《備忘録》悲しむにフタをした3歳の私と妹の死 | 小さな私をひろい集める

小さな私をひろい集める

元TCトレーナー・心屋認定カウンセラー。現在カウンセリング業お休み中

来てくれてありがとう〜♡

心屋マスターコース81期 みなマス受講中

高知の《ともこ》こと市川智子です

 

クローバースケジュール・空き状況はこちらからクローバー

 

赤薔薇ご予約・お問い合わせはこちらから赤薔薇

 

 

先日の自己受容のことを書いた記事

(自己受容:本当は過去に〜されたかった、〜したかった)

 

この記事に書いた3歳と9歳の蘇った記憶について

備忘録としてブログにアップしておきたいと思います。

 

書けるかな…

ふぅ。

 

 

 

まず始めはオープンカウンセリングで相談した

 

私のうっすらと感じる無価値観はどこから?

 

がきっかけでした。

 

 

 

この時カウンセラーさんに小さい頃の記憶は?

と聞かれて覚えている数少ない記憶をいくつか話しました。

 

 

私本当に5歳以前の記憶がほとんどなくて

 

両親が離婚したのがその頃でそこを境に記憶がない

 

まあ、でもそんなものかなって思ってて

 

 

 

んで、結構鮮明に覚えている数少ない記憶が3歳の時の1歳1ヶ月差の妹の死。

 

死というよりお葬式の祭壇のイメージ。

 

 

 

それと火葬場から帰る車の後部座席で

 

急に悲しくなって寂しくなって

 

「何でさっちゃんを置いて帰るがー!?」

 

って狂ったみたいに泣いた記憶。

 

 

 

 

妹のさっちゃんは生まれた時から奇形児で水頭症もあって

 

生まれ出た瞬間から危篤?みたいな感じで

 

いつ死んでもおかしくないって言われたそうだ。

 

 

私もあんまり詳しくは未だにわからんがやけど。

 

 

いつ死んでもおかしくない状態やったけど

 

2歳7ヶ月くらいまで生きた。

 

 

私の認識では《奇形の妹がおる》っていうだけ

 

多分それ以上もそれ以下もなかったと思う。

 

 

母曰く父と父方の祖父は《全然可愛がってくれんかった、抱いてもくれんかった》らしい。

 

だからさっちゃんが生まれて1年ほどで同居を解消して母の実家で祖母と同居しながら

 

母は朝から晩まで働き

 

おばあちゃんが私と妹をみていたらしい。

 

 

らしい・らしいって、私は覚えてないのと母の主観でしかなさそうな気がするから。

 

 

 

でね、私はこの妹の死に関しては

 

私という人の人生のエピソードの1つでしかなかった

 

だから普通に必要があったら話してたし、特に悲しいという感情はひっつけてなくて。

 

 

 

でもカウンセラーさんにリピートアフタミーで

 

さっちゃん置いてきてごめんね

さっちゃん一人にしてごめんね

さっちゃん生き残ってごめんね

さっちゃん一人だけ幸せになってごめんね

 

って口に出したら

 

ダバーって涙が出てきた

 

 

 

ああ、なんか思い出した。

 

日の当たる縁側?みたいなところで

 

バウンサーにのったさっちゃんの横に私がいておばあちゃんがいて

 

私も赤ちゃんみたいなものやったけど

 

さっちゃんのお世話して可愛いなって思ってた

 

 

さっちゃん奇形児で喋ることもできなくて赤ちゃんのまんまやったけど

 

私にはちゃんと妹やった

 

 

 

私お葬式の時は理解してなかったと思う

 

 

火葬場から帰る車で

 

何でさっちゃんを置いていくの?

何で?嫌だ!

いやだいやだいやだ!

 

ってめちゃくちゃ焦ったし絶望したし悲しかった

 

 

確か帰りの車には両親はいなかったと思う

 

母方のおじおばと、もしかしたらおばあちゃんがいたかな?

 

 

めちゃくちゃ悲しくて泣きじゃくったけど

 

反面、すごくまわりにいる大人が困ってるようにみえた記憶もある

 

今思えばまわりの大人もどうしてあげたらいいかわからなかったんやろなってわかる

 

まわりの大人も悲しみを堪えてたんやろなって思う

 

けど3歳の私には困ってるように感じたみたい。

 

 

 

妹が死んだ時の記憶はそれだけで

 

よく考えたらその時の母や父やおじいちゃんやおばあちゃんたちがどうしてたか

 

どんな顔をしてたか

 

 

前日や次の日の記憶

 

どうやって日常に戻っていったか

 

 

全く記憶にない

 

 

 

帰りの車であんなに泣いた私が

 

その後家に着いてどうしたか

 

次の日からどう感じたのか

 

 

これも全く記憶にない

 

 

 

私は《悲しい》という感情に蓋をしたみたい。

 

私が悲しんでいるとまわりの大人が困ってしまう

 

私がいたら大丈夫!っていう役割を勝手に受け持ったみたい

 

 

 

はぁ

 

 

 

 

妹のことは決して禁句でもなんでもなく

 

子供の時から今に至るまで

 

母と妹の話をすることもあった

 

 

いつも母は

 

「あの子は生まれてきて幸せやったんやろうか」

「あの子は何のために生まれてきたんやろうか」

 

って言う。

 

それを聞くたび私はうっすら嫌な気持ちになる

 

 

あと、母や父から聞く子供の頃の話は単体ばかり。

 

私の小さい頃の話に妹が登場することもないし

 

妹の話に私が登場することもあまりない。

 

(これも最近母に聞いたら理由があったんやけど)

 

 

 

単体のエピソードばかりで、しかも妹の方は「生まれてきてよかったのか」と言われ

 

私は父や祖父にかなり可愛がられたけど、妹は受け入れられなかった(らしい)

 

 

 

ああ!

 

健康優良児で愛想良しでお利口で愛される→価値ある:私

 

奇形児で誰にも受け入れられない(ようにみえる)→価値がない:妹

 

 

小さい頃の私は生きていくために

 

大人に好かれる、受け入れられる条件を学んだみたい

 

 

 

カウンセラーさんが

 

「子供にとって大人に受け入れられないことは恐怖。

だから幼いともこさんは学んだんやね。

でももう大人やから大丈夫。」

 

って言ってくれた。

 

 

 

最初の自己受容の話に戻るけど

 

私は本当は過去に悲しかった

 

私は本当は過去に無邪気な子供でいたかった

 

 

でも完全に蓋をして封印して

 

なかったことにしてた

 

 

 

なかったことにしたまま

 

価値のある私でいようとしてたけど

 

大人になって色んなことでうまく行かなくて

 

「価値のある私」でいられなくなってきて

 

無価値観を感じる今に至る。

 

 

 

人間ってすごいなって思う。

 

自分を守るために

 

自分の感情をなかったことにできるくらい封印するって。

 

 

しかも私それしようとしてしたわけじゃない。

 

ある意味自動で封印したよね

 

3歳の私

 

 

 

うう

 

辛かったね

 

悲しかったね

 

もう大丈夫

 

って3歳の私に言ってあげたい

 

 

 

読者登録してね