こないだ、彼の誕生日に、横浜デートをしていましたら
夜、電話が来まして。
おじいちゃんが亡くなりました。
翌日、青森に戻りました。
先日、去年亡くなったお父さんの1周忌をしたばかりでしたが
また親戚が集まることに。
でも、また妹親子と会えて嬉しい。
メルマガでは書いていたのですが
おじいちゃんは39歳の頃脳梗塞に倒れ、
以来、右半身不随の肉体でした。
周りには
「あそこのお父さんは、ダメになった」
「早く死ぬだろう」
「カタワになった」
と言われながらも、91歳で天寿を全うしました。
小さい頃からよく聞かされていましたが、
おじいちゃんとおばあちゃんからは本当に
とってもたくさんのことを教えてもらいました。
大好きな可愛い妹
また、大好きな人が肉体を離れ
私もいずれ入る「ご先祖」に加わる通過点を
見て、感じて、思ったことがあります。
それは「怒り」について。
仏道でも、よく「怒り」は煩悩だと言われます。
「怒り」は良くないと言われます。
ずっと腑に落ちなかったんですが、
そもそもその仏道で言っている「怒り」が、違いました。
「怒り」とは、目に見えて「プンプンと表現している人」を指すものじゃなかったんです!
「怒り」とは、
人と比べて、
私はもっとこうだったらいいのに
私はもっとああだったらいいのに。
人と比べて、
あの人はもっとこうだったらいいのに。
あの人はもっとああだったらいいのに。
という「迷いの思考(エネルギー)」を指していたんです。
これが「怒り」だったんです。
常に自分を痛めつけるその「思考」が「怒り」だったんです。
「八つ当たり」
「マウンティング」
「自分責め」
これが怒りです。
勝ち負け世界での「煩悩(優越感&劣等感)」が「怒り」なんです。
そして、特徴的なことがあります。
人と比べて優越感・劣等感を繰り返す人は、
繁栄の感覚で表現している人を見て「怒り」だと決めつけ
「私はそんなに怒れない」と言います。
わからないからだと思います。
そのポイントで
「私はそんなに怒れない」ことを疑えないのは
勝ち負け世界にいるからです。
私、どうしても
繁栄の感覚が潰された時の怒りは「愛と涙でしかない」と思っていたのですが
噛み合わないわけがわかりました。
私が言う、「怒り」は「怒り」ではなく
ただの「愛と涙の表現の一つ」なんですよ。
今日、おじいちゃんのところにあった仏道の本に書いてありました。
無知な心がフラフラとさまよう「迷い」ゆえに「欲望」が発生し「欲望」が暴走して満たされない時、心は「怒り」に染まるのです。
煩悩の「怒り」と
繁栄の感覚の「怒り」は全く別物なんです。
この物質界で限られた言葉、
限れられた肉体で発する声や表情、
これらを使って「表現」すると、
「怒り」と言われるような表現に、もしかしたら重なるかもしれません。
でも、反射的に
「あの人怒ってるみたいだから悪!」と決めつける人は
それ、疑った方がいい。
本当に、魂レベルで対等に繁栄していこうよ!
そして、もっともっと
自分に感じて表現する「喜び(感情)」を許してあげたらいいと思う。
勝ち負け優越での「喜び(感情)」じゃなくて
対等の世界での「喜び(感情)」を
今日はおじいちゃんの納棺で、また
冷たく硬くなった体に、たくさん触ったんですが
もっともっと、この肉体があるうちに
愛し、愛され、たくさんの喜びを感じ、表現していこう!
と強く誓いました。
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