和道流 みくうかい 月曜日

「目的論」

稽古はじめですね。いたって普通の稽古を。



初級クラスは楽しい雰囲気で始まり、だんだん基本の稽古が進むにつれ、頭やお腹が痛い子が増え、形をやる頃には半分に。なんだかな。



さっ、できていないことに対する指摘に「さっきはできていたのになぁ」と、言っている。ついつい「だっせーな、おめぇ」と口に出てしまい。人は完璧ではないことを前提に、いまできていないことを真摯に受け入れる。それをできていたかのように言って、できている自分を取り繕い、何に労力を注いでいるんだ?と。できていない自分にもOを。そこから技術の吸収や成長がはじまる。自己欺瞞はいらないよ。「自分の小さな箱から抜け出そう!」


中級クラスは、礼の時の身体の使い方が良くないね。仙骨が立ってない、礼のときの身体と手がバラバラ。そんなところから「ああ…こんなものか」と見られちゃうよ。試合では動きが良くても日常の稽古で粗雑だと「ああ…そんな心構えか」と見られちゃうよ。でもね、どう見られるか?なんてことのために空手をやっているんじゃないよね。
では「そもそも形うまくなるのはなんのため?」
「基本がきちんと出来るため!」
「基本組手に繋げるため!」
「ほう、基本組手につなげて、それが上手くできるようになるのは、なんのため?」
「女を守るため!」
「かっこいいな!それも一つのシチュエーションだね。身を守る、実践で勝手に体捌きがでるようにだな。」
知ってる→できる→やっている
日々の実践を大事にね。ちなみに、日々の実践に彩りや楽しさを加えるために大会とか審査とかの仕組みや手段があるからね。手段と目的が逆にならないようにね。



また稽古場に掲げられているカレンダーに記載されていた六曜に興味を持っていたので、年末に伺った寒川神社で購入した「さむかわ暦」を持参し、六曜の読み方から慣わしをみんなで輪読。六曜ってそもそも中国の慣わしなんだね、それを日本に取り入れたんだね。空手みたいだ。だから六曜の読み方も「おぉ、音読みだ、でも友引は訓読み?」なんでだろうね?



稽古はいつもの基本を行い、蹴りを少し丁寧にやりましょ。前蹴りで腰の引込を意識し、その意識を形の時も大事にしていきましょう。





黒帯クラスは、ナイハンチを3回くらいやって、クーシャンクーは前半まで。あとはバッサイ、ジオンやってセイシャン、チントウまで小学生の間にできるかな?それよりもまずは基本組手5本目までを頑張ろう、そして10本目までやりこんで、大人になっても「あ〜こうだよね?」と身体から自然と出るまで身体に落とし込んでもらえたらと願う。