朝の空気は美味い
鳥が目覚め鳴きはじめる前が一番美味い
動画は鳴きはじめたあとだけど
この時間は現代人が生活するためのモーター音が少なく、耳にも心地良い
特に浜に出ると防砂林が街道の車の音を一定量遮断してくれるので心地良い
10数年前キルギスタンに旅行に行った際、遥か遠くを流れる川の音が鳴り響き、スズメが羽ばたく音がとても大きく聞こえた
町中で生活していると本当に多くの音が鳴り響いている、はるか遠くのモーター音がベースにあることに気がつく
コーチングのトレーニングの中で「2時間ただいるだけ」というものがあった
物思いにふけてもだめ、思考が湧いたら手放し、感情が湧いても手放し、瞑想のように呼吸に意識を向けることも駄目。「ただただいる」というトレーニング。このときに感じたのが、人間は本当にいろいろな思考が湧いては消え、湧いては消えているのだなということ。その思考を一つずつ一つずつ手放していくと、遠くの音が良く聴こえてくる。いろいろな音が複雑に絡まり合っていることが聞こえてきて、それを聞き分けることができてくる。そのときも、「バイクの音だ」とか「ヘリの音だ」と頭の中で判断する思考が働くので、その思考も手放し「ぶおおおお〜という音だ」と思うが、それも思考なので、その音をなにも評価せずただただ音として聴いている
すると一つの感覚が身体に湧き上がってくる。胸のあたりに暖かい光輝くような、弾け飛ぶような、オレンジいろのようなふわふわ感
それに名前をつけるなら光悦感とか幸福感のようなもの
思考を鎮め、ただただいると、なんとも言えない満たされた感じがある
もともとこの幸福感というのは、既に自分の中にあるのだが、いろいろな思考の雑音で自分でかき消し、そして既にあるものを自分でかき消しておきながら、外側の人間社会の中に見出そうとする
なんとも滑稽で破滅的なゲームである
自分もついついこの滑稽で破滅的なゲームの虜になる
「すでにある」を思い出させてくれる朝の時間だった