今日は、私の誕生日。
40歳になりました!
頂いたお花♡rieさん、ありがとうございます♡
40歳
40歳
40歳
今年で40歳になると分かっていたものの、夏に入ったあたりから、モワッと何か自分の中から不思議な気持ちが湧き
なんだろう?
この気持ちはいったい・・・?
と思っていましたが、
これはもしや、
40歳への抵抗なのか?
私、もしかしたら40歳になりたくないんだろうか?うーむ。と、このモワッと湧く気持ちをハッキリ掴みきれないもどかしさを感じつつ、彼を相手に口に出してみました。
「40歳になりたくない。」
そしたら続けて言葉が出てきた。
「2〜30代、4〜50代、6〜70代、みたいに、20年毎に区切りがあるような気がするんだけど、30代と40代では大きな隔たりがある気がする。」
彼は
「1〜20代、3〜40代、5〜60代、でしょう。30代も40代も一括り。」
と言ってた。その時は「ふーん、そうか。」と思った。
部屋に戻ってからやっぱり「40歳になりたくない」というのとは少し違う気がして、ノートに書いてみた。
30代最後の夜。
美しい秋色。最近の衝撃、「私は夏生まれじゃなくて、秋生まれなのでは・・・」
そして、なんとなく分かった。
40歳、生物的に、女の本質的な役割としての終わり。
人生の後半への確かな移行。
頭では特にそう思っていなかったけれど、肉体に備わる本能・機能が、30代の終わり頃から「生殖期はもう終わり」そう告げているのを感じていた。流産や死産も経験し、「何をやっても鉄壁のような頑丈で若い細胞の子宮」ではないことも感じた。視覚的にも頭的にも数字で(イメージという意味で)それを直視する日が来たのだ。
もう、現役ではない。
自然に、本能が性という衝動になってリードする状態ではなくなる。
私はきっと、今までの季節から、次の季節への移り変わりに寂しさを感じているのだな。
女の肉体の、「本質的な役割の終わり」は否定的なことではなく自然なこと。
心も体も、もちろん一生女だけれど。
その点、男は一生子供作れるもんなあ。
いざとなれば、というのが男性にはある。
女はある時点から「生殖の終わり」を受け入れなければならない。
これは女という性に息づいている、潜在的な寂しさだなぁ。
(実際にはいくつまで産める!とかそういう話をしているわけじゃないです)
シックで可愛いブーケも♡佳代さんありがとう♡
くっきりとした境目なんてないが、誕生日というのは「直視し受け入れる」ということのいいきっかけをくれる。
「年齢のイメージ」に囚われすぎるのもどうかと思うけれど、抵抗しすぎるのもどうかと思う。
今はポジティブシンキングで「歳を重ねることはむしろ素敵なこと!良く捉えなきゃ!嫌がるのは負け」みたいな風潮があるけど・・・
卒業や引っ越しと同じで、季節が変わる時、次の季節への期待とともに、寂しさも必ずあると思うけど。そして「寂しい」は「悲観」とは違う。そのままでいいじゃない。
と、ここまで書いて思った。
「解放」とは?
解放される期間がハッキリ決まっている女性は、やっぱり男性よりラッキーなのかもしれない。
私は、「犠牲」という言葉に悪い意味を設定していないので、これまでの生殖期間は喜んで「神の犠牲」になっていた感覚です。神の道具というか。女性という肉体を持って生まれた以上、生理、妊娠、出産は、神の大いなる手足。神の手足として、叡智を隅々まで行き渡らせるために自然に使われるもの。それに喜んで犠牲になってから(女性性を受け入れてから)ものすごく人生が開花しました。そして今、その期間がそろそろ終わろうとしていると思う。そこから後の女の人生は、神様からの「よく使われてくれました。あとは好き勝手自由にして良いぞ」というご褒美にも感じる。
「現役」とは?
本来の意味は、軍に服役していること。
現代では「バリバリ活動中」とか「若いですね、元気ですね」みたいな意味で使われるけど、どこで活動するか、も自分の中でハッキリしてないのに闇雲に「生涯現役!」とか言うのもなんか苦しい。退いたっていいじゃない。
本来の意味で、そろそろ現役から解放されるのが、嬉しくもあり。寂しくもあり。ってところでしょうか。
おめでとう、私。
ここまでよく生きてきたねえ。
人生半分、無事に生きてこられたことに感謝します。
お母さん、この肉体をくれてありがとう。
40年、たくさんの経験をしたことに感謝します。
40代、50代、もっともっと自由でありたい。
そろそろきっと生殖期間から解放される、新しい私の時間をたくさん経験したい♡
30代は、本当に素晴らしい経験をたくさんした10年だった。
お金がたくさん入るようになったし、結婚したし、いろんなものを買えた。
高価な買い物もたくさんした。
海外にもたくさん行けたし、車も家も買った。家は新築で2回も建てた。
1泊100万円の家族旅行もたくさん行けた。
本も4冊出版し(ムック1冊)、手帳の出版も次で4年目。
プティラドゥは大きくなり、スタッフも増え、自社の縫製工場もできた。
自分を生きる仲間がたくさん増えた。
そして、甥っ子が生まれた。私の子供も2人も増えた。
1人流産し、1人死産した。
お父さんが死んだ。おじいちゃんが死んだ。
二極に位置するような全てをまるっと受け入れて
どこからでも真ん中の点が見えるような生き方をしていきたい。
良い、悪い、勝ち、負け、で物事を見ずに
どんな事象からも、その奥にある「同じもの」が見えるまで、じいいっと見つめたい。
自分でハッキリ分かるまで、静かに、黙って、全てを私の源と繋げたい。そうしてから表に出したい。表に出すものは、真ん中と直通したものでありたい。
30代は、その都度できる限り、そう生きることができた。
それがとっても嬉しい♡
そう思えることが、自分への最高のプレゼント。
これからも、そう生きていきたい。
いつも、今、ここで、そう在るのだ!
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