私の周りには、大切な方を亡くされた方がたくさんおりまして
(ってこの世に生きてる人100%全員が必ず通る道なんだけど)
 
 
高齢のおじいさん、おばあちゃん、
自分を産んでくれた両親、
 
というよりも
 
自分が産んだ子。
自分の兄弟。
など、
 
幼い子の病死、死産、
また、家族、兄弟、友人の自殺、事故死、
 
などの経験を持っている方が多いです。
より、納得できない、答えが出ない、「死」っていうのかな。
 
 




 

まず。

絶対的な真理として。

 

 

神は

 

絶対に

絶対に

 

私たちを罰しないということ。

 

 

 

どんなことがあってもです。

どんなに凶悪で残酷な殺人をしたとしても

自分で自分の命を絶ったとしても

 

神は罰しません。

 

 


なぜなら、神の領域は

「一、なるもの」で

いい、悪い、の「二極」ではないから。



そして全ては、私たちが

自分自身を知るための出来事だからです。

 

 

 

 

 

 

本当は、キリストもブッダも、

そういうことを言っています。

 

「私たち自身に全てがある」

ということを言っています。

 

 



その後、伝わる過程で

改ざんされ続け、現代では

 


教会は「罰」があると教えているし、

お寺も「地獄」があると教えています。

 


 

しかし、

 

本当の「罰」「地獄」の意味は

 

「本当の自分」を生きない人生

 

の事です。

 
 
 
 
 
 
「自殺」についても
「殺人」についても、ですが
 
それで「生命」が終わることはないんです。
 


だから、どんなに「この人生を終わりにしたい」と思っても、本当のところ、肉体は朽ちても、
 
死ねないんです。
 
それが私たちの真理だから。
 



永遠に生き通し。
永遠に「生命」を終わらせることはできない。
奪うことはできない。
 
自分にも、誰かにも。
 
(↑これを浅はかな解釈で「盾」にして「勘違いご自愛」しないでくださいね!笑)
 
 
 


 
そういう意味で
「死んでも解決にはならない」と言います。
 
 
しかし、それならば、私は
一旦リセットし、やり直すこともいいのでは、と思う。
 
 
 
 
 
 
ただし。そうなると
これを覚えていなければならない。
 
 
やり直そうと決めたこと。
リセットを選んだこと。
 


輪廻して、新たな肉体を持つ度に、
「忘れる」ことになっている。やり直し。
 
 
永遠に繰り返し。
 
 
それを、輪廻思想では「罰」や「地獄」と呼んだりします。
 
 
 



 
しかし、それでも私は思うのですが

 
私が、こうやって「本当の私」を思い出したように、きっと大丈夫なんじゃないかと思う。
 
 
 
私は「前世」とか、全く興味がないので
そういうのを特に調べたことも、聞きに行ったこともないのですが、

 
忘れても大丈夫だと思う。
  

 
自分の人生を本気で生きよう、と決めたならば
必ず思い出せることになっていると思う。
 


なぜなら、「本当の私を知りたい」というプロセスこそが、全ての人たちがやりたい事だから。

そして、その繰り返しなのであれば、
なにも繰り返しは苦しいことではない。
楽しいこと。

繰り返し、万歳!!






 
しかしここで、
「じゃあ、自殺した人は本気で生きてなかったってことですか?」なんて言いたくなる人がいますよね?
 
 
 
 
あのね、こういう時に
考えるべきことは
 
 
その人がなぜ自殺をしたか?
自殺にどういう意味があったのか?
自殺はいいか?悪いか?
 
 
ではなく
 
 
それを受けて私は何を感じるか?
私の人生をどうしたいのか?
これが私にとって神の使い手だとしたら?
ここから私の魂が何か学んだとしたら?
 
 
 
なんですよ。
 
 


 
この世で起こる、全ての出来事が全て、
「私たち自身」のための出来事♡
 
 
 
 
人や、対象の出来事・外側を向いて
 
・ああだ、こうだ。
・いい、悪い。
・かわいそう、不幸。
・死んじゃダメだ!いや、いいんだ!
 
 
そう決めている。
そう見ている。
幻を見ている。

これに気づく為の出来事。

 
そんな「分離(二極)」に気づき
改めて「統合(対等)」という「創造」をするために起こる出来事。

 
「どう在ってもいい」という場所へ向かう
プロセスを作ってくれる。
その為の出来事。
 
 
「赦す」「開く」=「愛」「神」という
「全てを一つ、一なるもの」に還る経験ができる。いろんな視点から、その「真点」を経験できる。
 


 
どんなに外側を向いて
どんなに論じても無駄。
 
 
そんなことばっかりやってるから
犯罪も戦争もなくならない。
 
 
全て、内側にある♡♡
 
内側を見ると、どんな出来事も「愛」に還る。
 


自分の心が「喜ぶ」こと。
「愛」を感じること。
「生命力」が湧くこと。

それが真理だよ。
 
 
 


 
自殺した人も
残酷に殺害されてしまった人も
生まれる時に死んでしまった子供も
 
みんな、無くならない。

源で愛に還って、またその「本当の自分」である「愛=赦す」という経験をしに、どこかに生命を宿す。

私たち全てが。
 

こう思うと、私の心が、とても喜ぶ。


ますます、私の人生をしっかりと見つめて生きていこう!という「生命力」が湧く。
他人へ対する「愛」が湧く。
体の奥が熱くなり、涙が出る。
 
 
だからこれが真理だと知っている。

 
 

神は絶対に罰したりしない。
地獄も罰もない。
 
だって、「神が罰する」なんて教え、心が喜ばないし、生命力も、他人への愛も湧かない。
だからである。
簡単に、私の心が教えてくれる。

 
 
「ただいま。」
「お還り。」
「行きたかったらもっかい行っといで。」
 
 
のただ繰り返し。
全て自作自演。


大自然のサイクルを見ていたら、簡単にわかること。
 


 我は主である♡
 






 
「愛」とは「絶対善」とも言えると思う。
「いい、悪い」の「善」ではなく。

絶対善。


だから、罰さずとも
本当の場所を思い出したら、殺人などしない。

それに、その自殺も殺人も、
愛する人を失ったからだったかもしれない。
愛する人を守るためだったかもしれない。

愛されたかった故だったかもしれない。
愛を感じられなかった故かもしれない。


だから、「その行為を許す、許さない」という論争ではなく。


全てが愛ならば、


自分はどうしたい?
どう在りたい?

どんな愛を表現したい?
どんな自分を表現したい?


全てはそこを見つめる、ためにある♡


全ての現象を通して、
愛に辿り着くため。








 
認定講師講座2期受講生の
鶴町しのぶさん、「聖書」の本当の読み方を教えてくれます♡

(教会批判ではありませんが、教会が苦しくなったら、ぜひ会ってみてね。)