこから始まります。


もうちょい例をだそうかな、

優秀な兄がいるBくん

兄は成績優秀でスポーツができる→いい
自分は勉強ができなくて運動嫌い→悪い


って思って自己否定してるとします。


これを、いい悪いシーソーに乗ったまま
逆にすると


兄は成績優秀でスポーツができる→悪い
自分は勉強ができなくて運動嫌い→いい


どうですか?

「いやいやいや、成績優秀でスポーツできる方が良いに決まってるでしょ!
とか思ったり、

「勉強ができなくて運動嫌いなのが良いはずがない!」って思ったり、

色々心に浮かぶかな?と思います。


Bくんは、勉強も運動も不得意というのは事実だとしても、
それって本当に「悪い」ことなのかなぁ?

単に、その人の素質・性質なんじゃない?


Bくんは、絵を描くのが得意かもしれない。けど、もしも「絵なんて何の役にも立たない」って思っていたら、自分の魅力を否定している状態。

人に有って、
自分に無いもの

こればかりに意識が向いている状態。



自己否定って、


自分にあるものを否定

自分に無いということを否定


これが全てです。

あるものを受け止めるとこから、
脱出の道はひらけます


そして、
自己否定をしているとき、


いい/悪い のシーソーは、

固定されてるっていうか、


いい/悪いを入れ替えると
違和感が出るんです。


ってことは、

すごいパワーで


これは良い
これは悪い

って決めつけて握りしめてる。


その決めつけてるのを、
ちょっとだけ緩めてみませんか?


もしかしたら、
悪くないのかもしれない


って、思ってみませんか?


長くなったので、
また次回に♪


チャオ〜

ぷちこ塾長でした

塾長、脱線が得意です。
出来るだけまとまるように意識するけど
脱線してもそれがベストなんで
あきらめてください。笑


追記> 文中に書いた「単なる素質、性質」について。私は、誰かに合わせるということが基本的に好きではなく、団体行動がとても苦手でした。
いまでも協調性はない方だと思います。

それは、単なる私の性質。
協調性がないのが悪いわけじゃないです。

人って、一人一人が本当に特性が異なっていて、それだから世界に多様性がある。

JHD塾生も、一人一人が個性的で、
その個性が魅力なんです。
そして、自己否定してる部分って、
驚くことなかれ、自分の魅力だったりするんです。

自己否定してると「まさか」って思うかもしれないけど。

だから、今は魅力って思えなくて平気だし、思おうとしなくてもいいんだけど、
自己否定してる自分の部分が、
実は宝物だったりするのかもしれないなぁ?(ぷちこ塾長が言ってるのは、本当なのかもしれないな?)

ってちょっとでも思ってみてもらえたら嬉しいです。



-----本日のまとめ-------

・ いい/悪い の比較をやめてみよう
自動的に比較していることに気づいてみよう

・いい/悪い を入れ替えて、違和感を味わってみよう。
好きなものを否定されると嫌な感触があるっていうのを体感してみよう。
(否定のエネルギー)

・いい/悪いを決めつけていることに
気づいてみよう。

・決めつけていることを、
もしかしたらそうじゃないのかも?
と思ってみよう。


・自己否定は
自分にあるものを否定し、
自分がもっていないことを否定していること。

自己否定してる自分の部分が、
実は宝物だったりするのかもしれないなぁ?(ぷちこ塾長が言ってるのは、本当なのかもしれないな?)と、ちょびっと思ってみる(←この文章、ノートに書いてみて)


→次回以降に、

・比較をやめるのを意識する
・あるものを受け止める(認める)

について書きます。

4限目: 「比較」を意識して、STOPのクセづけスタート 


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