年末年始の恒例行事 ~年末編~ | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

 今日は。

 12月11日に羽田第三ターミナル(国際線)に行ってきました。
2階到着ロビーには、そんなに大きくはありませんが、クリスマスツリーが設置されていました。
国内線の第二ターミナルには大きなツリーはありましたが、第三ターミナルには確か昨年はツリーは無かったと思います。
やはり、クリスマスツリーと音楽がクリスマスを盛り上げますね。

 さて、今月12月30日は、早いもので、大瀧詠一が亡くなっての11年目を迎えます。
まずこの曲を聞いてください。

〇熱き心に 大瀧詠一
 https://www.youtube.com/watch?v=zRT-0ziXdKg

<年末年始の恒例行事 ~年末編~>


●年末の行事
●クリスマス
 12月になると、街には、そう商店街やモールには、クリスマスの曲が流れ始め、大きなクリスマスツリーが現れます。

まだ、現在のように11月末のブラックフライデーのような商戦はなかったので、10月末のハロウィンの狂騒が終わると、ゆっくりクリスマスに向かいます。
いや、ハロウィンも、日本に定着しだしたのは、97年頃からでした。
ですから、60年代~70年代はクリスマスは、正月に並ぶ最大のイベントではなかったでしょうか?

 商店街では、臨時のクリスマスケーキ売り場ができていました。
70年代は、今のクリームケーキと違いバターケーキでした。
これが、25日のクリスマスの夜になると、売り残りが無いように、たたき売りされていました。

 80年代のクリスマスソングといったらこの曲。
JR東海のCMとともに、山下達郎の曲がカムバックしてきました。

今年2023年はこの曲は、40周年を迎えました。

 〇JR東海 CM クリスマス エクスプレス X'mas Express(全3篇)

 

https://www.youtube.com/watch?v=8R9l0S5fqOs

ユーミンのこの曲もありましたね。
映画「私をスキーに連れてって」の挿入歌。

 〇#私をスキーに連れてって #恋人がサンタクロース #松任谷由実 
  https://www.tiktok.com/@dypgqw20nqqv1/video/7200330121767636226

 

 


●年賀状書き
 小中学生の頃の60年代後半、クリスマスの音楽の中、年賀状書きを始めました。
クラスメートや担任に手書きで書きました。
高学年になると、版画でも作成しました。
 なぜか高校生の時は書いた記憶がありません。
 先日、大学生の時にもらった年賀状が実家から出てきました。
大学では書いていたのですね。
 社会人になると、同僚はもとより、上司や先輩に印刷した年賀状を出していました。
印刷の年賀状は、最初は味気ないモノクロの紋切型でした。

 90年代になっていますが、中島みゆき出演のこんなCMがありました。

 〇中島みゆき 年賀状CM集 「時代」

 


  https://www.youtube.com/watch?v=_0a_vMf9dPk

 結婚し、子どもができると、年賀状は、子供の写真を着けたフォト・カードになりました。

 まだまだ現在のようなプリンターでの印刷ではありません。
当時、プリンターの印刷速度が遅く、一枚打ち出すのになんと5分から10分位かかっていました。
(現在なら数十秒ですよね)

 「プリントごっご」も流行りだしました。
CMを見てみましょう。
当時人気の南伸介タモリを起用しています。

 〇1980 理想科学工業 プリントゴッコ

 


  https://www.youtube.com/watch?v=is8uO8yCAy4 
 
 〇CM 理想科学工業 プリントゴッコ 1983年
  https://www.youtube.com/watch?v=drnlfNdGitU

●大掃除
 僕の家では、全ての部屋の畳を日干し、裏返し、していました。
そのせいもあり、1日みっちり掃除に充てていました。

『忍者ハットリくん』に大掃除をテーマにした作品がありました。
(期間限定で公開中です)

 〇忍者ハットリくん (66)「大掃除は大変でござるの巻」

 


  https://www.youtube.com/watch?v=aD4Tpk_3LjU

 実際の掃除はこんな感じです。

 〇昭和のくらし博物館の日々
    http://blog.showanokurashi.com/article/106291149.html

 


●お歳暮 
 12月頃になると、お歳暮を誘う高級ハムや高級ウイスキー、コーヒーギフトのCMなどが流れ始めます。
丸大ハムサントリーウイスキー「ネッスル」(現ネスレ)コーヒーギフトなどなど。
贈り先は仲人や、親。
僕は贈っていませんが上司に送っていた人もいました。

 ところで、冒頭の大瀧の曲は、みなさんご存じの通り、実は味の素ゼネラルフーヅ(現・味の素AGF)「マキシム」のCMのバックに流れていた曲です。

 〇懐かしいCM 小林旭マキシムCM♪熱き心に

 


  https://www.youtube.com/watch?v=ZK_QV1TBq8o

 〇AGF マキシムCM 80年代
  https://www.youtube.com/watch?v=W6zlRFV7T4Q&t=8s

 僕はこの曲を初めて、駅で聴き、良い曲だなと感じました。
CMには最初歌手のクレジットが無かったので、「加山雄三」と誤解していました。

(僕の他にも多くの人が誤解していたようです。)


小林旭だったのを、後から知りました。

大瀧詠一は、小林旭の大ファンでした。

 

 
 

 月刊「文藝春秋」で、小林旭の回顧録が2023年6月号から始まり、小林が少し、大瀧のことについて書いています。
「彼はこっそりマイクを握っていたらしいね。『旭さんがここに足を置いて、こう立ってたね』、『こんな風に歌ってたね』なんて言いながら、俺と同じ恰好を真似して歌っていたそうだよ」

●年末ジャンボ宝くじ 
 1980年(昭和55年)の「ドリームジャンボ宝くじ」の発端より、3大ジャンボ宝くじ(ドリームジャンボサマージャンボ年末ジャンボ)がスタートしたのですね。
金額は「1億円」だと記憶していましたが、調べたら1980年時点では、1等が3,000万円、2等が2,000万円、3等が500万円でした。
当時勤務していた銀座にある「西銀座デパートチャンスセンター」の売店がよく当たると、年末ジャンボの時期になると、列をなしていました。


(写真)


今の年末ジャンボの1億円ですが、当時の3000万円は相当の金額だったのでしょうね。
 当時は感心が高かったのでしょう、大晦日に、テレビで、当選番号を決める矢を打つシーンを、中継でみたことがあります。


●大晦日
●レコード大賞
  現在は、30日ですが、嘗ては31日の「紅白歌合戦」の前に開催されていました。
よく覚えているのは、元NHKのアナウンサーの高橋圭三が司会していたことです。
 帝国劇場で開催されていたイメージが強いのですが、これはNHKが内幸町にあったからなのでしょうか?
 小学生・中学生の頃までは、今年はだれが「レコード大賞」や「新人賞」を取るのか真剣に考えていました。
でも、世間では、金が後ろで動いているんだよと、ささやかれていました。

  文藝春秋11月号で、小林は昭和61年の大晦日に放送された「第28回日本レコード大賞」の賞レースの裏側を暴露しています。
 実は、この年のレコード大賞は、実は『熱き心』に内定していた、と。
最後に金が動き、中森明菜『DESIRE-情熱-デザイアー』に変更されてしまったと。

憧れの小林旭に提供した曲がレコード大賞になっていたら、どんなにか大瀧詠一は嬉しかったでしょう。残念でしかたがありません。

●NHK紅白歌合戦
 秋ごろでしょうか、その年の紅組・白組の出演者が発表があったのは。
昔は、選ばれる人に納得感がありました。
 レコード大賞と出演者が被ることが多かったので、「レコード大賞」の表彰式が終わると、出演者は移動していました。
この番組、嘗ては、9時から始まり、11時45分までそれこそ国民をテレビの前に釘付けにしました。
視聴率は60%以上?ではなかったでしょうか。
そして、純粋だった僕は今年は紅組、白組どちらが勝つか真剣に考えていました。
  
●ゆく年くる年
 NHK紅白歌合戦」が終わると、テレビの画面は、豪華絢爛なステージから、暗く静かなどこかの古刹へと一変します。
「ゆく年くる年」です。
ここから除夜の鐘を見聞きします。
「年越しそば」を食べながら、この番組を見ていた気がします。

 

「年始編」は次の機会に・・・。