導かれたタイミングかもしれない

日に日に感謝の気持ちが込み上げてきます


やっと向き合う時がきた…

向き合える環境が整ったが正しいかもしれません


藤原志麻さんのYEAH写真を撮るきっかけや

想いを動画で見て感じた気持ち



こんにちは✩︎⡱

プティートララ ハンドメイド作家

西村 さゆり です

私のプロフィールはこちらを押してネ♡

→ 自己紹介 (2023.8)

 

この動画は藤原志麻ちゃんのYEAH写真への

想いを一番近くで理解し、心から理解したいと

質問を重ねてきたさとちゃんが制作しました



人に寄り添うことができなければ作れない動画です

是非、こちらをご覧下さい



私は何度見てもまだ涙が溢れてきます

その感情はきっと

私が中学3年生の時に癌で亡くした母と

重なった共感の気持ちがあるからだと

思っていました


もちろん、共感の気持ちもありますが

もっと深い部分にありました



当時、母の病気が原因不明で、

手術で確実なものを見つけて治るだろうと

思って受けていた手術中に

血まみれの手の主治医から不意に受けた


『あと半年』という母の死の宣告


胃から腸へ転移した末期癌


腰が抜けそうな感覚を初めて味わった

あの時を今も忘れません


現在は、本人に告知することが当たり前に

なりましたが、本人に告げない方向が

当たり前だった時代


手術後の母の前で、私は泣いてしまうと

いけないということで、

先に帰宅させられました

その後はお家で一人で号泣…



『どうして母なのだろう』

『私であったらよかったのに』


受け入れられない現実に台所から

刃物を持ってきたけれど、

そんな勇気もなくて…

悔しくて仕方なかったあの日



その後、離れた大きな病院に通う日々が

始まりました


母には隠し通すというミッションを持ちながら


『いつになったら帰れるんやろう』

『なかなか治らんなぁ』


その母の問い掛けに戸惑いながら…


母の前では悲しい顔は見せられない


本当は泣きたかった…

お母さん辛いねってあの時言ってあげられたなら


告知された半年よりも1年近く強い薬で

身体も限界の中、生きてくれた母


息を引き取ったその日は、私は部活の試合に

行っていました

なんて薄情な娘なんだろうと後悔もした

もっと側にいてあげなければいけなかったのに

母の闘病よりも自分の辛さから逃げていたのだと

思います


その後の日々は、

大事な娘を失った祖母が苦しむ姿を見る日々


母を亡くした私よりも、

生みの親よりも早く娘を亡くした祖母は

もっと辛いということも分かっていた

お仏壇の前に行くと、

祖母はいつも泣いていました


私はいつの日かその姿を見る辛さから

祖母に苛立ちも覚えたりもした


もう泣かないで欲しい…

祖母の悲しむ姿を見るのも辛かった

いつしか泣けない自分がそこにいました



そして、更に試練は続きました


母の死がまだ癒えぬ中

母の死から1年経ったのか経っていないのかで

再婚を決めた父


それは淡白な宣言で、とても傷ついた日


今は完璧でない一人の人として理解できる

けれど、当時は一人で抱えることが

とても辛かった


愛する母へ思いは一体…

父への不信感と共に、母と暮らした家を去り、

母の死がまだ癒えぬ中、新たな暮らしが始まった


ここでまた、

この悲しさを封印することになったのだろう


上手くいくはずのないその環境に

適応していくのに必死だった生活



いつしか、母の命の日が来ても

悲しいという感情がなくなっていった


時間が経てば、こんなにあっさりと

母への感情が薄れていくなんて…

ここでも私は薄情な人間だなと思っていました


けれども、時々ふと

私は、もしかしたら母の死を

受け入れていないのかもしれない

と思うときがあった


その度に深く考えることなく

母は私の中にいるからきっと、

そう感じるのだろうと思っていました



でも、今という環境に来て

ようやく気付くことが出来た


私は、あの時を置き去りにしていたのだ

ということ


本当は、もっと悲しみを感じて

自分に辛かったねって言ってあげる時間が

必要だった


けれども、

どこか周りの大人の感情を優先していた私


母に必死で泣きたくなる姿を

気付かれまいとして、

自分の感情を押し殺さねばならなかった

あの頃


祖母の悲しみを見て

私が元気でいなければと思ったこと


義理母から感じる亡き母よりも

自分を母と思って欲しいという思い…


色んなことが重なり、感情を封印することが

当たり前になってしまったのだと思います



色んな過程経て、今こんな風に

向き合うことができたことを

私は幸せに思います


今、

心から安心できる環境にいること


安心出来る場所という条件が揃ったから

向き合えた


しっかり悲しむことができる環境って

とっても大事だなと思います


環境が整うというのは、人間関係や住まい、

私や家族の健康状態を含みます


主人や父親、仲間や元気でいてくれる友人や

大切な方に感謝致します


でも、いつまたその環境が崩れるかも

しれない


だからこそ、私は母が病院のベッドから

外を見て言った一言


洗濯もの干したいなぁ


に込められた想いを大切に持っています



幸せはすぐそこにある

当たり前の日常を大切に生きること


私はYEAH写真を通しながら、

再び自分を大切にすることができました


そして、私は日々の暮らしの

ときめきの積み重ねを大切にして頂きたいし、


ハンドメイド作家として、

日常の『生命ある時間』を大切にして

頂けるようなきっかけの作品を制作し、

お届けしていきたいと思います



ほんの一部のエピソードを要約した形になります

また私の経験が、たった一人でも

お役に立てましたら幸いです*。゚


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