プロヴァンス=アルプ=コート・ダジュール地方
アルプ=マリティーム県 
Vence(ヴァンス)

 

こんにちは!木蓮です。

今日は、窓の外から信じられないくらい鳥たちの歌声が聞こえてきました。風はまだ正直冷たいですが、少し淡いブルーの空は春そのもの。

春が来ると、もうすぐ夏か~とどんどん気が早くなってしまう私です。

 

さて、前回の続き。

楽しかったSt Paul de Vence散策を終え、バスに揺られVenceへ移動。

以前、こちらに来た時は、教会の中で結婚式があったため、見そびれてしまったシャガールのモザイク壁画。今回こそ見てみようと、バスの待ち時間の間に慌てて街の中へ行きました。

 

バス乗り場(Routière)は、旧市街地まで約10分くらいのところにあります。1本道なので迷うことはないですが、気が焦っていると意外に遠く感じます。

 

ちなみに、このバス停から上に登っていくと、日本の方たちにも人気なHenri Matisse(アンリ・マティス)が手がけた『ロザリオ礼拝堂』があります。

 

 

 

 

 

 

それにしても、ありきたりですが、本当に多くの芸術家たちから、南仏は愛されたんですね~。旅をするたび、多くの美術館がありすぎるため、どこに行こうか悩みます。美術館ばかり見て回っても村の景色が見れないですし、嬉しいような悲しいような……。

 

今回は、Venceであまり時間がなかったので、シャガールのモザイク壁画のみを見ることにしました。この後、すっきりと晴れるのですが、Venceに来るとなぜかいつも曇りか雨。

 

 

 

 

全くモザイク壁画には関係ないですが、このファサードが可愛くてパチリ。バラの花が描かれ、優しい色合いについつい見入ってしまいました。

 

 

 

 

旧市街の中に入ると、しっとりと落ち着いた雰囲気。不思議ですが、このVenceの雰囲気はなぜか独特で、St Paul de Venceとは全く違います。

 

 

 

 

 

いよいよ「La Cathédrale Notre-Dame de la Nativité」に入ります。この写真は以前結婚式が行われていた時のもの。左手がカテドラルです。

 

 

 

 

 

 

さぁ~、いよいよ御対面!

カテドラル内の洗礼堂に、シャガールのモザイク壁画「モーゼの発見」があります。

 

 

 

「Moïse sauvé des eaux(Moses saved from the waters)」

 

 

 

 

シャガールはフランスの有名な画家の一人ですが、彼は1887年ロシアに生まれ、初めてパリを訪れたのが1910年のこと。この辺は私より詳しい方がほとんどだと思いますが、彼がユダヤ人であったこと、そのため第2次世界大戦中、アメリカに亡命していたことなど、彼の人生を紐解いていくと、絵の深みをより一層感じますね。

 

私は今まで、国籍を変えたいと思ったことは一度もありませんが、フランス語学校で同じクラスだった友人達は、みんなこの国の国籍が欲しい子たちばかり。その申請書を取りに行くのに付き合ったり、そこでのやり取りを見ていて、いろいろ考えさせられる場面が何度かありました。(もちろん多重国籍が認められている国の子たちが多いですが)

 

「どうして、フランス国籍を取らないの?」

これは、フランスに住んで間もない頃、よく聞かれた質問です。

私が、日本は二重国籍が認められないことを説明すると、「じゃ、どうしてフランス国籍に変えないの?」と、これまた判で押したように聞かれたものです。(二重国籍の細かい話はとりあえず横に置いておきます。)

 

みんなが少しずつ日本という国を理解するにつれ、私に質問してくることはなくなりましたが、彼らや彼女たちの心の奥底に流れる自国への想いに触れるたび、やるせない気持ちになりました。

 

「国」という単位で物事を見ていなかった頃は(今でも正直知らないことだらけですが)、ただただ、芸術というものを自分の心の赴くままに楽しんでいましたが、少しずつ他国の背景や事情を目の当たりにするにつれ、同じものを見ても、感じるものは変わってきた気がします。

 

シャガールは、St Paul de Venceに住む前、1950年~1966年までここVenceに住んでいたようです。それにしても、心が温かくなるような優しいモザイク壁画でしたよ。

 

 

 

 

さてさて、ここからようやく、皆さんがお待ちかねであろう、スミレの村、Tourrettes sur Loupへ向かいます。ここVenceから、Grasse(グラース)行きのバスへ乗って向かいます。

ここから、とびきりの青空へと変わります。

 

それでは、また明日!