『風立ちぬ』 計算尺が使われたアニメ   生活を変えたCM③ 答一発カシオミニ  外伝 5 | 懐かしエッセイ 輝ける時代たち(シーズンズ)

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懐かしい’60s’70s’80s
ひときわ輝いていたあの時代の思い出のエッセイ集です。
毎週土曜日更新予定です。

今日は。

 『北斗の拳』が「少年ジャンプ」連載40周年というニュースをNHKで見ました。
80年代のマンガの勉強不足というか、認識不足といいますか、この作品の舞台が、「世界的な核戦争によって文明と人々の秩序が失われ、争いが繰り返されるという最終戦争後の199X年(20世紀末)が舞台」というのを初めて知りました。
単なる拳闘ものかと思い込んでいた僕にとっては驚きでした。
 
 その「週刊少年ジャンプ」で宇宙海賊漫画『コブラ』を描いた寺沢武一が68歳で亡くなりました。
手塚治虫アシスタント経てのデビューで、その『コブラ』のアメコミっぽい絵には度肝を抜かれたのを覚えています。
ご冥福をお祈りいたします。

 さて、今回も、「計算尺が使われた」作品です。
前回の『アポロ13号』(リンク)の最後に、「どうしましょうか?」と投げかけた『風立ちぬ』です。
意外にも、アニメ『風立ちぬ』には、計算尺を使うシーンがたくさん出てきます。

<『風立ちぬ』 計算尺が使われたアニメ 
 生活を変えたCM③ 答一発カシオミニ  外伝 5> 


3.『風立ちぬ』
0.プロローグ
 ●ユーミン(ギャラリから)
 https://ameblo.jp/petit-spfairy/entry-11596653458.html

 

 

 
 僕は、この映画が公開された時に、映画館で観て、感動したのを覚えています。
その後、DVDなどで見たことはなく、10年ぶりに見直しました。
「計算尺」がこんなに使われているという新たな発見をしました。

作品の感動は再びです。

 予告編を見てください。
 〇『風立ちぬ』(2013)予告編
  https://youtu.be/h28yIjw6oVA?si=iB5vWALqbJY5BxxM
  2:06 あたりの画面右下の設計者が計算尺を使っています。

Ⅰ.作品
 2013年 本編:約126分

〇原作・脚本・監督:宮崎駿
 「(堀越二郎と堀辰雄に敬意を込めて)生きねば」
  宮崎が『モデルグラフィックス』誌上にて発表した連載漫画『風立ちぬ』を原作としているんですね。
 
〇声
 堀越二郎:庵野秀明 里見菜穂子:瀧本美織
 なんと、『新世紀エヴァンゲリオン』の庵野が主人公の二郎の声を担当していたのですね。

〇朗読詩「風」原詩:Chistiana Roseetti 訳詩:西條八十
 
 
Ⅱ.ストーリー(ネタバレがありますので注意)
 ストーリはご存じの方が多いと思いますので、簡単にご紹介します。
 後に「ゼロ戦」を設計した堀越二郎の半生の物語です。
同時代に生きた堀辰雄の実体験を元にした『風立ちぬ』のストーリーが間に盛り込まれています。
 
 飛行機が大好きな少年の堀越二郎は、イタリア人の飛行機設計家カプロ―二の夢を見る中で、目が悪いのでパイロットをあきらめ、飛行機設計家になることを決心します。
海外の雑誌を学校の先生から借りて読み、東大工学部で勉強します。

 自宅から東京に帰る列車の中で、「関東大震災」が発生し、同じ列車に乗り合わせた菜穂子と女中の絹に出あいます。
火がのぼる中、必死の思いで、菜穂子と絹を上野の自宅まで連れていきます。

 二郎は、名古屋にある「三菱内燃機KK」に入社し、「隼」班に配属されます。
ドイツユンカース社での研修を経て、5年目の二郎は、海軍からの要請の艦上戦闘機のチーフに大抜擢されます。
完成した飛行機は急降下飛行で空中分解してしまいます。


 その傷を癒すため、二郎は休暇を軽井沢で過ごし、父と療養に来ていた菜穂子と再会します。
二郎は菜穂子と、(健康が回復することを条件に、)婚約しますが、病状は回復しません。

 二郎は東京から菜穂子を、二郎の上司・黒川の自宅にある離れに連れてきて、二人は結婚生活を送りはじめます。
床に臥す菜穂子の傍で、二郎は帰宅後夜も仕事を続けます。
 菜穂子は日増しに弱っていきます。
飛行機が完成して試験飛行が行われる日の朝、菜穂子は二郎を見送ると、置き手紙を残して密やかに二郎の元を去り、サナトリウムに戻ります。

飛行機は予想以上の出来上がりでした。

カプロ―二に夢で会ってから、10年が経ちました。
再び、カプロ―二に夢の中で会います。
無数の飛行機が飛び、その下には煙が舞います、
飛行機残骸が野原一杯に広がります。

  カプロ―二 「我々の夢の王国だ」
  二郎 「地獄かと思いました」

  カプロ―二 「きみの10年はどうだったかね?力をつくしたかね」
  二郎 「 はい、でも終わりはずたずたでしたけど。」
  カプロ―二 「国を滅ぼしたんだからね」

野原を二郎の作ったゼロ戦が悠々と何台も飛んでいきます。
再び、夢の中。

 カプロ―二 「美しいな」
 二郎 「一機も戻ってきませんでした」「生きて帰りきしものもなし。」
カプロ―二 「飛行機は美しくも呪われた夢だ。大空はすべて呑み込んでしまう」

 カプロ―二 「きみを待っていた人がいる」
 菜穂子「あなた、生きて!」

 カプロ―二が二郎にいいます「きみは生きねば」

 エンドロールに流れるのは、荒井由実の『ひこうき雲』

この曲は、この作品『風立ちぬ』のために書いたような曲ですね。

 

 〇Vapor Trail / Hikouki Gumo

  


Ⅲ.計算尺
●作品によって異なるカシオミニ・そろばん・計算尺の使い方

 今まで、映画『ミクロの決死圏』(リンク)『アポロ13号』(リンク)で計算尺が使われたと書いてきました。
しかし、それは一瞬のことで、あまり目立つ存在ではありませんでした。
この『風立ちぬ』ではかなりの場面に「計算尺」は使われています。
その場面を見てみましょう。

 ・関東大震災の菜穂子の御供がけがをした時に、足の固定をします。
  計算尺の本来の使い方ではありませんが、折れた足を固定する木になっています。
 
 ・三菱の設計事務所
  *冒頭の予告編の2:06 あたりの画面右下の設計者が計算尺を使っています。
   
 ・菜穂子と結婚後に、自宅の夜、菜穂子の枕元。

  その他、二郎の設計はもちろん、その他の設計者が設計する場面でも使われています。

●日本での計算尺導入の歴史
 計算尺がどんなものは、「計算尺が使われた映画 生活を変えたCM③ 答一発カシオミニ 外伝 3」(リンク)の「計算尺って?」で簡単に説明しました。
日本での計算尺の導入について、学園の始まりが建築や土木関係の技術者を育成する目的だったた「常翔学園 HP」をお借りして説明いたします。  


 〇【日本での計算尺導入の歴史】 常翔学園 HP
  (=ヘンミ計算尺株式会社のホームページなどを参考)

 1894(明治27)年にヨーロッパを視察した内務省の官僚らがドイツ製マンハイム型計算尺を持ち帰り紹介。
 1895年に測量計器の目盛り工だった逸見治郎がそのコピー製作を依頼され、研究開始。
 逸見は1909年に狂いの少ない竹製の計算尺を考案。


 第1次世界大戦で世界標準だったドイツ製の計算尺の生産が途絶えたことで、正確だと名声を博した日本製のヘンミ計算尺の輸出が急増。
 第2次世界大戦ではゼロ戦の設計、1958年完成の東京タワーの構造設計でも使われた。
 1965年には世界シェアが約80%に達した。戦後は全国の中学校や高校の多くに課外活動の「計算尺クラブ」があった。
                                       
「電気式計算機」が普及前には、ゼロ戦の設計や、東京タワーの構造設計にも使っていたのですね。

「計算尺クラブ」なんて部があったのは初耳です。

●映画における電卓・そろばん・計算尺
 これまでマンガ『動物のお医者さん』・『エロイカから愛を込めて』(リンク)、映画『武士の家計簿』(リンク)『ミクロの決死圏』『アポロ13号』、電卓・そろばん・計算尺を見てきました。(リンク)
そして今回、アニメ『風立ちぬ』における計算尺を見ました。

作品の中で、どう使われたかを見ると、使われ方には違いがあるのがわかります。

 ①作品にインパクトを与えるための「道具」
『動物のお医者さん』における「カシオミニ」、『アポロ13号』における「計算尺」は、「カシオミニ」「計算尺」がなくても、この作品は成立します。
いわば「カシオミニ」「計算尺」は作品を際立てさせるための「道具」です。

 ②作品の設定の中で実際に使われている「道具」
  一方、『エロイカから愛を込めて』における「カシオミニ」、『武士の家計簿』における「そろばん」、『風立ちぬ』における「計算尺」は少し、異なります。
 『エロイカから愛を込めて』の「カシオミニ」は主人公エロイカの部下のジェームズが会計士であることを表すために必要なモノです。
 『武士の家計簿』における「そろばん」も、「そろばん侍」の猪山直之にとって、刀以上になくてはならないものです。
 『風立ちぬ』における「計算尺」も、堀越二郎が設計をするために、なくてはならないモノで、設計をする二郎の手には、いつも計算尺があります。
  恥ずかしながら、ここらへんは、作品を比べることで、あらためてわかったことです。

Ⅳ.生きる

●「風立ちぬ」
 「風立ちぬ」のコピーは「生きねば。」です。
 思い起こせば、『もののけ姫』のコピーは糸井重里が苦心してつくった「生きろ。」でした。

 そして、『風立ちぬ』の後の作品『君たちはどう生きるか』はキャッチ・コピーではなく、タイトルそのものに「どう生きるか」となっています。
 実は、最近話題になっているこの『君たちはどう生きるか』はなぜか、見たいという気がしなかったのですが、やはり見なくてはという気持ちになってきています。

 室町時代においては、つべこべ言わずになんとしても「生きろ。」

大正時代から昭和初期の貧しい日本や戦後の日本においては、貧しさに負けずに「生きねば」ならないと、すこしべき論になっています。
それが、最新作では、ただ生きるのではなく、「どう生きるか?」と生き方に重きを置いているのでしょうか?

 


ここら辺は、早くこの最新作を見て確かめてみたいと思います。