和道流みくうかい 土曜日
「感謝」




初級クラスはマン・ツー・マン。
順突きの後ろの腰が逆なんだな。生まれたての子鹿のようになってしまう。どうすんべ?とあ〜でもない、こ〜でもないと一緒に試行錯誤しながら取り組んでいく。基本のときは感覚を掴んだな。形になるともとに戻っちゃう。少しづついこうか。

数学道場は、ワーキングメモリ訓練したら、問題解いていこう。掛け算のひっ算が虫食いになっていて、穴埋めする問題。1の位の〇×〇=9のところで悩んでる。悩んでる時間があるなら「1×1〜9×9まで全部言って、1の位が9になるのを洗い出してメモしたらいいじゃん。言ってみ!」と九九を言い始めると、九九をいうことが目的になって1×9=9を言っても、気づかない。可愛いな!うんうん悩んでるなら、手を動かし、口を動かし、いま出来ることから手をつけていこう。そうするとはじめには見えなかった突破口が見つかる。例えば〇×〇=9なら、九九を全部言わなくても奇数の段だけでいいね。さらには5の段もいらないね。そうすると1,3,7,9だけ洗い出せばいいことが見えてくる。一見してわからないけど少し手を動かすと突破口が見つかる。これ、聖光学院の数学の教えのようです。自分には当たり前だから知らなかったけど、なんか雑誌の記事で見た。入試問題の特徴らしい。わたしの道場なので、わたしの特性を盗んでいってもらえたらと思う。

中級クラスは、火の呼吸からだね。
横隔膜と心臓の膜で繋がっていて、「ヨガの正しい呼吸方ができる人は、自ら心臓をマッサージできる」と、『ボディ・ナビゲーション 触ってわかる身体解剖』にも書いてあるのよ、とお伝えする。
随意筋と不随意筋があり、内臓などは不随意筋。自分で意図して動かせないでしょ?だからうんこもガマンできないでしょ。お尻の穴をきゅっと締めてうんこをガマンするのは、不随意筋と随意筋の究極の戦いだな!とかわけのわからないことを伝えながら。
自分で心臓は脈拍60で動かそう!とかできないわけでしょ?
自分自身でありながら自分の意志ではどうにもならないところがあるわけ。自分自身が主体的に動いてるところもあるけど、「生かされている」のよ。そう思うと生きている事自体に感謝の念がわかないかい?産んでくれた親にも、先祖様にも、もっというと自分を動かしてくれている何かにも。主体的でありながらも受動的な面もある。自分で何とかできることもあるけど、自分ではどうしようもできないこともある。そういうことがあることを知っておこう。それを知っているだけで、行動や考えに違いが生まれてくるだろう。

で横隔膜は随意筋でもあり不随意筋でもある。随意筋=意識、不随意筋=無意識領域と繋がっているなら、呼吸方により、意識的に無意識領域に働きかけ、乖離を小さくすることができるのではないか?そのとき、内的葛藤は小さくなり、人の本来持っている力をより生かせるのではないか?と思う。

和道流でいう自然体とはそんな状態なのかな?と想像する。
そんな話を小学生たちに分かるようにする。少しでも伝わり、残っていたらと思う。
わたしの師も、小学生・中学生だったわたしたちに結構むずかし話をシンプルに説いてくださった。それに気づいたのは、30過ぎてコーチングを学んだとき。古橋先生が言っていたことばっかじゃねぇか。と。
同じようなことが道場生たちにできればと思う。ただ説くだけでなく、説いたことを実践しつづけるのが古橋先生のスタイル。なので、そこも同じように、言動の乖離が無いように。
そんなこんなで、アシュタンガヨガして、基本の腰の使い方を確認しなおし、それを形に生かし、形稽古。最後は少し試合形式で形をやる。
道場10年目にして、やっとやりたかったスタイルになってきたかな。試行錯誤の繰返しで、自分が望む姿も見えてくる。