おばちゃんとおじちゃんは子どもが二人増えたように毎日楽しくワイワイと可愛がってくれたんです。知床って今は世界遺産にもなってますが当時はまだ登録されておらず、観光客もぼちぼちでした。育てた野菜に加えて毎日のように近所の方から捕ったシカ肉やクマ肉のお裾分けがあり、ほぼ自給自足。野生のバンビ見て、戯れて、ときめいた日の夜ご飯が小鹿の焼肉だったりしてブルーになったりもしました。魚はほとんどその家の従兄妹の兄ちゃんが釣ってきます。すんごいでっかい樺太マスとかバンバン釣ってきます。で、彼は毎日一緒に付いて行ってたんですが、私は「ジャマ」と連れてって貰えなかったんですね~でも、一回だけ、付いてった事があったんですね。その日は早朝を狙うとの事で、夜中のうちに行って4時起きで釣るぞと。
(着いたらハイエースで雑魚寝ですよ
ハイエースって、今じゃちょっといいのも出てますが
釣り用の、釣竿置いてるのと同じとこですからね。
私、そういうのよくやってたなーと。
テント生活もだけど、こういうのもよくあった・・・
もう完全にファミリーです・笑
男女とかそういうニュアンス、まったく無し。)でね、付いて何か飲んだかな?ビールとか1本くらい飲んだような気もしますが深夜のオホーツクの波打ち際でなんか色々話してたんです。
多分今聞くと恥ずかしような事言ってたと思うんですよ。夢とかなんとか。
一切覚えてないけど。とにかく星がすっごくて
でね、とっても気持ち悪い話になったんです。何でこういう話になったのか覚えてないんだけど、
「うちらの人生もこの波と同じで一瞬で跡形もなく消えて海に戻る」
という話になって。私も、彼も、従兄妹のお兄ちゃんも、次々に、
「生きてる意味なんてない」
ていう話になって。「だからヒッピーは「自由」を悟ると自殺するんだ」
みたいな話になって。星と月明かりだけの海をじぃぃぃっと見てたんですが波ってぜーーーーんぶ形も大きさも違って色も違うんです。光り方も違うし、崩れ方も違うんだけどみんな同じ海に消えるんです。どんなにカッコいい形の波作っても一瞬で全部同じ海
無いけど確かに在って
在るけど絶対に無くて当時は、まだ19歳。
もともと宇宙とか星とか天体とか好きだったのもあって何か、私の核の部分、魂の部分に触れたような気がして
これから、どんなに頑張ってかっこいい人生を追及してもどんなに頑張って素晴らしい人生を追及してもすべて「無」なのかな、と思った。頑張って「在っても」、結局すべて「無」なのかな、と思った。なんかすごく気持ち悪くなった。
3人一緒に海の中に消えてみたくなった。
私も海も星も全部同じ、「無いもの」に思えた
「確か」にあるけど「絶対」に無いの
これが一個目の「死んでもいいかも」体験。
ワンネス体験でもあったと思う。
気持ち悪かった。
その時、なぜそこまで感じてしまったのかというと
そのお兄ちゃん
ウトロで生まれ育ち自然を思いっきり愛し
魚を思いっきり愛しているのに
フツーに
吸ってるタバコ、
海や川にポイ捨て
するんですよーー
ーー!!!
「オイっ!!!」
て突っ込んでも
「何言ってんの。共存の〝自然〟ってこういう事でしょ」
とか言って。
(若かったからね!笑)
なんかそれ、
真理な気がして都会でバリバリのサーファーが「ゴミ拾い!」「タバコポイ捨て絶対禁止!」って言ってるのが逆に「不自然」に思えてきたりもして・・・(※これがいいとか悪いとかそういう事を言いたいのではありません)19歳。。。感受性豊かな私ですから。。。たくさんたくさん感じてしまったわけです。(ま、夜が明けてギラッギラの太陽の下、マス釣りしましたけど)次へつづく・・・
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