死産という経験を得たのは
前回の満月だった。
 
月が一巡りし、また満ちた。
 
 
 
前回の満月前、生気が失われたように、やる気が出ない日々が続いた。
 
 
やらなければならない仕事がたくさんあり(といっても、それは大好きなはずの事なのだけど)
自分に悩みながら、
 
だんだん満ちていく月があまりにも綺麗で綺麗で、毎晩見ていた。
 
 
月は好きだが、あの時ほど強烈に惹かれた事は初めてだった。
 
 
 
 
そして満月前夜、
 
ああ、月に帰りたいな
 
って、強く思ったんだ。
 
大きな声が、突然内側から出てきたように。
 
 
 
 
今まで「月を見たい!」「月に行ってみたい!」と思ったことは幾らでもあったけれど、
「月に帰りたい」なんて思った事も無かった。
 
 
だからきっと、分かってたんだと思う。
分からないけれど。
 
 
 

 
 
変わったことと言えば、またコーヒーの香りを「いい香り」に感じ、飲めるようになったこと。
 
朝起きて、子供達の身体に生命が宿っている事がとても嬉しいこと。
 
子供達の肌が柔らかく覆われていることに感謝が湧くこと。
(まめちゃんは、皮膚ができてなくてゼリーのようだった)
 
 
まめちゃんが教えてくれた事もたくさんあるけど
分からない事も増えた。
 
産まれてないのに「死ぬ」って言うのかな?
魂が宿った感覚はまだ無かったけれど、
それでも「亡骸」という言葉は正しいんだろうか?
 
この亡骸(というのが正しいかどうかわからないけれど)を見て涙が出るのはなぜだろう?
 
 
 
 
伊勢合宿で、「見たい」という方もいたので、写真をお見せしました。
「何で悲しくないのに、涙が出るんだろう」って言ってる方もいた。
 
 
私も、これが一番謎だった。
 
 
一般的な
不幸、とか
悲しい、とか
そういう感情ではないのだけど、見ると涙が溢れてくる。
 
 
 
何でだろう、入院中からずっと考えていた。
 
普段、触れる事、見ることのできない神の領域、「叡智」の片鱗が、目に見えてバン!と、あるからじゃないか?
 
 
もしかしたら、この涙は「感動」なんじゃないか?
 
 
 
 
 
 
 
 
 
2020年度版の手帳の校了(最終〆切)が迫っていて、今日も一日、作業をしていた。
 
 
手帳の紙、「トモエリバー」に合う万年筆や、そのインクを紹介するページを作るのだけど、その為に、お気に入りのインクを撮影していて、ふと気付いた。
 
 
 
パイロット色彩雫の
月夜と深海。
 
何年もずーっと、
こればっかり使ってるなぁ…
 
 
 
 
結構大きいボトルなのでなかなか減らなはずなのだけど、月夜は4本目を先日購入。深海も3本目。
 
 
ノートにメインで使うペンは「ブルー」が好き。
深く沈潜するのにぴったりの色だから。
 
ブルーにも、無数のブルーがあって、パイロット色彩雫にも、たくさんのブルーがある。
 
 
 
 
 
 
でも、ほかのどの色も試すことなく、買うのは毎回、「月夜」と「深海」だ。
 
完全にその「名前」が好きなんだと、今日初めて気づいた。
 
 
 
 
 
 
自分に深く潜ること、
俯瞰すること、
 
 
沈潜、月夜、深海…
 
 
 
 
 
 
深海といえば、大好きなものがある。
 
 
 
 
このアルバム「深海」がリリースされたのは中学生の時。
 
 
壮大なストーリー感溢れる構成が大好きで、知っているミスチルのCDの中では、今でも一番好きなCDになった。
 
 
 
 
 
当時からこの中で、聴いていると
どうしても涙が出る曲がある。
 
 
最後の曲「深海」
特に最後のフレーズ
 
 
 
連れ てってくれないか
連れ戻してくれないか
 
僕を僕も
 
 
 
叫びに近い歌声が
ひたすら、繰り返される
 
 
 
 
 
あまりミスチルには詳しくないが、
このアルバムは当時から異質扱いされていた。
 
桜井さんの闇、狂気を放出した一枚だと。
 
 
桜井さんがどういう意図でこのアルバムを作ったのかは知らないけれど、私は、全体を通して真理
を感じる。
 
 
自分って何なんだろう?
何のために生きているんだろう?
 
 
そんな問いを心から持った時、
人は魂の旅について思い出し始める。
 
 
それが感性がとても豊かで、
表現しようとする人だったなら
 
源、叡智に届くその感触が
こんなアルバムとして出来上がるのだろう。
 
 
解釈は、受け手側が感じたことが、その人にとって正しい。
音楽に限らず、文学でも、美術でも。
 
 
 
 
 
シーラカンスは魂。
魂の時間軸のストーリーだ。
 
 
 
戦時中の兵隊、現代の忙しいビジネスマン、いろんな「自分」がいる。
シーラカンスはずっと生きている。
 
 
いろんな恋をする。
いろんな苦悩がある。
 
 
肉体、現象界の幻に翻弄されながらも
繰り返す魂の時間の中で、
叡智に触れる。知る。思い出す。
 
 
 
連れてってくれないか
連れ戻してくれないか
僕を僕も
 
 
 
ここで涙が出るのは
きっと、私たちの願いだからだ。
 
 
中学生の時からそれを感じて涙が出ていたんだ。
 
在るがままで、在りたい
という「絶対」を。
 
 
 
 
 
 
 
月夜も深海も
同じ大きな、あの場所なんだ。
 
 
まめちゃんを見て涙が出るのは、
まめちゃんに月夜も深海も完全にあったからだった。